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いつか罪に呑まれても


本当は、不安で押し潰されそうだった。

だけど大和には心配させたくなかった。

こんな不安な気持ちを背負うのは、私ひとりで十分だと思ったから。

ひとりの女として、愛する人として、義姉として。

それが彼を迷わせているとも知らずに。








朝、胸にしこりを残したまま学校へ行った。

橘が皆に言いふらしてないか心配で堪らなかったけど、拍子抜けするほどいつもの教室だったのを見て、言わないでくれたんだととりあえずほっとした。



「おはよう水香」


「あ、唯おはよう」


「あのさ……」



教室へ入るや否や唯は私の耳元で呟いた。昨日ね、中川と、その、ごにょごにょ……と。


「……やったの?」


「しー!秘密ね!」


珍しく慌てている唯を見て、幸せな気持ちになれた。ていうか、まだやってなかったんだとどこか冷静な私が心の中で呟く。

でもそんなことより、唯が私にだけ報告してくれたことが一番嬉しかったのだ。



「で、どうだった?」


ニヤニヤを隠せずに私は尋ねる。


「どうって……。よく分かんないけどとりあえず痛かったことしか」


「いやー。でもこれで唯も卒業だねぇ。お赤飯炊かなきゃ」


「馬鹿」



平和なガールズトークは、朝のHRを知らせる本鈴によって中断させられた。


だらだらと各々の席に戻っていくクラスメートを一番後ろの席に座って眺めていると、教室に入ってきた橘の姿に気が付いた。つい体が強張る。


彼が席に戻る時、一瞬だけ目が合ったけど昨日のことが嘘のように自然とそらされた。


「おはよう」


そして遅れて隣人からこんな言葉が。

橘から私に挨拶するなんて、初めてだ。もちろん私だって橘に朝の挨拶なんてしたことはない。

少し遅れて、おはようと返した。



きりーつ、れー。と今日の日直がめんどくさそうに言う。

ガタガタと音を立てて教室中の椅子が動き、また同じように元に戻った。

眠たい担任の声を聞き流していると、私の机に紙切れが落ちた。

思わず橘の方を見ると、彼は口パクでそれを開けと言う。

不審に思いながらも指先で紙を広げた。



―今日の昼休み、裏庭に来い―



「……何これ」


思わず口をついて出た。


「命令」


私の方をチラリともせずに橘が答える。


何これ。

ていうか、何こいつ。命令?はぁ?



「あんた何王国の何王様?」


「来ねぇと知らねえからな」


そして今度はニヤリと笑った。

弱みを握られている私は何も言い返せずただ一人、声には出さず呟いた。



(こいつ、風邪ひいて早退しないかな)








魔の昼休み。

私は適当に理由をつけ、いつも一緒にお昼を食べるみんなの中から一人抜けた。

本当は行きたくなかったし、他愛もない話でみんなとお弁当をつつきたかったのに。



裏庭とは名ばかりのゴミ置き場に一人で立っていると、冷たい風がスカートから剥き出しの脚を撫でた。

この裏庭は、よく告白の場所に使われる。だけど勿論のこと、橘が私に告白なんていうものをする為に呼び出すわけがない。

そもそもそんな可愛げのあること、されることはあっても彼がするのだろうか。


しかし橘はいくら待っても来なかった。

5分が過ぎ、10分が過ぎ、私の怒りもピークに達してきた15分後、彼は急ぐことなく呑気に姿を現した。


「お、ちゃんと来てんな。偉い偉い」


屈託のない笑顔が更にムカつく。大半の女子はこの笑顔に落ちるのだろうけど、私はそうじゃない。



「そっちから呼び出しといて待たせるなんていい性格してるわ」


「あ、そんなに待ちわびてたんだ」


「その上謝らないなんて、モテるはずだよ」


嫌みを飛ばしたのに橘は見事にスルーした。昼飯食ってたからさ、とふざけたことを言う。私なんてお弁当食いっぱぐれてるのに。

あーお腹すいた。



「で、用件は?」


イライラしているのを悟られぬようあえて普通のトーンで尋ねる。

橘は少し間を置いてから答えた。


「俺の彼女のふりをしてほしい」


「……は」



彼女?の、ふり?



予想外の用件だった。そんな事を言われるなんて。告白?でも『ふり』だしな。



「色々理由があって、今俺には彼女が必要なんだ。表向きだけ付き合ってる風にしてくれたらいいから、別に手も繋がなくていいしキスもしなくていい」


「嫌だよ」


私は即答した。

そんな事私に頼まなくたって、橘の事を好きな女の子はゴマンといる。

すると彼は『お前じゃないとダメなんだ』と至極真剣な面持ちで言った。



「どういう意味?」


「他の女に頼んだら『ふり』じゃ済まなくなるだろ。そうなると面倒臭いんだよ」


「つまり自分はモテるってことね」



呆れた男だ、全く。

橘は少し困ったように苦笑いした。

昼休み終了まで、あと5分。



「とにかく、1ヶ月でいいから俺の彼女のふりしてくれ」


「だから嫌だって」


「隣りの席のよしみだろ」


「私は早く席替えしないかなって思いながら毎朝登校してるの」


「かわいくねー女」


橘が溜め息を吐く。溜め息を吐きたいのはこっちの方だというのに。


「じゃあ、それなりの理由があるんだよね」


「ある」


「なに?」


「……友達の好きな女に告白されて困ってる。彼女がいるって嘘ついたら、『じゃあ証拠見せて』だってよ」



何とも贅沢な理由だ。やはりモテる男は違う。

でも、だからって好きでもない(むしろどちらかと言うと嫌い)な男とはたとえふりでも付き合えない。


「無理だよ。悪いけど」


「じゃあ、誰かに言ってもいいんだな」


「は?」


「お前が自分の弟と、」


タイミングで昼休み終了のチャイムが鳴った。

それ以上何も言わない橘を置いて、私はひとりその場を去った。言いたいなら勝手に言えばいい。

こんな下らない用事で呼び出されたのかと思うと、非常に腹ただしい。






教室に戻ると、一番にナツメが駆け寄ってきた。まだ先生は来ていない。

どこ行ってたの?と意味あり気な瞳で聞かれ、どう答えようかと迷っていると更に『まさか橘?』と確信を突かれた。



「あ……うん」


「何で?」


「いや、ちょっと……」


「でも前の自習の時も橘とふたりで出て行ったよね」


どうしよう……。本当のことは言えない。だって、弟と付き合ってることが橘にバレたなんて口が裂けても言えない。

だけど刺すようなナツメの視線にも耐えられない。

先生早く来てよ……と思ったとき、いつの間にか追いついていた橘が勝手に答えた。



「俺が中城に告白したんだよ。な?」




一瞬で教室中がしんと静まり返る。

そのあとワンテンポ遅れてから一気に騒がしくなった。あちこちでざわざわと何か囁く声が聞こえ、皆の視線が私達に突き刺さる。

ナツメが呆気に取られているその傍らで一番混乱してるのは、この私だ。

私はとっさに橘の方を振り返った。



「何言ってんのあんた……」


「本当のことだろ」



あっけらかんとして橘が答える。本当だけど、本当じゃない……何を考えてるんだろう、この馬鹿は。



「橘くんって水香のこと好きだったの?」



責めるようにナツメが言った。ありえないと私は首を横に振るが、橘は『好きだよ』としっかり縦に頷いた。なんて奴だ。

離れたところで唯が心配そうにこちらを伺っている。


「うわー!橘、中城と付き合うのかよ!」


中川が野次を飛ばす。くそ!うるさいよ中川!しかも何で付き合うこと前提なのよ!

野次のせいで教室のざわめきが更に大きくなった。唯には悪いけど、今最強に中川がムカつく。いや、そもそもの原因はこの橘か。

他の男子まで一緒になって私達を茶化し始めた。橘のことを気に入っているナツメが隣で複雑そうに眉をひそめる。

逆隣では橘が、さぁどうする?と言わんばかりにニヤリと笑った。

もし今、大和とのことを言われたら……考えただけで冷や汗が出た。

逃げ場が、ない。



「私は」



怒りで声が震える。



「私は、橘のこと」


好きじゃない。そう言おうとした時、先生が入ってきた。何も知らない先生は『早く席につけ』といつもの声音で言う。

みんなは何事もなかったかのように、教科書を広げた。





授業が終わった瞬間、私は自分の鞄を掴んで誰とも話さないで済むよう教室を飛び出そうとした。

『水香どこ行くの?』と問いかける唯の声にも耳を貸さずに。

まだ一限残っている授業なんか知った事じゃない。誰に何を噂されようと、とにかく今はここから去りたかった。

その後のことなんか考えても分からない。



みんな嫌い。

茶化す男子も、嫉妬の目で見る女子も、弱みにつけこんでくる橘も、全部。一体私が何したって言うのよ。



「中城!」


玄関を出た時、橘の声が追いかけてきたが、私は振り返りもせずに早足で歩き続けた。



「待て待て待て!何帰ってんだよ!」


「さわんな馬鹿!」


腕を掴んできた橘の手をとっさに振りほどく。

息を切らして、走ってきただろう橘はその整った顔を少し歪めて私をじっと見つめた。

謝りの言葉なんて聞きたくない。だって、泣きそうだ。

だけど橘は言った。ごめん、と。



「謝るくらいなら最初からすんな!」


怒鳴ったけれど、大丈夫。まだ涙は出ていない。ただ、それでもかなりギリギリ。


「何だよ謝ってんのに。なにそんなに怒ってんの」


「言っても馬鹿には分かんないよ」


「は?言わなきゃ分かんねーだろ」



逆ギレ?信じらんないこの馬鹿。人気者ともてはやされすぎて、頭のネジ腐った?

六限目の開始を知らせるチャイムが鳴る。さっさと帰ろうとした私の腕を彼は再び掴んだ。


「待てよ。まだ話終わってねぇよ」


「もう、なんなのよ」


「で、俺の彼女のふりしてくれんの?」


「……頭おかしいんじゃない?」


「みんなに知られてもいいのかよ」


橘が低い声で言った。

これはきっと、冗談なんかじゃない。

もし大和とのことがみんなに知られたら、私は噂の的だろう。もしかしたら、親にもバレるかもしれない……。


「……あんたは」


私は橘に向き直った。私よりも少し背の高い彼を正面から真っ直ぐ見る。


「あんたは、自分の目的の為なら好きでもない女に好きだなんて言える奴なんだね。しかもみんなの前で」


「好きじゃないから言えるんだ。好きじゃないから、傷付かない」



橘の顔色は何一つ変わらない。

涼しい顔してそんなことをさらりと言う。

クラスの誰かが言ってた。

『橘くんが好かれてるのは、橘くんがみんなに平等に優しいからだ』って。


いつもみんなの中心で笑って、異性からも同性からも好かれて、一見完璧に見えるけど本質はただ計算された無邪気さを貼り付けた、何の温かみもない男。


そのポーカーフェイスが、堪らなくムカつく。


「私は……」


言うな言うな言うな。

もうひとりの私が叫ぶ。

だってこれを言ったら、悔しすぎる。

でも――



「私は、傷付いたよ」



言った瞬間、ピンと張った涙腺が緩んだ。押し込めていた涙が瞳に溜まるのが自分でも分かった。泣いていると自覚すれば、更に涙が押し寄せてきた。そしてついに、零れた。



「弟のことをネタにしてきたことも、わざわざ皆の前で追い詰めたことも、今の、言葉も」


「……」


「私は、あんたが嫌い。転んで頭打って死ねばいいって思ってる」


「……」


「もう二度と話しかけてこないで」









いつか罪に呑まれても

(都合良く慰めてくれる世界はない)




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