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一通り新聞に目を通しえると、時計は二時過ぎを示していた。そういえば、途中で鐘の音が二度鳴っていたのを思い出す。街にも鐘があっただろうか。時計台でもあったならば、時刻を知らせる鐘の音が響いても不思議ではない。あまり辺りを見渡さなかったため、気づかなかった。エキシトは、ここに長居するつもりがまだ無いのだという自分の根底にある気持ちに、気が付いていなかった。
経済新聞と地元紙を四つ折りに折りたたんでテーブルに置くと、コーヒーカップを手に取りすすった。もう冷めている。
(じっとしているだけでは暇だな。外でも歩いてくるか?)
街並みを把握するのは良いことかもしれない。ただ、やはりクレープを食べていたときに感じた「影」の気配が気にはなる。自分を狙ったものなのか、レクリエールを狙ったの物なのかは分からないし、そもそもそんな影が本当にいたのかすら、定かではない。だが、注意して困ることはない。軽率な行動は避けるべきだ。エキシトはまた、溜息を吐いた。疲れもどっと出る。
(とりあえず、少し外に出るか。怪しい気配があるのであれば、父上に文を出すことも検討しなければならない)
この婚約は、西と東が手を結ぶための架け橋となるためのものであったはず。それが、命を狙われる始末となれば、話は別だ。本当に身に危険が及ぶのであれば、エキシトは西へ帰るつもりでいた。元々乗り気でなかった婚約の話を押し付けられ、命まで狙われるなど冗談ではない。懐に仕舞っていた黒い銃を取り出すと、安全装置を解除した。街を歩くなら、すぐに発砲出来るようにしておいた方が良さそうだ。弾数は限られている。どこかで補填もしなければいけない。武器屋を把握しておこうと予定を決めた。
レクリエールを連れて行くつもりはなかった。何でも彼女を頼るのはどうも気が引ける。特に、怪しい気配がある中で、幼女を連れていては足手まといだ。自分の身を護ることで精一杯になったとき、レクリエールの命を守れるのかは自信がない。
「まぁ、会ってすぐのアイツがどうなろうと、俺の知ったところではないがな」
銃を再び懐に忍ばせた。銃を持ち歩く文化は、西にも東にもなかった。戦争が繰り広げられているこの世界の情勢下でも、それは変わらなかった。南と北がどうであるかは定かではないが、少なくとも東西の条約では銃刀法違反に値する。そのため、銃を持ち歩いていることを、安易に他言するのはまずい。
だからといって、身に危険が及ぶ可能性が出てきたところで、丸腰でいるのは賢いとは言えない。
「はぁ……帰りたいなんて、らしくないな」
くしゃっと髪を右手で掻きむしる。髪をいくらか束にして握って、やや強めに引っ張ると、頭皮が刺激されて心地よかった。ちょっとした痛みで自分自身を安定させる。
「行くか」
椅子から立ち上がると、カツンカツンと靴底で床を鳴らした。ドアノブを回して扉を開ける。部屋を出て扉をゆっくり閉めると、居間で腰かけているレクリエールの姿を捉えた。レクリエールはニコニコとしながら手芸を楽しんでいる。何か、刺繍をしているようだ。
エキシトの気配に気づくと、くるっと後ろを振り返り、目を細めて微笑んだ。エキシトは一瞬動きを止めてから、コホンと咳払いをして視線を外した。
「どこかへ出かけられるのですか?」
「あぁ、ファーファスの街の探索に行って来る」
「おひとりで?」
「今度はひとりで行く。少し、気晴らしがしたい」
「この街はのどかで安全な街ですから。おひとりでも大丈夫ですよ。安心してお出かけください」
「分かった」
「……? 何か?」
問いかけられ、初めて自分がレクリエールの手の中の刺繍に注視していることに気づいた。ふと我に返り、後を続ける。
「あ、あぁ……何をしていたんだ?」
「ふふ、私の趣味なんです」
「……妖怪?」
「え?」
レクリエールは、オレンジ色の刺繍糸で人間らしい物体を縫っていた。丸の中には赤い色の糸が垂れている。正直、ぐちゃぐちゃで何を縫っているのか想像がつかなかった。この地方で言い伝えられている妖怪か何かかと想像する。
「エキシト様をイメージしているんですけど。似てません……か?」
「……言われてみると、どことなく」
「そうですか!? わぁ、嬉しいです。私の刺繍、いつも誰だか分からないって言われてしまうので。初めて認めていただけましたわ」
(素直に下手だと言ってよかったのか)
エキシトは内心でぽつりと呟いた。いつも自分に素直でいたつもりだったが、何故かレクリエールと居るときだけは、勝手が違ってしまう。それでも、嬉しそうに微笑むレクリエールを見ると、自分の判断が間違っていなかったと思えた。エキシトは、もう一度刺繍に目を向ける。やはり、ぐちゃぐちゃだ。
「その、赤い糸は俺の目か?」
「はい! エキシト様の綺麗な目を、この糸で表現してみました」
「綺麗……か」
「私、その苺色の瞳が本当に魅力的だと思うんです」
「……」
「大好きです」
「!」
突然の告白に、エキシトは目を見開いた。




