8◆おい、アンタ何してんだ
正面玄関側は派手に電飾が施され立派な建物に見えたが、裏側から入れば古い雑居ビルの内側という感じである。静江はここで長く働いている給仕である。いつまでも積んで置きっぱなしにしてある空き瓶が気になり運んで行ったのだ。本来は調理場や清掃員の仕事だが色々気が付く世話焼きだ。
従業員の控室に行くと、勤務前のスタッフが煙草を吹かしているところだった。
「あれ、流架じゃん」
「裕子さんお久しぶり」
「裏で会ったから捕まえてきたの!占ってくれるって!」
「へー女の子たち喜ぶじゃん」
この店では流架は退治屋よりも占い師で通っているようだ。
「いいよ、占うぜ。ただし当たるかは知らねえけどな」
「前にやってもらった時、流架ちゃんの占い通りだったの!あんな男別れて正解だったわ!」
「はは、そいつは良かったぜ」
流架はタロットカードに書かれている意味は知っているので、引いたカードを適当に読むことはできるが未来を当てる力があるわけではない。なので占いと言っても適当なのだが、こうして当たったと言われ頼まれることがあるので、そういう時は小銭を稼ぐ。人間関係の相談の場合、大抵話を聞くだけで占うまでもないということがほとんどだ。浮気男や浪費男など別れた方がいいなんて占わなくてもわかる。
「このボクちゃんは流架の弟分かい?」
裕子と呼ばれた静江より歳のいった給仕が、大きなポットからお茶を汲み客人の前に置いて聞く。
「そんなもんかな」
「そう。ボク、流架につられて悪いこと覚えちゃだめよ」
「お、おう」
「俺をなんだと思ってんだよ!」
流架が言うと、裕子も静江も笑う。流架はいつだって話しやすいのだ。
康は平均よりも背が低いので歳より子供に見られることがあるのだが、この女性も自分のことを随分子供だと思っているんじゃないかと疑惑が沸く。ちなみに康は14歳だ。
「あ、ところで今日ってヒビキのステージあるよな?」
「今第一回目をやってる最中よ。終わったら呼ぶ?」
「いいか?ちょっと野暮用があって」
「とうとう付き合うの?」
「いや、ねーな」
会話の内容からして「ヒビキ」というのは女性らしい。その人があの倉庫の持ち主なんだろうか。そうこうしているとこれから勤務だという子や、休憩に入ってきたスタッフも流架を見つけ声を掛けていく。わいわいと盛り上がる輪の外で康は大人しくしていたのだが。
「すいません」
「なに?」
声を掛けたのは裕子にである。
「トイレ借りてもいい?」
「ここ出て、突き当り行って左の更に突き当り。ちょっと距離あるわ」
「あざっす」
窓のない廊下の脇には舞台装置やら段ボールが置いてあり雑然としている。この廊下は休憩に行ったり帰宅する以外は通らないため常に人がいるということはない。途中、賑わいの音が聞こえてくる通路があり、そちらへ曲がると店内へと続いて行くのだろう。キラキラと華やかな場所も裏側に行くとこんなものだ。康は薄暗い廊下の奥へと歩いて行った。
***
ステージの上はライトの光で思った以上に汗をかく。ヒビキの次には大道芸が始まっており、客を賑やかしている。ここはステージに立つ者を目当てに来るような場所ではなく、酒を飲む余興が延々と続くような店だ。ヒビキは週末にこの店で4ステージ契約しており、あとは単発の依頼で歌っている。次のステージまでに化粧を直し、喉も労りたい。休憩時間と言っても余裕はないのだ。
ステージから捌けて舞台出演者用の控室へ向かう途中、ヒビキは唐突に腕を掴まれた。掴んだ相手は高そうな服は着ているが皺になっており、無精ひげも相まって不自然な印象の男である。
「ヒビキ、元気か」
「…アンタ、なんでここにいるの。ここは辞めたんでしょ」
「忘れ物したって言ったら入れてくれたよ」
無精ひげの男は卑屈そうな笑みで言う。
「なあ、金貸してくれよ。お前しか頼れねえんだ。10万完用意できねえと殺されちまう」
「あんた私に返さなきゃいけないんじゃなかった?」
「全部まとめて返す。な?頼む。今回は本当にヤバイんだ」
「実家に頭下げろこのクソボンボン!」
世間知らずそうな男が寄ってたかって毟られているのを可哀そうに思い、、少しだけ金銭的に助けてしまったのがヒビキの運の尽きであった。この男は金を引っ張れそうな相手と思えばしつこく付きまとうのである。良家に生まれたのに関わらず、歓楽街で飲み屋の下働きをしていたのも、そういう資質が招いた結果だ。
無精ひげの男から笑みが消え、ヒビキを冷たく見下ろす。自分の希望を叶えないつまらない女だ。腕は掴んだまま逃げられないようにし、男は拳を振り上げた。
顔を殴られれば歌えない。ヒビキが青ざめたその瞬間、男の腕を止めた者がいた。
「おい、アンタ何してんだ」
振り向いた男は声の主の姿はすぐに視界に入らなかった。小さいのである。自分の肩あたりに頭がある少年だ。
「おい姉さん、こいつはならず者か?」
「そうよ!誰か呼んで!」
生意気そうな子供に突き上げるように見上げられ、男の怒りは一瞬で頂点へ達する。自分よりも弱い相手には隠すことなく怒りを見せるのだ。
「コラァ!クソガキが!ぶっ殺すぞ!」
ヒビキから手を放し、先ほど見せた卑屈さを引っ込め脅しに掛かる。しかし康の胸ぐらを掴もうとしたが素早く避けられ、指一本触れることはできない。
康は男から視線を外すことなく、後ろ歩きでステージの控えに続く廊下を抜け、T字に左右へ続く場所まで来た。向かって左に少し行けばトイレがある。
「誰か呼ぶのは姉さんがやってくれ」
そう言うと康は追ってきた男に目にも止まらぬ速さで足払いをし、転倒した男の腕を捩じり上げてそのまま背中に馬乗りになった。
ヒビキがヒールを脱ぎ裸足で人を呼びに行く間、康の下で罵詈雑言を吐きながら男は蠢くしかできない。裏口にいた警備員が現れると今度は言い訳を始めたが、そのまま外まで引きずられていった。
「姉さん、怪我してねえか?」
「それはこっちのセリフよ!大丈夫?」
「俺は別に。手ぇ出したの怒られなくてよかった。まあ、出したの足だけど」
康の通う学校であれば理由はどうあれ、こんなことがバレればお説教とペナルティが待っている。
「ちょっとどうしたの?ヒビキさん、流架ちゃんが来てるわよ!」
騒がしさに様子を見に来た静江がヒビキを見つけて声を掛ける。
「流架が?」
「ヒビキ?」
そう言って康はヒビキを見る。両手に靴を片方ずつ持って立っている彼女こそ、今回やってきた理由の相手らしい。