10◆うまい朝食と三姫神社のこと
「あんたたち、いつまで寝てんの!」
そう言って布団を引っぺがしたのは倉庫の借主ヒビキである。時計はないので時間の確認はできないが、まだ日は高くないので昼というわけでは無さそうだ。流架はどうせヒビキが来たら起きると思っていたので目覚まし時計は掛けず荷物の中だ。
「起きなさい。朝ごはん連れて行くって言ったでしょ」
「踏むんじゃねえよっ」
ヒビキに布団から追い出された二人はのろのろと顔を洗いに行き、その間ヒビキはシャッターを開けて風を入れる。目の前は港と海が広がっていて、今日のように天気がいいと気持ちがいい。
「康くん、何食べたい?この辺は早くからやってるお店多いから何でも行けるわよ」
早朝に港に着く船もあるので早くから営業している飲食店は多い。華門柱まで行くと夜の店が終わり、そこの従業員が行く飯屋もある。
「なんかガッツリしたもん」
「いいとこあるわ」
そう言ったヒビキは流架には向けない笑顔である。この笑顔でファンを獲得し歌うたいとして商売をしているのだ。ステージ用ではない自然な化粧をし、昨日の帰りのようなTシャツとジーンズ姿のヒビキも目を引くくらいの美人だ。康はテレビや雑誌で見るくらいの女性を間近で見たことがないので、実在するのかと口を開けて見てしまった。
***
日帰にオカシが現れ始めたのはこの国の「負」が増え、凝り固まったのが原因だとされる。
「負」とは何か―これは人間が元から持つエネルギーのことである。
能力者の力も「正」と「負」があり、「正」寄りだと浄化に強く、「負」寄りだと念じる力が強くなる。どちらも力の在りようなので、どちらが良いということはない。この国では便宜上、正負は10までの度数で現わされており、然るべき場所へ行けば鑑定をしてもらうことも可能だ。流架の力は「負の4度」、皇家に生まれる神力使いは「正の10度」で、正負共に10度は滅多にお目に掛かることはない。どちらも5度程度までが一般的だろう。度数は生まれ持っているもので、訓練などで力の大きさが変わることはあるが正負の度数が変わることはない。
この「負」の力は、一般的に「負の感情」と呼ばれるものを餌に肥大化する特徴がある。だからと言って負の力を持つ者が負の感情を持ちやすいとか、持った方がいいという話ではない。肥大化したことにより自分の感情や思考が引っ張られてしまうのでコントロールが必要である。要は持つ力は適切に使うべしということだ。
そういった肥大化した負の力がずっとそのままになると今度は「念」になる。そうなると力ではなくシミのようなもので、自然に小さくなったり霧散することはなく、正の力を持って祓わなければずっとそのままになる。
こそかしこに浄化もされず残された「念」が集合し、いつしか蠢きだしたものがオカシなのだという。
「なので心健やかに過ごすことが大事ですよ、と教育の場では教わるな」
「じゃあ、この前流架と見たでけえ蛇みたいな奴は「念」ってやつが固まったやつなのか?」
「んー、どうだろ。お国が言う「オカシ」は念の集合体なんだけどよ、そうじゃねえのもいるんだと思う。戦ってるとオカシの方が正の力だったりすることあるしな。でも「念の集合体」ってのは間違いなくいて、それは俺らプロの間ではオカシとは区別して「フラ」って言ってる。で、そいつが暴れ出すと被害が甚大なのも確かだ。フラが世に現れたことによって、他の目に見えなかったもんのアンテナも合っちまって、他のオカシも人の目に可視化されたんじゃねえかってのが能力者の中では言われてることだ」
オカシを倒すことを生業にする専門家の退治屋と一般人では、オカシに対する見方も違うようだ。退治するほどでもない無害なオカシであっても、一般人にはその差が解らないので恐ろしがって退治を頼む。
「その場合、退治すんの?」
「依頼された術者によるなぁ」
オカシ退治を生業にしているものは退治屋、術を実施するものは術者である。依頼されたのが能力者の一般人だった場合は退治屋とは呼ばずに術者と呼ぶのが正解だ。
国が各自治体に義務付けているのは「3から6度のオカシを排除し安全を確保する」ことである。2度までのオカシは見えたり憑りついたりもするが「国が守るべき暮らし」の対象ではなく、あとは個人でどうにかしてくれとなっている。
そんなわけでバリケードは強力なオカシを侵入させない作りになってはいるが、仕様によっては力の弱いオカシは入って来られるものもある。
「おい康、騙されんなよ。この笑顔は営業用だぜ」
流架がニヤニヤしながら康に言う。
「やだぁ営業用なんて。相手を選ぶってだけよぉ」
ヒビキがわざとらしくキメの笑顔でそう言うと流架がゲラゲラ笑いだす。本当に兄妹のようだ。
支度を終えて倉庫を出ると、トラックが走る広い通りに沿って歩く。
「鍵はしなくていいのか?」
「もう港は始まってるし大丈夫よ。取られて困る物もないし」
夜とは打って変わって港は賑やかだ。貨物船に荷を積む車の列ができている。しばらく歩くとフェリーターミナルが見え、どうやらそこに向かっているようだ。
フェリーターミナルの地下へ行く階段を降りると「たまや」と書かれた暖簾をくぐる。
「やった、たまやの朝飯!」
嬉しそうに言った流架は初めてではないようだ。朝食には少し遅いので客はまばらだ。壁にはメニューの札がずらりと並び、中には紙で書かれたものが貼られている。突発でできたメニューだろうか。
「ヒビキのおごりだからな、俺はマグロの中落ち丼!」
「俺かつ丼食っていい?」
「どれでもいいわよ、好きなの食べて」
ヒビキはカウンターへ行くと注文の品と席番号を伝えて金を払い、脇にたくさん置いてあるポットと、コップを3つ持って戻って来た。注文した品は席まで持って来てくれるらしい。
「はい、持って来てあげたからお茶汲んで」
「へい」
ヒビキは流架に持ってきた一式を手渡し、康に改めて向き直る。
「昨日はありがとう、殴られてたら商売あがったりだから本当に助かったわ」
「いや、別に…変な男に気を付けろよ」
小さい子から思いがけない言葉を掛けられ、ヒビキは思わず笑ってしまう。康はヒビキが思うほど子供ではないのだが。
「かーっこいい!ありがと、そうする」
「そうだ、康。今回は結果的に良かったけどな、トラブル見かけたら手ぇ出すんじゃねえ、逃げろ。妙なことに巻き込まれたら俺は助けねえからな」
「すまねえ」
無いと思っていた説教タイムが思いがけず始まってしまった。喧嘩をして怒られずに済んだ試しがない。別に康は喧嘩が好きというわけではないのだが、売られると全て買ってしまうのだ。トラブルに助けに入ろうという気も特には無いが、どうも体が先に口と手を出しているという始末である。本人も駄目だと思ってはいるが、治っているなら苦労はない。
しばし流架の小言は続いたが、注文の品が出てきてそれも終わる。
「倉庫、三日四日借りていいか?一週間はいねえと思う」
「どうぞ。私も練習で使うけど」
きちんとした設備の練習場を借りるのは大きなステージの前にはやるが、日々の練習のためにずっと押さえておくほどの稼ぎはない。芸能事務所に所属しているスター候補とは違うのだ。あの倉庫は破格の値段で借りており、歌おうが踊ろうがどこからも何の文句も来ない。
「んじゃ、ちょっとゆっくりするかぁ。康、この辺案内してやるよ」
「ありがとう」
食事を終えるとフェリーターミナルでヒビキとは別れ、流架と康は倉庫の方向へ歩き出す。
「まずは三姫を回って願掛けすんぞ」
「三姫?」
「そ。幣星は首都なもんで強力な守護を敷いている。丑寅と未申の度数に祠があって、その四つを線で結んだ中心部にめちゃくちゃでけえ三姫神社がある。まずはそこをお参りだ」
丑寅という言葉は聞いたことがある。確か鬼門があるという方位だったと読んだ漫画に描かれていた。神社もあるが「三姫」は康の知る限りでは無かったように思う。
流架は携帯ラジオで今日の天気を確認すると、基本晴れだが昼に通り雨の予報だ。康は購入した腰財布に全財産を入れしっかりと腰に巻き付け、応援用の傘も持って出ることにした。
「自治体のオカシ対策にはバリケードと三姫神社、これがセット」
バリケードの方式も三姫神社の規模も、既定の範囲で自治体任せとなっているが、この二つは最低限機能していないと国からお叱りが来るのだ。
そんなことを説明しながらブラブラ歩いていると、遠目に巨大な鳥居が見えて来た。
「ほらあそこ、三姫神社の入り口な」
参道の脇には出店が並び、まるで祭りのような賑わいだ。三色だんごならぬ三姫だんごや焼き鳥三本セットの三姫串、三姫そばに関しては何が三姫かも解らない普通のそば屋台である。
旅人は旅の無事を祈願して必ず三姫神社を訪れるし、能力者は仕事のために神社の力を借りに来たりと、都会の三姫神社はいつでも人がたくさん訪れるのである。
「じゃあ三姫については中で説明してやるよ」
大きな鳥居の下に着くと流架はそこで一礼し、康も真似て礼をする。
こっちの世界の神社にも狛犬がいるんだなと康は高い台座を見上げると、どうも思っていたのと違う。
「狛…ハム?」
康の目にはどうもハムスターに見える。大きな鳥居の右のたもとも見てみると、そちらも丸っこい動物が台座の上に鎮座していた。




