僕らは再び出会うだろう
「大和、悪いけど水香起こしてきてくれない?あの子まだ寝てるんだわ」
朝の食卓を作りながら母親が言った。
せわしく動く母親に対して父は相変わらず呑気に新聞を読んでいる。
昨日遅く帰ってきたことは咎められなかった。朝、二日酔いでかち割れそうな頭を押さえてリビングへ下りると、いつもの母親の笑顔があった。てっきり責められるかと思った俺は拍子抜け。
ただ、おはようという完璧なその笑顔に少しの罪悪感を覚えたが。
「聞いてるの?」
「え?あぁ……何だっけ」
「もう。あなたまで寝ぼけて。水香起こしてきてって言ったの」
「やだよ。めんどくさい」
「もう」
この母親は嫌いではない。水香と違っていつも優しく、おっとりしている。9歳の頃から、口数の少ない父と違い俺のことを可愛がってくれていた。
本当の母親を知らない俺にとっては、今の育ての母親が俺の本当の母親だと言っても過言じゃない。感謝している。
だからこそ拭えない罪悪感が確かにある。
母親の大切な娘を好きになったこと。
酔った勢いでキスをしたこと。
でも出会わせたのもまた、母と父、彼らなのだ。
最後までやっていないことが唯一の救いかもしれない。
「あー、ねむ」
聞き慣れたとぼけた声が聞こえ、反射的に振り向いた。そこにはやはり、見慣れた寝ぼけ面。
母親の叱咤を適当に受け流しながら、水香は俺の正面へ座ろうと椅子を引く。
目が合った。
「……はよ」
「おお……」
朝の挨拶はそれだけだった。
それでも最近の俺たちからしたら大きな進歩だ。正直、嬉しかった。
そんな微妙な変化に気付くわけもなく、母親はトーストを並べていく。
すると普段滅多に話さない父が口を開いた。
父は読んでいた新聞を畳むと、コーヒーを口に含む。
そして寝ぼけ眼でトーストをかじっている水香を見た。
「あー、水香」
「んー」
「お前、その」
「なに」
「彼氏、いるのか」
「……え」
何を今更。水香だけでなく、俺まで吹き出しそうになった。
「いるよ」
迷うことなく、水香は答えた。
思わず俺は俯いてしまった。
現実を突きつけられた、とでもいうのだろうか。やっぱり水香の彼氏はあいつで、この家では俺は弟なのだ。弟でなくてはいけないのだ。
少しだけ重い空気がまとわりつく。
それを吹き飛ばしたのは、底抜けに明るい母親の声だった。
「あら、知らなかったのアナタ?」
「お前、知ってたのか?」
「もちろん」
「何で言わなかったんだ」
「えー、だって照れるわよねぇ水香」
「そういう問題じゃ……」
「私だってあなたと結婚する時なかなか言えなかったわよー」
「だからそれは」
水香の彼氏の話は痴話喧嘩にすり替わった。
どうやら父は学校帰りに彼氏と歩く水香を見かけたらしい。
当の本人はそんなこと微塵も気にせず最後の一口を頬張っていた。興味がないのか、それともまだ寝ぼけているのか。
「大和、お茶取って」
「自分で取れよ」
「……可愛くない」
「お前もな」
「おはよう!」
「……はよう」
学校へ行く途中、駅で俺を待ち伏せしていたであろう吉岡未来は満面の笑みで俺の前に立ちはだかった。思わず返事をしてしまったのは彼女の勢いが凄すぎるあまり、反射的に。
昨日と同じ栗色の髪が揺れる。丸い目で一心に俺を見つめていた。
厄介な奴に好かれてしまった。
俺は半ストーカー女から目をそらし、早々と歩く。当然のごとく足音は着いてきた。絶対振り向かねぇ。
「大和くん」
「……」
「あのね、良かったら電話番号……」
「無理」
「何で?」
「着いてくんなよ。つかお前も学校だろ」
「今日は休み!」
「嘘つけ。制服着てるじゃねーか」
「休むって今決めたの!」
「あぁそう。じゃあ俺は学校だから」
「寝癖ついてるよ、かわいー」
「……」
救えねぇ馬鹿女だ。水香とはまた違う種類の馬鹿だ。こうもネジの外れた女がゴロゴロいるのだろうか。それとも俺の周りだけなのか。
俺は更に早足で離れた。着いてくんな、とより一層冷たく言い放つとやっと止まる足音。
助かった。そう思った時、今度は後ろから声を投げられた。
「中城大和くん」
落ち着いたその声に名前を呼ばれ、少し振り向く。吉岡未来は仁王立ちのまま、小さく微笑んだ。
「覚えてない?私のこと」
「え?」
「本当は知ってたよ。名前も」
「……お前、誰」
「吉岡未来」
暫くの間、俺と吉岡未来は向かい合わせで立ち止まる。人の流れが多い朝の駅で立ち尽くす俺たちは少し異様だった。
改めて吉岡未来の顔を見るが、やはり知らない。記憶を辿っても思い出すものは何もなかった。
「悪いけど」
内心動揺していたが、無表情を装ったまま背中を向ける。怪しい女だ、やっぱり。
足音は追いかけて来なかった。
僕らは再び出会うだろう
(切ない記憶を辿った先に)