12◆傘の力
祠から裂けたバリケードへ続く獣道には負の気配が漂う。何者かがバリケードを悪意を持って壊したのだろう。
「外道の仕業か」
流架は周囲を確認するが人のいる気配はしない。
オカシ退治を仕事にしている能力者を退治屋と言うが、生まれ持った力を反社会的行為に使う能力者を外道と呼ぶ。丑寅の祠を守る森は本来迷宮の術が掛けられ、そう易々と壊しになど行けない。
幣星のバリケードは透明の中に半透明の網模様が映っているのだが、裂け目を中心として半径5mほど赤くただれたようになっている。
「なんだこりゃ…」
流架も初めて見る現象だ。状況を確認しながらも手にはすでにタロットカードを持っていて素早く一枚引く。
「女教皇の正…」
弱い気がする、という言葉は飲み込んだ。しかし流架のこういう勘は当たるのだ。
「女教皇の正!バリケードをきれいにしてね!」
力を発動し溶けて泡立つ赤いバリケードを浄化する。色が端から赤から白になり歪んだ状態で固くなっていくが、すぐには終わらなさそうだ。
流架の力は負なので浄化作業は苦手である。しかし爛れたバリケードを上から強化もできず、かといって街を覆うバリケードを張り替えるなんてこともできないので、結果この方法しかないのだ。
バリケードを張るのは上位能力者たちが何日も掛けてやることだ。周囲にも結界を張りながら応急処置を進めるが、流架は早く応援が来てくれるのを祈る。
その時だ。
裂け目から何かが猛スピードで駆け抜けていく。流架の張った結界など一瞬で粉々にしていった。それは祠へ続く負の気配上を走っているようだった。
「康!」
祠の方向には康がいる。流架はなぜ森に入る時に康も連れて来たのかと思う。嫌な気配がしていたのにどうして。
流架は浄化の手を止めて祠に向かって走り出した。
変な気配がする。
壊された祠で待っていた康は流架の向かった先をじっと見ていたが、何か黒い物がやってくる。オカシというやつだろうか。バリケードの内側なのにオカシが出てまずくはないんだろうか。大きな音とも声とも聞こえるそれはひどく不快である。
「…黒いゴムホース?」
康の目から見るとそれは洗濯機の排水のゴムホースのように見えた。確かに全体的な形状は似ているかもしれない。ただしホースの口は直径30cmはあり、その口の中には剝き出しの目玉が無数についているのだが。それを目にして康は一瞬で「ヤバいやつだ」と理解する。
オカシに対する力は無いが、どうも自分を狙っているようだ。
午後からにわか雨の予報だったが、今のところ持ってるだけの傘を康は大きく振りかぶる。そしてオカシの無数に付いている目を睨みつけ、それに向かってやり投げの要領で放った。去年体育の授業でやったやつだ。これでどうにかなるとも思ってないが、ただ黙ってやられる康ではない。
見事形状的にはゴムホースの口にあたる目の付いた部分に傘が突き刺さる。すると康が思ってもいないことが起きた。
晴れているはずの空から雷のような光が落ち、オカシを焼いたのだ。ドン、と目に見えない衝撃で康は吹き飛び木にぶつかる。
「いってぇ…」
康が立ち上がると、黒いゴムホースは祠の前で破れ落ちていた。一体何がどうなっているのか後で流架に確認しようと思っていたら、森の奥から走って来た流架が肩で息をしながら茫然と康を見ていた。
「………神力?」
「え?」
「神力~~~~~!?」
***
傘が放った力は神力というものらしい。そんなすごい力が応援傘に宿っているということは、推し球団が優勝するのではないかと康は期待に胸を膨らませる。
「この傘どうしたんだよ」
「昔から持ってるんだよ」
ようやくやってきた日帰軍の緊急部隊が現場検証とバリケードの修復に当たる。状況説明を求めるということで、流架と康はその場で待機させられているのだ。
「お前、能力者だったら最初から言えよ~」
「本当に知らねえんだって」
バリケードの応急処置前の状態を説明すると、軍の一人が補修に当たる。
「お、シラじゃん」
「シラ?」
「あいつ髪の毛白いだろ。すこし銀掛かってるかな。あれはすごいぞ、見てなって」
まだ少年と呼べる年頃のシラと呼ばれたその人は、ベルトに括りつけていた布を取り出し、直径10cmくらいの金属の輪に通す。輪には様々な形に折られた細い金属がいくつか付けられシャラシャラと音を鳴らす。
「姉さの糸巻き 金銀朱色 金銀朱色 糸巻き車は戻るよ戻る」
不思議な言葉を言ったかと思うと、布を結ばれた金属の輪は歪んだバリケードを縫うように蠢く。歪んだ部分を渦巻き型に丸く縫い終わると、少年は手を合わせて口の中で先ほどのような言葉を繰り返す。そして顔を上げると右手をバリケードに向けてかざした。
「壱の錠、元に戻せ」
無機質な声でそう言った瞬間、バリケードが光り大きな衝撃が走る。錠と呼ばれた金属の輪が地に落ち、括りつけられた布もひらひらと舞いながら下りてくる。すると歪み避けていたバリケードは手品のごとく元通りに戻っていた。それを見ていた流架は感嘆のため息を吐く。
「はー…すげえな。俺が時間かけてもちょびーっとしか直せなかったもんを一瞬だもんな」
「ご協力感謝します。あなたが術の進行を抑えてくれたおかげで被害が少なく済みました」
振り返ったシラの少年は少女と言われても納得してしまう顔立ちだ。ただし右の頬にはバッテン印の大きな傷がある。
「あー、こっちのオカシの残骸だが、これはお前がやったのか?」
片目の潰れた軍人が、破れた黒いゴムホースを手に取って康に聞く。さっきの少年といい傷が目立つのは、厄介なオカシを相手にしているからだろうか。
「俺っていうか、この傘。投げたらなんか雷が落ちて来た」
「ちょっと見せてもらってもいいか?」
片目の軍人は康から傘を受け取ると、そのまま先ほどのシラへ渡す。
「うーん…小道具なのかなぁ?普通の傘みたいですけど」
「じゃあ本人の力か?」
「鑑定しないと解らないです」
一緒にいる退治屋曰く、神力が発動してオカシを倒したということだ。シラがその残骸を確かめると、度数の高い正の力が付着しているらしい。
「ちょっと色々わからねえな…一旦姐さんに報告するか。あー、また連絡するかもしれないんだが、連絡先を聞いてもいいか?」
「別に教えるが、俺らは旅人だからそう長くは幣星にはいないぜ」
寝泊りしている倉庫の住所などわからないので、流架は渡されたメモ紙に地図を描く。
「もう一度聞くが、オカシを倒したのは神力だったんだな?度数の高い正とかじゃなく」
「以前一度、神力の調伏を見たが、光度が違うんだよ。はっきり頭に神力だってよぎったし間違いないぜ」
能力者は勘で断言をすることがままあるが、全身黒の男もいかにも退治屋らしくそう言い切った。片目の軍人は能力者ではないので、その感覚はいまいちよくわからない。
あとの現場検証は緊急部隊が行うということで、流架と康はやっとお役御免となった。軍の緊急車両がランプを付けて駐車してあるのを野次馬たちが囲んでいる。目立たぬようにこっそり抜けると、流架と康は足早にその場を離れた。




