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もうすぐクリスマス


「はじめまして」


当時9歳だった彼は、その小さな体を目一杯大きく見せるかのように後ろ重心で立ち、ふてぶてしくそう言った。

彼は私の目を見なかった。意地でも目を合わせてやるもんか、という態度が物凄く伝わってきていたのを今でも覚えている。

だけど彼の父親、つまり私の今の父親に無理矢理頭を抑えられ、仕方がないといった様子でぺこりと首を曲げた。


「大和くん。うちの水香と仲良くしてね」


お母さんはそう言って大和と同じ目線まで腰を曲げて笑った。大和は照れくさそうに頬を掻いたあと、うん、と消え入るような声で答えた。


これが大和との出会いだ。

自分に弟ができるなんて考えてもいなかった私は、弟の存在が気になって仕方なかった。

初めは人見知りでなかなか話してくれなかった大和も、めげずに話しかければ次第に心を開いてくれるようになり、今度は大和が私のあとを追いかけるようになった。


だけど彼は、私のことを絶対に『お姉ちゃん』とは呼ばなかった。

当時の彼にとったら私は姉ではなく、新しい友達のような存在だったんだろう。


お母さんもお父さんも、あの頃は私達をどうにか本物の姉弟に近付けようと必死だったように思える。

大和が私のことをみーちゃんと呼べば、決まって2人は『お姉ちゃん』と呼びなさいと強く言った。それでも大和は、私を姉と呼ばなかった。

姉弟というのは、血が繋がっていて、生まれた時から一緒にいるから姉弟と呼ぶのだ。

だけどもしもあの頃、彼が私のことをお姉ちゃんと呼んでいたなら、何か変わっていたんだろうか。



それは今でも、分からない。



だけどいつか、こんなことを話していた気がする。

あれは確か、まだ新しい家族になって1年も経っていなかった頃。初めて家族旅行に行った時だ。

山形の奥地にある温泉旅館に泊まった夜、私と大和はお互いの手を取り合い、こっそり旅館を抜け出した。正面入り口は閉まっていたけど、温泉へと続く外の渡り廊下から子供が通れるくらいの抜け道を見つけたのだ。


満天の星空を見上げながら、近くを流れる川べりに座り、静かな川の流れを感じていた。不思議と怖くはなかった。好奇心と、冒険心の方が大きかったのだ。


「お父さんが怒るんだ」


ふいに大和が呟いた。それは寂しさと悲しみが入り混じったようにか細い声だった。


「なんで?」

「僕が、お姉ちゃんって呼ばないから」

「あはは」

「何で笑うんだよ」


笑われたのが悔しいのか、大和は拗ねたように口を尖らせた。

大和のお父さんは常に大和に対して無関心だった。少なくとも私や大和からしたら無関心に見えた。

なのにどうして『お姉ちゃん』と呼ばないことに関しては、あんなに叱りつけていたのだろう。

今でこそ叱ったりはしないが、お父さんはお父さんで、早く本物の家族になろうと必死だったのかもしれない。だけど必死にならないと作れない『家族』なんて、まがいものでしかないのだ。


「大和は私のことお姉ちゃんって思えない?」

「みーちゃんは僕のこと弟って思う?」


質問を質問で返され、私は黙ってしまった。しばらくの間私たちは見つめ合う。生温い風が膝を撫でた。

先に口を開いたのは私だった。


「わかんない」


大和から目をそらし、再び視線を夜空へ移動させる。

大和も同じように星を見上げ、頷いた。


「僕も」



もしかするとあの日私たちは、どうあがいても本物の姉弟になれないことを、悟ったのかもしれない。










朝、目を覚ました瞬間ひどい喪失感に襲われた。夢を見たという感覚は確かにあるのに、その内容は蜃気楼のように曖昧でぼやけている。


リビングに降りると、いつも私より先に起きているはずの大和の姿がなかった。台所に立っているお母さんに聞くと、まだ帰ってきていないらしい。友達の家に泊まる、と大和からお母さんにメールが入っていたとか。

お父さんは変わらず、新聞に目を通していた。


どうしてこの人は、大和に無関心なんだろう。


パジャマ姿のまま、私はぼんやりとそんなことを考えた。

幼い時からそうだった。自分で言うのも何だけど、この父親は実の息子の大和のことよりも、血の繋がらない私を気にかけることが多かった。何か理由があるのかもしれないけれど、当然のごとく聞けない。


「あいつ、ちゃんと学校行くかな」


お父さんにも聞こえるよう、そう言ってみるが、返事をしたのはやはりお母さんだけだった。


「行くって言ってたから、大丈夫よ。今日は帰ってくるみたいだし」

「何かお母さん、大和に甘くない?」

「男の子は少し冒険させるくらいがちょうどいいの。あんまり縛りつけると返って反発しちゃう」


男である大和が少し羨ましいと思った。もしかするとお父さんも同じ考えなのかもしれない。







いつもの時間に駅に行き、いつもの電車に乗る。外とは正反対に、温かい車内はむわっとした空気が充満していてむせ返るようだった。

電車の広告を見れば、数週間後に迫ったクリスマスのイベントのことをでかでかと書いてある。題名は、『恋人たちのクリスマス』


(クリスマスか……)


今年はどうしようかな。家族で過ごすクリスマスなんて何年もしていない。

去年は、付き合っていた彼氏がいたから良かったけど今年は残念ながらそんな予定はない。

好きな人と過ごすクリスマスなんて。


「……」


ふと、大和はどうするんだろうと考えたけど、私には関係ないとすぐに思考を止めた。


一緒に過ごしたい、2人で過ごしたいかななんて一瞬でも思った自分が情けない。







学校へ行くと、唯の周りにクラスの女子が集まっていた。何事かとすぐに私も輪の中へ入る。


「唯がね、中川と付き合ったんだって」


そう言ったのは、マナだった。

私は驚いて唯を見る。唯は少し照れくさそうに俯いた。


「おめでとう……」


心ない声でそう言ってしまった自分がひどく子供っぽくて嫌になる。

中川と唯が付き合って嬉しいはずなのに。

私はただ呆然と、みんなにからかわれる唯を見ていた。


友達の一人が唯に尋ねる。


「いつ付き合い始めたの?」

「昨日の……放課後」

「いいなぁ」



昨日は確かに、唯は中川の部活が終わるのを待っていた。私も知ってる。

だけど私は、親友に初めて彼氏ができたことを違う子の口から聞きたくなかったのだ。私やっぱり、すごく子供っぽい。

些細なことだけど、メールでも何でもいいから教えて欲しかった。

一番はじめに唯と一緒に喜ぶのは、私が良かったんだよ。

だけどこんな心の狭い自分を知られたくなくて、わざとおどけるように声をあげた。


「あーあ。これで今年のクリスマスは唯も彼氏と過ごすのかぁ」


すると周りの彼氏がいない女の子も同じように悔しがった。だけどみんな、ちゃんと笑顔だ。

唯も笑っていた。恋愛に馴れていない唯は、多分なんて返したらいいのか分からないんだろう。


「じゃあさ、誰か一緒にクリスマスパーティー行かない?」


そう言ったのはマナだ。みんなが一斉にマナを振り向く。


「先輩がね、小さなクラブハウス使ってクリスマスパーティー開くんだって。大学生とか他の高校の人とかも来るし、きっと楽しいよ。そのチケットが何枚かあるんだ」

「えー、でも何か寂しくない?」

「馬鹿ねぇ、そんなの気にしてどうするのよ。クリスマスなんて所詮ただのイベントのひとつじゃない。騒がなくてどうすんの」


マナの言葉には妙な説得力がある。思わず頷いてしまった。

結局私を初めとする彼氏のいない女子、3人がマナからチケットを買った。

3人のうちの一人、沙也香が不思議そうに首をひねる。


「でもマナ、クリスマスは大学生の彼氏と過ごすんじゃないの?」

「あ、別れたの」


あっけらかんとしてマナは言った。私は思わずマナを見つめる。その笑顔は明るく、前を向いていた。彼女は、嘘をやめたのだ。


しかし初耳だったみんなは突然の告白に目を丸くする。

話題はあっという間にマナの失恋話になった。だけどマナは、悲しんでいるようではない。きっともう吹っ切れたんだろう。大学生の彼氏から。嘘を突き通していた自分から。


ふいに、どうして別れたのかをみんなに説明するマナと目が合った。

彼女は花のように笑った。







「なぁなぁ、中川と榊原って付き合い始めたみたいだな」


授業中、後ろから紺野が話しかけてきたが、私は振り返らないまま少し素っ気なく返事をした。ちなみに榊原というのは唯の名字だ。


「中城も早く彼氏作れよー」

「あんたもね、紺野」

「俺は好きな奴いるし」

「まじ。誰よ」


しかし紺野はそれをはぐらかすように、ポケットからひらひらと紙を取り出した。それは私も持っている、パーティーのチケット。


「あ、それ」

「何だ。お前も知ってんのか」

「さっき、マナに貰った」

「まじ? マナちゃんも来るんだ」


途端に笑顔になる紺野。男はみんな、一度はマナのことを好きになるらしい。だけど残念。マナは年上しか好きにならないタイプなのだ。


「中城も行くんだろ?」

「んー、まぁ」

「寂しい奴だな」

「あんたもね、紺野」


紺野はまた、嬉しそうに笑った。








もうすぐクリスマス

(何かが動き始めた)






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