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程なくして家に着くと、庭に水を撒くデリスの姿があった。緑色のホースを片手に、庭の花に水をやっている。その光景を見て、レクリエールはにこりと笑った。
「デリスさん。いつも水やりありがとうございます」
「お嬢様。お帰りなさいませ。早かったですね」
「えぇ。でも、きちんとお買い物は出来ましたわ。ね?」
「……ふん」
どうもエキシトはデリスに心を開くことが出来ずにいた。つい腕組みをして、視線を逸らす。その光景を前にしても、デリスが表情を変えることは無かった。子どもなのは、どうやらエキシトだけらしい。
「お疲れでしょう? お茶にしますか?」
「今、エキシト様とクレープを食べてきたところなんです。お腹はいっぱいですわ」
「そうですか」
デリスはじっとエキシトの目を見た。その視線に気づいたエキシトは、右眉をピクッと上げて、口を開いた。
「何だ。何か文句でもあるのか?」
「いいえ、私は何も申しておりません」
「…………」
「ふふ。仲良しさんですね」
「どこがだ!」
レクリエールのボケに、ついツッコミを入れてしまったエキシトは、恥ずかしくなってコホンと咳払いをする。そんな小細工をしたところで、デリスの目を誤魔化せる訳でもない。現時点でエキシトにとっての最大の敵は、東の国の言葉の違いでも文化の違いでもない。デリスという存在だった。
すました顔で水やりを続けるデリスの横を、ペコリと頭を下げてレクリエールが通り過ぎた。そして、玄関ドアを開ける。その後ろに続いてエキシトも室内へと入った。さっさとデリスが視界に入らないところへ行きたかったのだ。こんな行為も感情も幼稚だと、自分自身でも思っているが、やめられなかった。
「エキシト様。試着されますか? それとも、少しお部屋で休まれますか?」
「休んでばかりいても暇だ。東の本でも読みたい」
「それは素晴らしいですわ。新聞もお読みになりますか?」
「あぁ」
そういうと、レクリエールはテーブルから二種類の新聞を盛って来た。どちらも当然だが、東の国の文字で書かれている。
「こちらが経済新聞。そしてこちらが、地元の新聞ですわ。読めないところがありましたら、私が代わりに読みますけど……」
「無用。これくらい、自分で翻訳できる」
「本当に素晴らしいですね。私は西の文字は全然分からないので。エキシト様の教養が羨ましいです」
(……父上は西の文字も読めない小娘との婚約を何故決めたのだろうな。こんな田舎の娘と婚儀をあげたところで、本当に西の利益になるのだろうか?)
「エキシト様?」
「いや、何でもない。やはり部屋で新聞を読ませてもらう。ここは落ち着かない」
「えぇ、どうぞ。コーヒーか紅茶が必要でしたら……」
「自分で淹れる」
「ふふ、ありがとうございます」
レクリエールはにこっと微笑んだ。この家は、なんでも自分でやることが流儀らしい。いちいちデリスに指摘されるのもうんざりなため、エキシトは初めから自分でやる道を選ぶことにした。これで文句は言えまい。エキシトの赤い瞳が得意気にキラッと光った。
台所に立ち、コーヒーを淹れる。トポポポ……とカップに落としてあったコーヒーを淹れる。それと新聞ふたつ、買って来た服類を持って、奥の自室へと戻った。
「ごゆっくり」
後ろでレクリエールの声がする。凛とした可愛らしい声だ。幼女でなければ、申し分ない少女だとも思える。ロリコンにはもってこいな案件だったかもしれないが、エキシトの趣味ではない。
扉を閉めると椅子に腰かけ、カップと新聞をテーブルに置いた。「はぁ」と溜息が漏れる。癖だ。
(もう昼過ぎか)
気づけば、時計は昼の一時半を示していた。クレープのボリュームで腹は膨れているが、時間が経つのが早い。あっという間に一日が終わるのではないかと思えてくる。そうこうして、自分は東に慣れていくのかと思うと、なんだか恐ろしいとエキシトは感じた。人の慣れは怖いものだ。
(……クレープを食べていたとき、誰か居たか?)
エキシトはあの時、遠くから自分たちを見る何者かの気配を感じ取っていた。しかし、見渡しても特に怪しい「影」はない。気のせいかと思うことにしたのだが、それでも気にはなった。西の新聞にデカデカと婚儀の話は載っていたのだ。エキシトではなく、レティーの後ろ姿が写真には写っていた為、誰が東に移り住んだのかを知る者は少ないはず。その少ない人数の中の誰かが、見張りに来たのか。或いは、東の人間がエキシトの命を狙っていたのか……しばらく、用心した方がいいとエキシトはコーヒーをすすった。
(あぁ、面倒臭いな)
エキシトは、経済新聞から手に取って視線を落とした。朝、手に取った方の新聞だ。こちらにも、小さく婚儀の話が取り上げられていたのは確認済み。しかし、その書かれ方はとても友好的ではなかった。
「西の領家の嫡男、東国領家に売り渡される……それは酷い言われ様だな」
何度読んでもそう書いてある。訳し方が悪い? いや、これくらいの文章、訳せないはずがない。エキシトはエリートだ。この新聞が東国にとっての真実ならば、自分の命が狙われても不思議ではない。エキシトは布団の中に隠しておいたアタッシュケースから、銃を取り出した。
(これが必要となる日は、そう遠くないのかもしれないな)
銃をテーブルに置き、また新聞に視線を戻した。




