24◆皇・南門へ
翌日、織姫は佐河に借りたトレーナーとハーフパンツといういで立ちだ。トレーナーは寝間着として借りていたものをそのまま、ハーフパンツは佐河が「出番はないかもしれないけど一応」と持ってきていたものらしい。下着をどうしようかと思ったが、洗濯機と乾燥機を搭載した車両が一緒に来ているとのことだ。
「本日撤収なので排水のための穴を塞いでしまって洗濯はできないのですが、乾燥機は使えますのでどうですか?」
と、織姫が何か言う前に佐河が言ってくれたのだ。ずいぶんと配慮ができる人らしい。有難くこっそり下着を手洗いし乾かした。
身支度もできて討伐隊も出発できる状態になったところで、吉見が弱った様子で佐河と織姫の元にやってきた。
「申し訳ない…本部から統神宮へ連絡してもらったんだが、取り合ってもらえなかったようで…」
迷子の少女にこんな話は酷だろうと、とても言いづらそうに吉見は伝えた。しかし織姫には想定していたことだった。もし、皇の転移の陣を使えたのならそれが皇一族の証明となっただろうけど、それができない今、織姫であるといくら言っても信じてもらえないだろう。
「あ、いえ…ひょっとしたらそうかもって思ってたので…。でもどうしよう…」
「皇の統神宮は私も連絡をしたことがありますが、よほどきっちり段取りが取れていないと取次ぎもしてもらえないので、電話の受付の方に聞いてもらえなかったのかもしれません。織姫さん、他に繋がりやすい場所…お知り合いの方がいる場所なんかありますでしょうか。番号がわからなくとも皇の拠点であれば白隊でも連絡先は把握しています」
佐河に聞かれて、織姫は首をひねる。皇の南門にかつて叔父の波瑠那がいたはずだが、果たしてそこまで取り次いでもらえるだろうか。そもそもこの姿で織姫だと言っても信じてもらえるかどうか。
「うーん…どうしよう、一番いいのは祷牙なんだけど…」
祷牙、織姫と一緒に事故に巻き込まれてしまった織姫の助手である。あの時命がけでフラの負で満たされる場をできるだけ浄化したから命は助かったと思うが、今はどうしているだろうか。
「祷牙さん?南門の守護の祷牙さんですか?」
「え!?」
「シラの方で、お歳は私くらいの」
シラの祷牙など一人しか思い当たらないが、彼の歳は14、5であった。それが佐河と同じ年ごろということは十年が経過した時に転移してきたということかと織姫は考えた。
「あの子、南門を任されているんですね。私の知ってる祷牙だと思います」
「なるほど…ではそこに向かいましょう」
「え!?」
「ああ、向かうのは私と織姫さんだけです。吉見くんはみなさんと一緒に戻ってください」
驚いた声を上げたのは吉見と織姫の両者だ。佐河がここから皇の南門まで送っていくというのだろうか。
「祷牙さんも顔を合わせたことはありますが、きっと電話になんか出てくれない方だと思うので、乗り込んだ方が早いと思いまして」
「ああ…確かに」
佐河の言葉に納得する吉見に、一体祷牙は普段どういう態度をしているのかと織姫は不安になった。電話くらい出てほしい。
「南門で門前払いになったら、一旦白隊に身を寄せてください」
「はい、何から何までありがとうございます」
討伐隊と別れ、撤収された野営跡地に佐河と織姫の二人だけが残された。そして佐河は携帯していたビニール袋を広げ地面に置く。そしてマジックペンを取り出して陣を描き始めた。
「あの、転移の陣にしては随分略されてると思うんです…それになんでビニールに描くんですか?」
「陣を勉強されているんですね。時短するのに省略しました。あと、ビニールに描く理由はですね」
陣を描き終えた佐河はそのビニールをピンと空に向かって飛ばす。波動弾の応用で力が弾になりビニールの陣を空高く押し上げていく。
「地上に着地するのは障害物もあったりして任意の場所を指定しないと難しかったりしますが、上空で展開させた陣なら同じ高度で方向と距離さえ設定したらとりあえずそこに出ちゃえばいいので」
陣の転移とはそういうものではない。入口にも出口にも陣がきちんと描かれているのが常だし、そんな任意の場所にぽんぽん移動できたらオカシを退治できる人という枠を優に超えて超能力者になってしまう。
そういえば昨日も佐川は何もない高いとこから降りて来た。飛ばしたビニールは地上からだいぶ離れた、ビルの十階程度はある高さで展開された。これで一緒に転移すると、まさか同じ高さから落下することになるのではないか。
そして織姫はもう一つ気付く。
「だ、だめです佐河さん!皇の土地は皇の転移陣しか通過できません!結界があって、あまり優しい結界じゃないのでぶつかったら大変なことになります!」
「あ、そうでしたね」
今気づいた、というように佐河は言ったが陣は発動してしまった。きっと結界に弾かれた瞬間結構なダメージが来るだろうと織姫は覚悟した。しかし。
「黒龍門!」
「黒龍門!?」
黒龍門も陣である。名の通り黒龍を呼ぶための門で、陣による召喚術だ。陣は現在転移に主に使われており、召喚術で使う人は一部マニアだけだろう。陣も複雑で描くのが面倒な上、呼び出すのに術者のエネルギーを食わせる必要がある。黒龍は確かに強力な精霊獣だが、その分食べるエネルギーも多い。そんな大技一撃のためにエネルギーがすっからかんになるなら使いどころがなかなか無いのだ。
そして陣は陣が描かれていなければ発動しない。いつの間に陣を!?しかもどこに!?と思って佐河を見れば左の手のひらにマジックで何かが描かれている。そんな所に陣を描いた人を見たことはないし、複雑なはずの黒龍門の陣もなんだか省略されている。こんなので発動するわけがないと織姫はやっぱり思ったが、したのだ。
佐河が展開させた陣から黒龍が現れ皇の結界を食い破る。さすがの皇の結界だけあってその一撃で立ち消えるようなことはないが大穴が開いた。そして無事に佐河の転移は目的の南門前の遥か上空に辿り着いた。
「お…落ちる…っ!!」
「大丈夫です」
佐河は織姫を抱きかかえながら地上に向かって精神弾を何度も放つ。それによって落下の勢いを削ぎ、最後には織姫を横抱きにしながら無事に着地した。
(…こんなことできなくない?)
織姫は今起きたことが信じられずにそう思ってしまった。
そもそも、陣の転移が力を使うものであり、黒龍門はもっとで、更に精神弾と来たら普通はもう立てていない。それを織姫を横抱きに上空から落下し着地をしたのだが、「人を横抱きにしならが上空から落下し着地」なんて人間のやることだろうか。織姫は考えすぎて真顔になっている。
無事着地したが結界が破られた非常事態に警報が鳴り響いている。
「これならどなたか来ていただけそうですね」
よかった、みたく佐河は言うが、状況は恐らく良くはないと織姫は思う。結界破りに対して法的罰則は無いが、ナメた真似をやがってと皇の鼻息の荒い衆が何をするかわからない。十年経っているが皇のそういう品の無い田舎者対応は変わってないと確信があった。
「あの、ここからは私一人で行きますから佐河さんは逃げてください!」
「逃げるようなことはしていないから大丈夫ですよ、あれは故意に起こした事故ではありません。賠償があるかもですし、皇の方に説明させてもらいます」
「あの、皇はそういうことをまともに話せる人間が極めて少なくてですねっ脊髄反射で暴力に出るか、相手の非を十倍にして吹っ掛けてくる人が九割なんです!」
「織姫さんは本当に皇の方なんですね、よくご存じで」
自分の一族は他所でろくでもない印象を持たれているらしい。織姫は気まずい顔でじっと佐河の顔を見るが、にこやかなのは変わらない。
「現場でもたまにご一緒しますからその傾向があるのは承知しています。なので対応を一度で終わらせるためにも南門のトップをここに引きずり出すのがいいはずです」
佐河が言い終わるかどうかというタイミングで南門の方向から波動弾が飛んで来た。佐河は踵で自分と織姫の周囲に円を描くと簡易的な防御壁を張る。
(これも陣…よね、ただの円だけど…)
ただ円を描いただけの防御壁は波動弾の衝撃に耐えた。
「これで結界が張れるならどこも楽ですね…」
「教本にもあるものですから真似していただいて構いませんよ。織姫さん、少しの間こちらでお待ちください。お怒りになってる皇のご担当者さんがいらっしゃるようなので」
真似するも何もただの円なのだ。普通の人にはできやしない。
断りを入れて防御壁から出る佐河に織姫は言葉を掛けることができなかった。佐河があまりにも素早いのもあったが、何と声を掛けても佐河はやりたいようにやるだろうし、そして佐河の思うとおりにしてしまうのではないかという妙な説得力が彼にはあったのだ。




