21◆織姫の帰還
時間が随分空いてしまいましたが続きです。
皇は揺れていた。この場合の皇は退治屋組織としてではなく、皇一族である。
皇一族の祭神である統神は皇村の統神宮に祀られている。そこから20里ほど離れた四方の位置にそれぞれ守りの門が置かれているのだが、その南門から十年前に姿を消した織姫が現れたと連絡があったのだ。失踪した時の年齢は十七、ならば今はれっきとした成人女性ではあるものの、どのような状態なのかは不明である。
その知らせに皇の本家の邸宅へ皇の主たる人物が集った。皇には本家と裏本家が存在し、本家の当主が総元締めとされているが、呪詛を司る裏本家無しに現在の皇の栄光はない。元は一つだった本家と裏本家は絶妙なバランスで拮抗し今日までやってきた。
本家は呪詛を生業とはしていないが、理屈抜きの力だけで『負』を祓う神力を持った人間が現れる。そういう力の意味でもバランスが取られていた。
その本家の姫、歴代で一番の神力を持って生まれた織姫は十年前、祓いの儀を依頼された現場で事故に巻き込まれ行方知れずとなった。犠牲者を多く出した大事故で、見つからない遺体も多い。織姫もその中の一人ではないかと誰もが思ったが、皇の権威は唯一無二の統姫の神力使いであり、その使い手の織姫が死んだなどと公表することはなく、この十年で皇は更に大きな組織となっていった。
「フン、今更本家が何を担ぎ出そうと言うのか。大方どこぞで神力使いの女でも見つけて織姫として立てようという魂胆だろう」
肥えて脂ぎった男、裏本家筋である大寒は忌々しい気持ちを隠しもせずにそう言った。神力使いがいた頃は裏方に徹するのが裏本家の在り方だったが、織姫の不在を埋めるために養成所を作って能力者を増やしたものの、それでも足りず裏本家の能力者に頼らざるを得ない状況になり、在り方は変化した。そのおかげで裏本家管轄の北門養成所の管理を任された大寒に少なくない金が入って来るようになった。それを易々と手放すわけにはいかない。その横で茶菓子を延々と音を鳴らしながら食べているのは息子の小寒だ。大寒をコピーして若返らせたのかと思うくらいに似た親子で、北門養成所の指導員をする小寒も父と同じ心持ちだ。
「おかしなものを担ぎ出すつもりならアタシが知らないわけないでしょうよ。ちったー頭使って喋んなさいよ」
大寒を一瞥しそう言ったのは本家当主代理の波瑠那だ。肩まで伸びた髪にちょび髭を生やしたれっきとした男性である。当主、織姫の父親でもある豊阿季<とよあき>は、娘が失踪してから表立っては出て来なくなり、当主の代理として波瑠那が手腕を振るっている。その隣には波瑠那の補佐として働く息子の端午が困ったような笑みを浮かべ、まあまあと二人を諫める言葉を言う。
大寒は裏本家当主のいとこに当たり、昔、それこそ幼い頃から本家、特に波瑠那に突っかかっていた。それぞれの当主を支える立場や、今ここには来ていない波瑠那の次男は南門養成所で指導をしているのもあり、何かと似ている境遇に比較をしてしまうのかもしれない。
「何を貴様!いいか!言っておくが今更織姫が帰って来たところで神力なんぞなくとも皇は揺るがない!この十年で整えた体制を変えてまた神力の姫に侍るなぞ愚よ!」
「今はそんな話してないわよ!織姫が帰って来たって一報があっただけでしょう!」
言い合う二人に本家筋、裏本家筋がそれぞれ加勢するように人が加わり大広間は酷い喧噪となった。諫める端午の言葉はかき消されて通らない。だがその声もピシャリと襖が開く音でピタリと止んだ。
「貴様らは黙って待つこともできんのか」
襖の向こうに立っているのは少年と青年の間くらいにある男だ。耳のあたりで切り揃えられた髪は艶やかで役者のように整った顔だが、眉間に深く皺を寄せ不機嫌さを隠さず、その目は酷く暗い。名は冬騎夫といい、裏本家当主の次男であり、呪詛のエキスパートである呪眩師<じゅげんし>だ。
冬騎夫が部屋の中央、大寒と波瑠那がいるあたりに向かって歩き出すと人々は避けて道ができる。織姫が歴代最高の神力使いだとしたら、冬騎夫は歴代最高の呪眩師だ。本家、裏本家の中心から離れる程にその存在に畏怖が生まれる。彼の不遜な態度も許されるのだ。
「…フン」
大寒は言い争うのを辞め、使用人に酒を持てと命令した。大寒にとって暇つぶしは酒に限る。波瑠那も冬騎夫も用意された座布団に座りその時を待つ。
***
門を超え数分車を走らせると本家の屋敷がようやく見える。築百年は優に超えたこの屋敷は十年ぶりであってもさして変わってないように見えた。
「織姫様、小うるさい蠅どもが集まって来ていると思いますが、この祷牙が追い払いますのでしばしの辛抱を」
「ほんっとうに口が悪いわね祷牙」
車を降りると先に出た祷牙がぱっと傘を広げた。小雨が降っているのだ。
祷牙、皇の南門を任される能力者だが皇の一族ではない。「皇の制服」と呼ばれる浄衣を着ており、腰まで伸びた髪は銀にも見える白髪。潜在能力が高いと言われるシラである。白い服に白い髪の祷牙を見て、どこもかしこも真っ白だと織姫と呼ばれた少女は思う。
ざわめく邸内や外に駐車してある車の数に「確かに、お出迎えは多そうね」と言い、祷牙の差し出した傘に入る。
傘。ゆがみもなくしっかりとした作りの美しい傘。いつも一緒にいた人が持つビニール傘とは当然ながら違っていて、それに一瞬悲しみが過ぎる。
(康ちゃん)
織姫――いや、彼を想うこのひと時彼女は幼馴染の織だろう。
十年前、日帰軍に祓いの儀を依頼されて赴いた現場で事故に遭った織姫は確かにそこで亡くなった。そして康の生きる世界で再び生まれ、水島織として十四年生きていた。織姫としての記憶はなくただの少女として過ごし、隣の家に住む幼馴染の康のことが出会った時から好きだった。
織姫としての記憶を取り戻した時、一緒に織姫だった時に持っていた神力が解放されたのを感じた。そのままあの世界で生きることもできたのだが、それには条件がある。神力を使わないことだ。織姫の持つ神力は統姫から賜ったもの、統姫のいない世界で行使できず、使えば必ず日帰に繋がり戻ることになるだろうと、再び神力を得た瞬間に織姫は理解した。
使わない、という選択はできなかった。何故なら燃え盛る廃ビルの中に康がいたのだから。
織姫の神力で炎のエネルギーを吸い上げたら扉が現れた。扉は統姫の意志そのもの。
『この世界から一つだけ持ち、日帰に帰還せよ』
統姫が伝えることを感じ取った織姫は、康への恋心だけを持って帰ってきたのだ。
再び立った懐かしい国は十年が経っていた。本当は事故があった時期からそう離れていない時間に帰って来たかったが、違う世界から飛んだのでこれが限界だったのだろう。
祷牙の案内で本家邸宅の大広間へやってくると思った通りの反応だった。
失踪した十七より若い子供を連れてきて織姫とは片腹痛い、顔が似た娘を用意して一体何をさせる気だ。
織姫が説明をする前に親戚たちのあちこちから声が上がるのを波瑠那が「まずは話を聞きなさい!」と怒鳴り散らしているが喧騒が激しくなるばかりである。
そうだった、うちの親戚そうだったなぁ…と織姫がげんなりとしていると「おい」という言葉で騒ぎが止まった。張り上げてもいないのに不思議とよく通る声の主は冬騎夫だった。
彼は席に着いたまま視線だけ織姫へ動かし鋭く睨む。
「見てくれなどどうでもいいが、その小娘から神力を感じん。織姫が織姫たる証拠もなく本物を騙るとは随分図々しい話だな」
本当にその通りね。
織姫は心の中で冬騎夫にそっと同意する。
統姫の意志のままに日帰に帰ってきたが、帰る直前に使えた神力の一切が体から感じることが無くなったのだ。なのでこの本家までやって来れたのも運が良かっただけなのだ。織姫は少し前のことを頭に巡らせる。
あの時、第四危機区内に「康ちゃんへの恋心」だけ持った状態で単身放り出されていた。あまりに無力である。




