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私と君と

作者: みどり

「君は好きだね、青空と向日葵の中に私を描くのが」

肖像画が完成したというので、私は彼の部屋を訪れた。ベッドに横たわった彼を見て、年寄りのくせによく頑張るもんだと思った。サイドテーブルには描いたと思われる肖像画が置いてあり、私はそれを手に取った。

私と、青空と、向日葵だった。

彼に、前のときも言ったであろう感想を述べる。彼は罰が悪そうな、そして不安な気持ちも持ち合わせた顔をして、

「やっぱり嫌だった?」

と問うた。

「だから嫌じゃないよ。ただ、今回は直に青空の下ときた。変な感じだな。私が青空の下、向日葵畑に囲まれて笑っているのが。だって、天地がひっくり返ってもあり得ないのだから」

太陽の下に出ることは死を意味する。そして向日葵は太陽に手を伸ばすモノ。私たちにとって屈辱を表す。それを彼は分かっていて描いているのだから、彼のこだわりがみえる。それも描く度に同じ題材なのだから、同族がその何枚もの同じ絵を見たら発狂するか、怒りに任せて彼を殺してしまうかもしれない。


だけど、私はこれが好きだ。





彼と出会ったのは、風も吹いた土砂降りの雨が降る夜だった。私は散歩にこれでは行けないなと、窓の外を眺めながら残念に思っていたときのことだった。ちょうど人影が、私の屋敷の外扉の軒下に入って行くのが見えたのだ。

雨宿りかと思ったのは至極当然で、しかし、この屋敷を雨宿りにするとはなかなかに度胸がある者だなと思った。そこでふと、「こんなに暇なんだ、相手をしてもらうには良いタイミングだ」と思い、そこにいる者を揶揄ってやろうと、私は玄関の方へと向かった。

私を見たらどんな顔をするだろう。びっくりして逃げ出すか、逆にびっくりし過ぎて腰を抜かすか。どちらにしろ、いっときでも面白いことが起こるのなら実行するのが、私の主義だ。

扉の持ち手に手をかけ、内側に開くために力を入れた。

風が私の髪を掻き上げ、泥臭い雨の匂いが鼻につく。雨のカーテンの視覚的暴力とその雨の音が耳に響いた。

容赦なく刺激された感覚機能は、一瞬私を弱らせたが、目の前の者を見た瞬間に一気にその感覚機能が閉ざされた。何も感じなくなったのだ。目の前の彼は、その碧眼をいっぱいに広げて、予想通りびっくりした顔をしていたがーーーー

私も、びっくりしていたのだ。彼と同じように。

「なんでーー」

震えた声でポロっと溢した言葉は、雨音で彼には聞こえなかっただろう。

これが彼との出会いだった。





その後、結論、彼は逃げ出すことも腰を抜かすこともしなかった。ただ私を見つめ、暫くして我に返ったかのように、噂が真実かどうかを確かめてきた。

「ホントに吸血鬼なんですか?」

彼の目には純粋な好奇心だけがあった。

しかし私はそのとき、久しぶりに見る彼を見て動揺しており、その目をしっかりと見ていなかった。私を畏れてその質問をしたのだと勝手に思ってしまったのだ。後から考えたら、彼は怖い者知らずだったと思い出し、自分がどれだけ心が乱されていたのかと呆れてしまったものだ。

「君はどう思う?」

だけど、そんなことは後に気づいたことだ。このときの私はただ恐れていた。

「そうだ」と答えれば彼は拒絶してしまうだろうか。逃げてしまうだろうか。

そんなことを一瞬で頭の中を過ぎり、答えを彼に委ねてしまった。

質問に質問で返された彼は、顔を少し俯かせて考えているようだった。

「…本当だったら怖いか?」

私は恐る恐る尋ねた。彼に怖いと言われるのが、一番何よりも怖いのだから。だけど彼は首を横に振った。

「いや、怖いとは思わないかな。なんか、どっちでもいい。なんでだろ、あなたを見て、ただ、あなたという人を知りたくなった」

その言葉を聞いた私は、安堵と嬉しさと、そして悲しさを感じた。彼は変わらないのだと思った。

彼は、彼という人間は永遠に。





この土砂降りの中、軒下にいるとはいえ、外で立ったままいるのは辛いだろうと屋敷の中へと招き入れた。彼に出す飲み物や食べ物は数十年前に腐ってしまったので出せる物が何もない。取り敢えず水だけでもと出した。

お互いにソファに落ち着くと、私は自分のことを吸血鬼だと告げた。彼はそれに笑って頷いただけだった。そして時間を持て余した彼は、つらつらと自分のことを話し始めた。自分は売れない画家で、少ない得意先からの帰り道に、この酷い雨に当たってしまったと。

だけど、寧ろ良かったと彼は笑った。

「あなたに出会えた。ずっと、描きたいものがあるはずなのに、それが今まで分からなかったんだ。でも、あなたに会ってあなたをずっと描いていたいと思った。きっと探していたのはあなただったんだ」

そう言った彼は、私を描かせてほしいと頼み込んできた。

この流れはなんとなく予想できていた。

そうやって彼は、私と縁を結んでしまうのだ。

そして私自身もそれを望んでしまい、意図した流れを作ってしまう。屋敷の中に招いたことがその証明だ。

何度この行為を愚かしいと思ったことか。





それから彼は、毎夜私の屋敷を訪れては私のスケッチを何枚も描いていった。普段通りにしてほしいと言われたので、普段通りに散歩に出かけたり、本を読んだり、編み物をしたりなどしていた。その様子を彼は鉛筆で紙にスラスラと描いているようだった。

一週間くらいそうして、彼はそれからニヶ月来なくなった。

次に来た彼の手には、描いたのであろう私の肖像画が持たれていた。

「見てほしい」

渡された肖像画には、私と、青空と、向日葵が描かれていた。

屋敷の中、窓の向こうには青空が広がっていて、私はその前で向日葵の花束を持って控えめに笑っている。

このシーンを私は知っていると思った。

こんな顔をしていたのかは分からないが。

もう何十年も前のことだ。彼が仕事で半年以上帰ってこなくて、彼を少しでも感じたくなり、私は本当は寝ているはずの昼間に起きていた。太陽の光が当たらない窓から離れた所に立ち、彼の瞳の色の空を見ていた。雲の流れを感じるくらいずっと見ていたところ、彼が遂に帰って来た。彼は私が起きていたことに驚き、さらに太陽の光がいずれ当たりそうな所に立っていたものだから焦っていた。私はそんな彼の様子にクスクス笑い、平気だと宥めた。そして彼が持っている花束に目をやった。それが向日葵だった。視線に気づいた彼は、頬を赤く染めて

「あなたに似合うと思って」

と、渡してきた。

向日葵は太陽に手を伸ばすモノだ。吸血鬼の私にそれを渡すなんて、まるで太陽に憧れているのでしょう?と言っているようなもの。私たち吸血鬼を馬鹿にしていると言ってもいい。太陽の下に出ることなんてできない私達は、それは当たり前のことであり、憧れなどと、そんな人間の尺度で測られるなんて心外だと思っている。

だけど、彼は似合うという、本当にそれだけの理由で渡して来たのだろう。吸血鬼と人間の確執なんて何も知らない、ただ純粋な人間の子。私はそれを嫌というほど知っている。

「ありがとう」

嬉しくて愛しい。私に好意を何度も向けてくれる彼が。

だけどそれと同じくらい罪悪感がある。彼と過ごす度にその気持ちは膨れ上がり、どうしようもなく逃げ出したくなるのだ。

向日葵を見つめ、優しく撫でる。

ふとそのとき、ポツリと彼が言葉を呟いたのが聞こえた。

「俺、生まれ変わったら今度は画家になりたいな」

彼の方を向くと、彼は優しく笑った。

「……画家?」

私は、その言葉にドキりとした。だって、そうなるかもしれないから。

「今を忘れないために絵に収めたい」


あのときの優しく笑った彼が、今渡した彼の顔に重なる。


ああ、本当に画家になってしまうなんて。


それも、今の彼にはない記憶が、こうやって絵の中で描かれるなんて。

「あなたを見たとき、何故か青空と向日葵を一緒に描かきゃいけないと思った。理由は分からないけど。でも、この気持ちは正しと思った。青空の中にいるあなたは、きっと綺麗だと思うし、向日葵とあなたは似合うと思ったんだ」

それから彼は私を描き続けた。青空と向日葵と一緒に。あまりにもそれだけを描き続けるものだから、揶揄って吸血鬼と青空と向日葵の関係を言ってやったら、案の定、顔を真っ青にしてしまった。慌てて、「知らなかった!ごめん!そんなつもりじゃなかったんだ!」と、今にも泣きそうな顔で謝ってきた。

私はそれを見て笑ってしまい、「気にしていないよ」と彼を慰めたのだ。安心した顔をした彼は、だけど一瞬逡巡した後、私を伺うように見て言った。

「これからも、この青空と向日葵を描くことを許してくれる?」

余程彼は好きらしい。

「構わない」

そんなに好きなら描けばいいよ。

私も好きだから。

絵の中だけでも、彼と同じ存在になれた気がするのだから。





今、彼はベッドの中で息絶えようとしている。私は彼の手を握り、静かにその瞬間を待つことしかできない。

彼は徐に口を開いた。きっと最期のときなのだろう。

「あなたと、一緒になれて幸せだった。僕の気持ちを、受け取ってくれてありがとう。もっと一緒にいたいよ。やっぱり吸血鬼にはなれないのかな」

「言っただろう?前例がないんだ。血を与えてどうなるか分からない。本当になるかもしれないし、ならないかもしれない。危ないことはするべきじゃない。全く、人間は勝手な想像力で事実として決めつけてくれるね」

それに、大丈夫だから。

「どうしてもダメか……。じゃあ、僕はあなたにとって、いずれ大勢の内の一人になるんだ。何十年後か、何百年後か、そんな奴いたねの一人になって、思い出にさえならなくなっちゃうのかな」

そんなこと言わなくていい。

君はそんな心配しなくていいんだ。

「前に、結婚したって人は、あなたの中にずっといるのかな。ずっといるなら、僕もそうであってほしい」

大丈夫だ。君という人間は、私が生まれたときから一緒にいるのだから。

私たちは呪われているんだよ。

「忘れないでほしい」

今、この瞬間にも、どこかの母親の胎の中から君という人間が産まれようとしている。

君が瞳を閉じ、息を止めたとき、君は産まれるんだ。同じ姿で、同じ名前で。そして、何年後か、何十年後かに君と私は出会うんだ。


これは呪いだ。


思うのだ。私と出会うことで、彼は本当は愛するであろう人たちとの縁を切らされているのではないか。愛する人間と結婚して、一緒に歳を取ることを、私という存在がいることで彼の人間としての幸せを奪っているのではないか。私が死ねば、この呪いは晴れて解けて、彼に本当の幸せと死を与えることができるのではないか。

何度思ったことだろう。

何度、太陽の下に行こうと思ったことだろう。

それでも、君にまた会いたいと思ってしまう。

これは運命なんだと思ってしまう自分がいる。

だから、まだこうやってのうのうと生きて、彼を待って、一緒に生きようと言う彼の言葉を待ちわびている。

心底卑しいと思う。

ああ、どうして――


私は神様なんて信じてない。

信じてないが――――


この世の全てを造った全知全能の何かに問いたい!

どうして私と彼は出会うのだ!!


「忘れるわけがない。忘れるわけがないんだ。君という人間は特別なのだから」

私の言葉に彼は満足そうに笑った。

目を閉じて、徐々に息が細まっていく彼。

息が止まる瞬間を私は見逃さない。

あと少し。あと少しで――




いち、に、さん。





ああ、きっと、この世界の何処かで彼は産声を上げただろう。今この瞬間に。

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