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ツン猫公爵令息は自身の純愛に気付かない 〜幼いリス令嬢から目が離せない理由〜

作者: 紬夏乃

 





 エーヴァウトは公爵家嫡男として生を受けた。齢は今年で12になる。跡取りとしての勉学に励み、忙しい日々を過ごしている。


 次代の国王を支えるものの一角として、王太子殿下との交流も欠かせない。幼馴染として共に励み、信頼を築き上げているのだ。


 そんな忙しいエーヴァウトはしかし、月に1度か2度、母から予定を押し付けられる。母の茶会に連れ出されるのだ。


 茶会と言ってもごく個人的なもので、参加者は母、母の友人である伯爵夫人とその5歳の娘、エーヴァウトの4人だけだ。エーヴァウトは毎回、伯爵家の幼い娘リシェの相手として駆り出される。


 エーヴァウトはいつも渋って断ろうとするのだが、母から『リシェちゃんが寂しがってしまうわよ』と言われるとどうしても断りきれない。あの幼い子どもが黒目がちな大きな瞳を潤ませ、しょんぼりと肩を落とすかと思うと罪悪感に苛まれる。


 その上に、とにかくあの子は目を離すと何をするかわからない。柔らかくふくふくした頬を赤く染め、小さな体ですぐにどこかへ行ってしまうのだから。




(全く母上もおば様も、僕がいるからと油断をしすぎだ)


 エーヴァウトはそう思いながら、自慢の耳をぴんとたて美しい毛並みのしっぽを揺らめかせて庭を歩いている。


 今日はいつもの茶会で、リシェは先程『リシェが隠れるから、エトくんが探すのよ』と笑って小さな手足で弾むように走っていった。またどこかの茂みの裏で丸く小さく座り込み、いつ見つかるだろうと期待してエーヴァウトを待っているのだ。


 エーヴァウトはなぜかリシェを見つけるのがうまかった。きっとリシェがほんの赤子のころから相手をさせられているから、すっかり匂いを覚えてしまったのだと内心ぼやきながらエーヴァウトは鼻をスンと鳴らす。


 エーヴァウトは猫の獣人だ。鼻は格別いうほどもよくはない。それでもなぜかリシェだけは見つけられるのだから、幼いころからの慣れとはすごいものだとエーヴァウトは思っている。


「見つけた、リシェ」


「ふふー、見つかってしまったわ」


 覗き込んだ茂みの奥で、リシェが頬を染めてくすくすと笑った。小さな耳はぴくりと動き、体の割に大きなしっぽが嬉しそうに揺らめいている。彼女はリスの獣人だった。


「さあ、母上たちのところへ戻ろう」


「いやよ、エトくん。さっきどんぐりを見つけたのよ。いっしょに拾いたいの」


「どんぐりを拾ってどうするのさ」


「だってね、集めたくなってしまうのよ」


「そう言って、去年しまった場所を忘れて部屋に虫が湧いたと泣いたのは君だろう?」


「もうわすれないわ!」


 リシェは自信ありげに笑って立ち上がり、エーヴァウトの手を引いた。小さくてふっくらして、柔らかな手は簡単に振り解ける。それでもエーヴァウトは、仕方がないなとため息をこぼしながらリシェについていった。


 だってリシェは、危なっかしくてどうにも目が離せないのだから。




 楽しげに座り込みここそこと落ちるどんぐりを拾い集めるリシェを横目に、エーヴァウトもこっそりとどんぐりを拾った。


 穴も割れもないきれいなどんぐりだけを片手に握り、反対の手でリシェの手を握ってふたりで母たちの元へ戻る。リシェはポケットをどんぐりでぱんぱんに膨らませ、満足そうに足を弾ませていた。


 きっと今年もまた、リシェはどんぐりに虫が湧いたと泣くだろう。だから仕方なく、そう仕方なく拾ったのだとエーヴァウトは誰ともなしに心の中で言い訳をした。


 殻が割れないように茹でて乾かし、ニスを塗ってリシェに渡すのだ。そうしてやれば、きっとリシェは泣かずにすむから。


 どうしてかエーヴァウトはリシェに泣かれるととても困ってしまうので、これは自分のためなのだと言い訳を重ねて手の中のどんぐりをコロと鳴らした。




 §




 次の茶会の日がやってきた。エーヴァウトはきれいにニスを塗ったどんぐりをポケットの中でもてあそびながらリシェを迎えた。


 ラッピングはしていない。どんぐりはわざとむき出しのままにしてある。だってこれはプレゼントのたぐいではないのだから、とエーヴァウトはまた心の中で言い訳をした。


 顔を合わせるなり笑っていつものようにどこかへ隠れようとするリシェをエーヴァウトは呼び止めた。


「待って、リシェ。両手を出すんだ」


 リシェは不思議そうに小首をかしげ、エーヴァウトの言う通りに両手を差し出した。リシェはエーヴァウトの言うことを、なにひとつ疑わないのだ。


 ふっくらした愛らしい手の上に、エーヴァウトはじゃらりとどんぐりを乗せてやる。リシェは手のひらのどんぐりを見て、瞳を輝かせて喜んだ。


「ねえ、これはどんぐり?すごいわエトくん!こんなにつやつやのどんぐりははじめて見たのよ!」


「よかったじゃないか。これならどこかにしまって忘れても虫は湧かないよ」


「これはなくさないわ!だってリシェの宝箱にいれるもの!!」


 きゃあきゃあとはしゃいだ声をあげながら無邪気に喜ぶリシェを見て、エーヴァウトはとても満足した。コロコロしたどんぐりにムラなくニスを塗るのは意外と面倒だったのだから。


「お母さまにも、見せてくる!」


 大喜びしながら駆けてきたリシェに、母たちは微笑みながら席につくことを勧めた。




「ほら、リシェ。そんなに頬袋にクッキーを詰めてはいけないよ。あわてて喉に詰まったら大変だろう」


 席につき茶菓子を勧められたリシェは、嬉しそうにひとつふたつと小さなクッキーをつまみ上げ頬袋にしまいはじめた。ころりと小さな丸いクッキーは、リシェの頬袋に詰めてくださいと言っているようなものだった。


「おば様も、笑っていないでとめてください」


 エーヴァウトはただ微笑んで見ているだけの母たちにじとりとした視線を向けた。


「でも、頬袋に詰めてしまうのは本能だもの、ねえ」


「あなたもよく頬袋に詰めては照れていたわねえ」


「やだ、もうしないわ。家だけよ」


「あら、ここなら気にしなくてもいいのに」


 母たちはそう言ってきゃあきゃあと笑い合う。リシェを止めるものはエーヴァウトしかいなかった。


(全く、僕がいるからと油断をする……)


 エーヴァウトは母たちに呆れ返って、リシェの柔らかな頬に手を添え、ゆっくりと頬袋を押した。


「ゆっくりと出すのだよ」


「ん」


 リシェの世話に慣れたエーヴァウトの力加減は適切で、リシェは頬袋からぽこりと出てくるクッキーをサクサクと音を立てながら食べていく。


「もうないね?」


「ぜんぶ食べたのよ」


「じゃあほら、これを飲むんだ」


 エーヴァウトはリシェの頬についたクッキーくずを指で拭いながら温くなった紅茶のカップをリシェに渡す。小さな両手でカップを受け取ったリシェは、ンクンクと喉を鳴らしながら紅茶を一息に飲み干した。


 母親たちは『微笑ましいわねえ』なんて言いながら眺めるばかりだ。全く、そんなだから自分が世話を焼くはめになるのだとエーヴァウトはため息をついた。


 リシェはそんなエーヴァウトの隣で、ふわふわに膨らませたしっぽを機嫌良さげに揺らしている。


「人の気も知らないで、しっぽがふわふわだよ。ずいぶんさわり心地がよさそうだね」


「エトくんのしっぽもふわふわで、するするしているのよ」


「どうして君がそんなことを知っているんだい」


「ええとね、それは、ないしょよ」


「全く……僕の知らないうちに勝手に触ったんじゃないだろうね?」


「そんなことはしないのよ」


 しっぽは獣人にとってとても特別なものだ。容易に他人に触らせたりなんてしない。気付かれないように触るなんて無理な話だった。


 きっとエーヴァウトのしっぽを見て、その豊かな想像力で触り心地を知ったような気でいるのだろうとエーヴァウトは納得した。


「君のほっぺたはさわり心地がいいよ。一体どこまで伸びるんだろうね?」


「リシェのほっぺはすごいのよ!たくさん入るんだから。エトくんなら、すこしくらいひっぱってもいいのよ」


「それはどうも、ありがとう」


 エーヴァウトは苦笑しながら差し出された頬を柔くつまみ、そっと引っ張った。頬はまるで溶けるんじゃないかというほど柔らかく、驚くほどよく伸びた。


「っふ、はは、どこまで伸びるんだい?」


ひっふぁい(いっぱい)よ」


 リシェは珍しく声をあげて笑ったエーヴァウトに喜んで、誇らしそうに笑みこぼれた。


 母親たちはその様子を微笑ましそうに見守っていた。






 その夜、エーヴァウトは甘い甘い夢を見た。


 まるで濃厚な蜜の中をたゆたうような甘い夢の中で、くすくすと楽しげに笑っているのはリシェだった。おぼろげにしか姿かたちが見えなくてもなぜかわかる。エーヴァウトはそれが間違いなくリシェだと確信していた。


 愛しい、恋しいという気持ちがこみ上げる。たまらない切なさに、おぼろげな彼女に手を伸ばす。エーヴァウトはあの柔らかな頬に触れ両手で包み込み、そして――――




 そこでエーヴァウトは体をびくりと震わせて飛び起きた。まるで全力で走ったあとのように、息は乱れ胸はバクバクと早鐘をうっていた。


「うそだろう……」


 時刻はまだ早朝で、白み始めた空がカーテンの隙間から覗いていた。エーヴァウトはぐっと胸を押さえ、寝間着の胸元を握りしめた。


「うそだろう……!?あの子はまだたったの5歳だぞ……!!」


 エーヴァウトは頭を抱え、立てた膝に額を打ちつけた。




 エーヴァウトは、気付いてしまった。


 茶会を断れないのも、目が離せないのも、泣かれると困ってしまうのも、仕方ないと言いながら世話を焼いてしまうのも、手が振り解けないのも、なぜかリシェだけを見つけられるのも、全部、ぜんぶ――彼女が、リシェがエーヴァウトの(つがい)だからだ。


「5歳だぞ…………ッ!!」


 エーヴァウトは布団に顔を押し付けたままくぐもった声を上げた。


 獣人にとって(つがい)とは何よりも尊くかけがえのないものだ。だってもう、エーヴァウトはリシェのことしか愛せない。本当は、無意識にそう気付いていたのかもしれない。だってずっと、ずっと目が離せなかったのだから。


 エーヴァウトは、もしこれが母ふたり――もう無意識に伯爵夫人を義母だと認定している――に知られれば、なんと言ってからかわれるだろうと頭を抱えた。


 それでもこの想いを告げずにいるという選択肢はない。だってリシェは(つがい)なのだ。リシェが隣にいなければ、エーヴァウトはきっと狂って死んでしまう。


「5歳…………」


 年齢差が恨めしかった。リシェが気付き同じ想いを返してくれるまで、一体どれだけかかるのかとエーヴァウトは震える声をこぼした。




 §




 また、茶会の日がやってきた。


 エーヴァウトはあの日から、リシェに会える日を指折り数えて待っていた。もう渋ったり断ろうとしたりなんてしない。だってエーヴァウトは、リシェに会えるのが嬉しくてたまらないのだから。


「リシェが隠れるから、エトくんが探すのよ」


 リシェはエーヴァウトに会うなり、いつものように笑って走り出す。エーヴァウトはその背が見えなくなるまでは自身を抑え込み、リシェが隠れたとたん弾かれたように駆け出した。


 今日はリシェに、いつ見つかるかとわくわくしながらエーヴァウトを待つ時間を与えることができなかった。


「見つけた、リシェ」


「すぐに見つかってしまったわ!」


 息を弾ませて茂みを覗き込むエーヴァウトに、リシェは目を丸くして驚いた。


 エーヴァウトはそんなリシェの前に膝を付き、真剣な顔でリシェを見つめた。


「今日は大切な話があるのだよ」


「だいじなのね、なあに?」


 リシェはきゅっと眉根を寄せ耳をピンと立てて、真剣な顔をしてみせた。


 エーヴァウトはそんなリシェにどうしようもなく笑みこぼれてしまって、微笑みながら彼女の頭を撫でた。


「リシェ、君は僕の(つがい)だ」


「つがい?」


「リシェが大きくなったら、僕のお嫁さんになるってことだよ」


 リシェは優しく微笑むエーヴァウトをぽかんと見つめ、それからふくふくした頬をばら色に染めて満面の笑みを浮かべた。




「なるわ!リシェはエトくんのお嫁さんになる!」




 エーヴァウトは、もうその言葉だけで満ち足りた気分になった。この幼い子が気付くまで何年だって待てる。いつか気付いてくれる日がくると、わかっているのだから。


「さあ、母上たちに言いに行こう」


 エーヴァウトはリシェに向かって手を差し伸べた。リシェはその手に小さな手をちょこんと乗せて、促されるまま立ち上がった。


「エトくんのお嫁さんになるのよって言いにいくのね!わかったわ!」


 ふたりは手をつなぎ、母たちの元へ歩いていった。




「リシェは僕の(つがい)です」


 エーヴァウトはすました顔で母たちに向かって言い放った。『あんなにツンとした態度を取っていたのに?』とからかわれるのが嫌で、当然のような顔をしてみせた。


「あら、やっと気付いたの!」


「まあ、ついに気付いたのね!」


 母ふたりはエーヴァウトの予想とは違って、まるでエーヴァウトだけが気付いていなかったかのような反応を返した。


 予想外の反応にエーヴァウトが面食らっていると、母たちはふたりできゃあきゃあと盛り上がり始めた。


「リシェちゃんが来るわよと言ったら口で文句を言いながらしっぽをピンと立てるし」


「無意識にリシェにしっぽを巻き付けているし、ねえ」


「初めて会わせたときからわかっていたわよ、ねえ」


「初めて会ったときね。あの瞳」


「瞳孔が開いていたものねえ」


「赤ちゃんのリシェをじっと見て、もうあんなの(つがい)だってわかっちゃうわよねえ」


 エーヴァウトはそっと自分のしっぽに視線を送った。エーヴァウトのしっぽは、リシェにしっかりと巻き付いていた。無意識に。


「お母さま、もうないしょにしなくていいの?」


「いいわよ、だってエーヴァウトくんがちゃんと気付いたもの」


 リシェはずっと知っていたかのような様子で母に尋ねている。当たり前だ、なにせ自分の体に巻き付いているのだから。


「エトくんのしっぽはふわふわで、するするしているのよ!ねえ、なでてもいい?」


「……構わないよ」


 リシェは、ずっとそうねだりたかったのだと瞳を輝かせてエーヴァウトを見上げた。エーヴァウトはリシェの言葉に天を仰いで、力なくこたえた。


 気付いていなかったのも、ツンツンした態度を取っているつもりだったのも、自分ひとりだったのだ。


 リシェはとても嬉しそうに、エーヴァウトのしっぽをそっと撫でた。




 エーヴァウトのしっぽは本人よりもよほど素直で、嬉しそうにリシェの手に擦り付いていた。









【登場人物紹介】


エーヴァウト

イメージはアビシニアン。

知らないのは本人だけでしっぽは素直。忙しい身だと言うわりに、使用人に任せず手ずからどんぐりにきれいにきれいにニスを塗っていたのも、かくれんぼに毎回『リシェがわくわくを満喫して、見つからない不安を感じないくらい』の時間わざと見つけずに付き合っていたのも笑いどころ。全て無意識。


リシェ

イメージはシマリス。

ばぶばぶのころにエーヴァウトとうまく言えず、「えーぁと」「えーうぁーと」と繰り返した結果「エト」と呼ぶようにエーヴァウトから教えられた。彼女専用の愛称。母親から「エーヴァウトくんがしっぽを巻きつけるのは無意識だから、秘密にしないと巻き付けてくれなくなるわよ」と言われたので一生懸命ないしょにしていた。


母親ふたり

エーヴァウトの前でリシェの世話を焼くとエーヴァウトのしっぽがぺしーん!ぱしーん!!(無意識)するので手を出さず見守っていた。茶会ではずっと「うそでしょ、まだ気付かないわ」「無意識だわ、どうして気付かないの?」と盛り上がっていた。

茶会自体も番のふたりを会わせてあげようと定期開催している。


ツン(本人の認識)デレ(全ての言動)です。

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アッこれは素晴らしいですね…よいものを読ませていただきました。 これをなんとか映像でも見れないものか脳内で頑張ってみたいです。がんばれわたしの脳。
[良い点] エーヴァウトくんの感情と連動する、尻尾の表現。 自分が猫飼いなので、「そうそうそうなんだよ!」となってしまいました。ごきげんなら尻尾がぴんと立ち、イライラするとぺしーんぺしーんするんですよ…
[一言] エトくん可愛すぎるでしょ( ´∀` ) もうニヤニヤが止まりませんぞ( ´∀` )
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