メリークリスマス
クリスマスイブが終わった。
日付が変わって、25日。
世間は冬休みに入った。
わざと時間をずらし、俺達は別々に家に帰った。
先に帰った水香は、今日も友達と過ごすらしく、自分の部屋に戻って支度をし直していた。
父親は既に仕事に出ている。
そして朝帰りの俺を咎めることなく、暖かく迎えてくれる母親。
罪悪感からか、真っ直ぐ目を見ることが出来なかった。
全てがいつも通りだった。表面上は。
昨夜のことが夢みたいだ。
水香に触れた指先が、まだ感覚を覚えてる。
ただただ愛しくて仕方なかった。どこにいても、何をしても水香の顔が浮かんでくる。
夕方まで寝て、起きてシャワーを浴びて着替えたあと、俺は約束していた吉岡との待ち合わせ場所に向かう。
寒い街並みを真っ直ぐ歩いて駅に向かう。昨日に引き続き、バカップルが絶えなかった。
「大和くん、こっち」
見慣れない私服姿の吉岡未来が寒そうにして俺の所まで寄って来る。
2人で肩を並べてイルミネーションの中を歩いた。サンタの格好をした店員が街頭でケーキを売っている。
イルミネーションは確かに綺麗だった。
吉岡は何を見ても、すごいすごいとはしゃいでいる。
何組ものカップルとすれ違った。
隣を歩く吉岡が、手を繋ぎたがってるのが分かる。だけど、気付かないふりをした。そうしなければ、いけなかった。
「大和くん」
「あのさ」
吉岡と俺が言葉を発したのはほぼ同じタイミングだった。
先にどうぞ、と吉岡が遠慮気味に言う。
俺は深く息を吐いてから、言った。
「ごめん」
何が?とは聞かれなかった。
その一言で、彼女は分かったようだった。
俺は続ける。
「好きな女がいるんだ」
「……」
「どうしても、そいつじゃないとだめなんだ」
「……どうして、」
「え?」
吉岡の足がぴたりと止まる。合わせて俺の足も止まった。
俯いていた顔を上げると、彼女は今まで聞いたことのないくらいの大声を上げた。
「じゃあどうして……今日来たのよ!」
「吉岡……」
周りにいた人達が何事かと振り返る。
キラキラと光り続けるイルミネーションの下、吉岡は泣いた。
「酷いよ……すっぽかしてくれたら良かったじゃない」
「……」
俺は何も言えなかった。
そうするべきだったんだろうか。一片の期待も持たせず、彼女を突き放すべきだったんだろうか。
でも、出来なかった。
どれだけ責められようが、それだけはしたくなかった。
吉岡のことは嫌いじゃない。可愛いと思うし、心が動かされた瞬間だって確かにあった。
でも、駄目なんだ。吉岡が悪いんじゃない。曖昧なことした、俺が悪い。
暫くの間、沈黙が流れた。
この重たい空気が嘘のように、イルミネーションは光り続けている。
寒さで真っ赤になった吉岡の手が、握って欲しいと言っているように見えた。
吉岡は、何も言わなかった。
泣くこともしなかった。
ただ俯いたまま、俺の前から静かに去った。
俺は引き止めなかった。出来なかった。
声が出ない。地面に縛り付けられたように足が動かない。
吉岡の小さな背中が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。
彼女はそれから一度も振り向かなかった。
俺は携帯を取り出し、吉岡のメモリーを消去した。
きっと彼女も今頃、同じことをしているだろう。何となく、そんなことを思ったあと酷い罪悪感に襲われた。
誰かを傷つけてでも、想いたい女がいる。
どこまでも、自分のことばかり考えて嫌になる。
だから決めた。
もう水香以外、誰も見ない。
「吉岡、ごめんな」
「遅いよ、馬鹿」
近所の公園の、ベンチにはふてくされた水香がポツンと座っていた。
俺から呼び出したのに、俺の方が遅く着いてしまったのだ。
クリスマスの夜とは程遠い、殺伐とした公園。
イルミネーションもなければ、ツリーもない。
「わざわざこんな所に呼び出すなんて。別に家でも会えるのに。ていうか寒いし」
「ん、」
熱いココアを差し出すと、水香は少しだけ機嫌を直したようだった。
水香は、友達とのパーティーを抜けてきたと言いながら白い息を吐く。その横顔を見ると、何だか安心した。
「大和は今日何してたの?」
「え?あぁ、ちょっとね……」
すると水香はまた不機嫌になって口を閉ざした。
俺は溜め息を吐いたあと、ゆっくりと説明する。
「ちょっとだけ、好きになりそうな子がいたんだ」
ふぅん、と水香が低く唸った。そのふぅん、には色んな意味が含まれているのだろう。
「……どんな子?」
「素直な子。近くで見てると、不器用すぎて心配になる」
「……」
「俺の事を好きだって言ってくれた。あんまり真っ直ぐした目で言うから、正直そのまま流されそうになったこともあった」
「へぇ。良かったね」
「お前は……かなり馬鹿」
「は?」
「馬鹿すぎて見てるとハラハラする」
「余計なお世話……」
「気付いたら目で追ってる。視界に入れてないと不安で堪らない」
「……」
「今日切ってきたんだ。その子と」
「え?」
よりによってクリスマスに?と水香は苦笑いした。
俺は頷いたあと、ポケットから箱を取り出す。
そのまま、戸惑う彼女に差し出した。
「開けて。クリスマスプレゼント」
「……」
水香の細い指が、ゆっくりとリボンを解いていく。
丁寧に包装された箱から小瓶を取り出して、目を大きくさせた。
「急すぎてそんなもんしか買えなかったけど」
「……つけていい?」
「うん」
水香にあげたのは小さな香水。
彼女はそれを手首につけた。甘い匂いが広がった。
「どうしよう、すごく嬉しい……」
涙目で俺を見つめる水香が可愛くて、思わず抱き締めた。
当然のように、水香も抱き締め返してくる。それが嬉しかったんだ。
「私達、姉弟なのにね」
「違うよ。こんな頼りない姉貴いらねえし」
「それムカつ、」
「ずっと俺のそばにいてよ、水香」
うん、と水香は答えた。
何の洒落っけもない近所の公園で、俺は最高のクリスマスを終えたんだ。
だけど、幸せな時は長く続かない。
もうこのまま、時間が止まってしまえば良かったんだ。
メリークリスマス
(幸せだったと、笑い合えますように)




