22◆織姫、あの時の第四危機区内にて
光が集まったような扉を開いて繋がった先は森の中の少し開けた場所だった。人の気配などまるでないが、先ほどいた世界にはない「負」の気配を感じて、帰って来たのを実感する。
ここがどこかはわからないが、ひとまず一番近い陣まで飛べばいいだろう。皇が守る場所には必ず皇家に伝わる場渡りの陣が敷いてある。全国にある同じ陣同士でネットワークが組まれ行き来が可能だ。皇家の特殊な陣で余所者は利用することができないのでセキュリティ的にも安全な代物である。
織姫は手ごろな小枝を探し、草を抜いて土のキャンパスを作った。自分一人飛ぶならば直径50cm程度でいいだろうと、そこへ場渡りの陣を正確に描く。織姫の神力であれば首都から統神宮まで飛ぶくらいは簡単なものだが、ここが弓状の島である日帰の先端だったりすると下手に座標を統神宮にした結果、力が足りずにおかしな場所に不時着する可能性がある。一番近くまで飛んで、また改めて統神宮まで飛ぶか、迎えに来てもらえばいいのだ。皇の陣を使えたことが皇家の人間である証明になるのできっと誰かは来るはずだ。
織姫はそんなことを考えながら陣を描き終え立ち上がると、力を注ぐために集中する。集中する…が、いつもなら息をするようにできていた力の開放が起きない。
「…うそでしょ」
何度か試してみるもののやはり結果は同じだった。これでは地面に描いたものはただの落書きである。ここは誰もいない森の中、どちらへ行けば人里へ出るかもわからない。そんなところにサバイバル技術の一つも持たない少女一人が放り出されたのだ。
ここは日帰だ。森には野生動物の他にオカシもいるだろう。以前の力を持っていれば手ごわいオカシだろうと織姫の敵ではなくぺぺいのぺいっで終わりだったが、何せ陣も飛べないのである。
織姫はしばし思案する。森から出られないにしても水は無いと生きていけない。それに川があればその流れを辿りいずれ人のいる場所まで辿り着くのではないだろうか。
「川…」
見渡すが川は見当たらない。織姫はひとまずの目的を「川を見つける」に設定し耳を澄ませながら歩き出した。水の音を聞き逃さないように。
***
幅が1mほどある川を見つけた頃になるともう陽はすっかり傾いていた。落ちきる前に見つけられてよかったと織姫はほっとするが、さて。
「…ここからどうしよう…」
目の前に水はあるが、このまま飲んでいいものだろうか。沸騰させて消毒すれば飲めるだろうが、ここには器も無ければ火も起こせない。
それにこれから夜がやってくる。織姫はセーラー服を着ているだけで羽織るものも持っていない。現時点でかなり肌寒さを感じている。スカートなので足は草で所々切れてしまったし、虫にも刺された。森に入る格好ではないので当然である。
「…川を下らなきゃいけないだろうけど…もう歩けないよぉ…」
辺りには誰もそれに答える者はいないが織姫の口から泣き言が漏れる。
「統姫ぇ…これはあんまりよぉ。疲れたよぉ…喉乾いたぁ~…」
川のほとりに丁度いい岩を見つけ、くすんと涙目になりながら腰掛けるともうそこから一歩も動けないと織姫は思った。
「康ちゃん…っ」
ここにはいない幼馴染を呼んでみるも現れるはずもなく。だけど名前を呼んで元気を出したいのだ。織姫にとって康の名にはそんな効果もあるらしい。
そうこうしているうちに陽は沈み辺りはあっという間に真っ暗になった。都心の明かりが消えない場所に14年住んでいた織姫にとっては久方ぶりの闇だった。
(自分には力があったから、こんな闇も怖くなかったのね)
当たり前のことなのだが、力を無くして初めて思った。康のいる世界に生まれる前の織姫は一族の歴代一番と言われるほどの力の使い手で、幼い頃から難なく使いこなし何にも困ることはなかった。
せめて火を起こす方法があれば少しはましかと思ったが、織姫は大事なお姫様扱いで身の回りの世話はお手伝いさんたちにしてもらっていたし、先ほどまでいた世界だって、夜の闇は街灯で薄まり安全な場所から出たことなどなく、良識のある優しい両親に守られて暮らしていた。何不自由なく育った織姫には何もない場所から火を起こす方法など思いもよらない。
(弱いと、不安になるのね)
自分が持っていたものと周囲がいかに強い守りだったのかを思い知る。岩の中で膝を抱えて体育座りのようになった織姫の心は沈みこむ。こんな真っ暗な森の中で一人でいるのだ、そんな気持ちにもなる。ぎゅっと縮こまり真っ暗な闇をただ眺める。月が無い夜なので本当に墨のような闇だ。目を瞑っているのと変わりがないと思っていたら、遠くにちらりと光る何かが見えた気がした。
「明かり?人がいるの!?」
もしかしたらこんな森の中でも旅人がいるのかもしれない。思わず織姫が明かりの方向へ歩き出すと泥濘を踏んでしまった。
「~~~~~~っもうっ!」
何も見えないのだ。あの光に辿り着く前にどんな障害物があるかわからない。だけどこの場でじっとしているより光を目指した方がいい。織姫は見えない足元を一歩ずつ確認しながらどうにか歩き出した。




