新しい春
「新学期早々遅刻か……」
隣にいる大和が呆れたように呟いた午前8時55分。
本鈴まであと5分しかないというのに、私はまだ電車に揺られていた。
寝坊して、朝食も食べずに駅まで走ったというのにこの始末。
勿論、隣にいるこいつも遅刻。
「だから先に行っててって言ったじゃん……」
「別に。どうせ俺クラス替えもないし」
「そうだよクラス替えだよ!何で遅刻しちゃうかなぁ私……」
新しいクラスは第一印象が大事だ。なのに遅刻するなんて有り得ない。
そうこうしてる内に電車は私の降りる駅に着いた。大和の学校は次の駅だ。
この時点でもう57分。たとえタクシーに飛び乗ったって間に合わない。
「走ってコケんなよ」
電車のドアが閉まる寸前、大和の声が聞こえた。適当に返事をして走り出す。走ったって間に合わないけど。
息を切らしながら校門に入り、昇降口に貼られたクラス表を目で追った。
当然他の生徒はもうみんな教室に入っている。しんと静まり返った廊下には誰の姿もない。
2年3組と書かれた紙に私の名前があった。中城水香、間違いない。
どうやら唯を始めとする何人かの友達とまた同じクラスになれたらしい。マナは隣のクラスだ。
安堵に胸を撫で下ろし、上履きに履き替えていると、生徒指導に見つかって怒られた。
すみません、と遠慮気味に教室のドアを開けると、一斉に注がれるクラスメートの視線。
その中で唯が呆れたように苦笑いを零すのを見つけ、私も同じように笑った。
「えー……君は中城さん?」
新しく担任になったであろう男の先生がが名簿と私の顔を交互に見ながら確認する。小さく頷くと、一番後ろの席を指さされた。
なるべく余計な音を立てないよう席に座ると、担任は何事もなかったかのように話し出す。
私もやっと落ち着き、知った顔と知らない顔が半分の教室を見渡した。
「だっせ」
担任の話し声に混じって聞こえた微かな含み笑い。
思わず声のした方に目をやると、隣りの席に座っている男子生徒が、がっつり椅子に背中を預けたまま素知らぬ顔で黒板を見つめていた。
私はこいつを知っている。
一度も話したこともなければ、関わりすらなかったけど、それでも知っている。
いや多分この学年でこの男子生徒の存在を知らない人はいないだろう。
名前は確か……忘れた。
あちこちで耳にする名前なのに、興味ないからちゃんと覚えてないや。
でもどの学校、どの学年にも特別目立つ生徒がいる。
目の前のこいつはまさにそれだ。
ていうかこいつ、
「今、何か言った?」
「……」
「え、無視?」
「……」
「ねぇってば」
「せんせー。隣りの遅刻女がうるさくて聞こえません」
どっと教室から笑いがおきた。
うわーどうしようちょーむかつく。ちょーむかつく奴が隣りの席。
再びクラス中の視線を浴びてしまった私。プラス先生に軽く説教され、HRは終わった。
次は全校集会。体育館に移動する為みんなだらだらと席を立つ。
橘、と誰かが呼んだ。
おぉ、と隣りの席のむかつく奴が返事をした。
(タチバナ。あぁ、こいつ確かそんな名前だったな)
なんて呆然と思いながら私も席を立つ。文句のひとつでも言ってやりたかったけど、これ以上関わりたくないという気持ちの方が大きかったのでやめた。
「橘くんと同じクラスになっちゃった」
クラスの女子の何人かが嬉しそうにそう言うのを聞いて、私はうんざりした気分になった。
何であんな奴が人気なのか分からない。
そう、橘はまさに絵に書いたようなモテ男で有名だった。
柔らかそうな茶色い髪の毛。端正な顔立ちにスラッとした体系の橘を初めて目にした時は確かに私もかっこいいと思ったけど、はっきり言ってそれだけだ。それ以上でも以下でもない。
それが今日初めて話して(あれを会話というのなら)確信した。大嫌い、と。
「橘くんてねぇ、何人も告白されてるのに誰とも付き合わないんだって!そういうとこもいいよねぇ」
こういう話題が大好きなナツメが嬉しそうにハートを飛ばす。
「ゲイなんじゃないの」
「もー!水香冷たーい!橘くんの隣りになれただけでも幸せなんだよ」
「じゃあナツメ代わってよ。嫌だよ私。あいつ教科書忘れても絶対見せてくれないタイプだもん」
「忘れなかったらいいんじゃない?」
「無理だよ!」
「いや頑張れよ」
これも席替えするまでの辛抱だと慰める唯の言葉も耳を通り過ぎていく。
他の男子達とぎゃあぎゃあ騒ぎながら体育館へ向かう橘の姿を見て、私は思わず溜め息を零した。
「唯は良かったねぇ。中川と同じクラスになれて」
「もーうるさいなぁ」
そう言いながらも顔にやけてる。
すると、携帯のバイブが鳴った。
見ると大和からメール。クラス替えどうだった?という短い文章を見て、私はすぐに返事を打った。
最悪、と。
新しい春
(あーなんか頭いたくなってきた)