やっぱり好きな女
『今日帰るの遅くなる』
水香からのメールの返信がないまま、俺は敦と共に、女との待ち合わせ場所に立っていた。待ち合わせ相手はこの間合コンで知り合った中の2人。その内の1人は一緒にカラオケを抜けてキスをした菜月だ。
あっちから電話は頻繁にかかってきていたけど、出たことは一度もなかった。このまま連絡を絶つつもりだったがいきなり、ダブルデートに行こう、と今朝敦に言われたのだ。
どうやらあの日、敦にベタベタしていた女(名前は忘れた)と菜月が勝手に提案したらしい。
女好きの敦はのり気だけど、ずっと電話を無視していた手前、俺の方は気分が重い。
断ったものの、結局敦の強引さに負けてしまった。
自分の明るい茶髪を弄りながら、敦は笑顔で言った。
「楽しもうぜ、大和」
「おー……」
「やる気出せよ。菜月ちゃん可愛いじゃん。2人でカラオケ抜け出しといて今更怖じ気づくなって」
敦にそう言われ苦手で、まぁなと呟いた。
「大和もさぁ、もっと遊べよ。女なんていっぱいいるじゃん。この年で1人の女に縛られるなんて、俺はごめんだね」
「別に縛られてはないけど」
「どうだか」
意味ありげに敦はニヤリと笑った。決して顔がかっこいいわけではないのに、敦が持つこの魅力は何だろう。
それは、松本太一から醸し出される独特の雰囲気に似ていた。きっと敦とあいつは、同じ種類の人間なんだ。
俺には、ない。
通り過ぎる車のヘッドライトが眩しくて目を細めた。それと同時にこちらへ向かって歩いてくる2つの人影が見えた。
制服姿の菜月と、もう1人の女。
「ごめん。お待たせ」
そう言ったのは菜月だった。彼女は真っ直ぐに俺を見て言った。
俺が何か言う前に隣の女が口を挟む。
「遅れてごめんね。菜月がもたもたするからさぁ」
「何よー。それ言うなら、さとみだって」
意味のないこのやりとりを止めたのは敦だ。さとみと呼ばれた女は敦に笑いかけられると頬を赤く染めた。
それを見た俺と菜月は何となく目を合わせる。彼女は柔らかく微笑んだ。
制服姿の学生が行けるところなんてたかが知れてる。クラスの奴がバイトしているカラオケ店に行き、酒を出してもらえるよう頼んだ。快くオーケーしてもらい、そのまま部屋に入る。
カラオケを歌う奴はいなかった。ただ4人で酒を飲みながら話しているうちに、俺以外の3人は酔っ払ってきた。
この間のことがあったので、俺はあまり飲まないようにした。
その内、敦とさとみが2人の世界に入り出した。俺と菜月は隣同士に座ったまま、ただ酒とつまみを交互に口へ運ぶ。
「何で電話に出てくれなかったの?」
菜月に聞かれ、俺は敦の方をチラリと見た。しかし自分の膝の上に座らせている女に夢中で何も聞こえてないようだ。
「忙しかったんだ」
「うそ」
「本当だって」
「うそ。彼女いるんでしょ」
「いないよ。好きな女すらいない」
「それも、うそ」
俺は菜月の方に顔を向け、笑いかけてみたが彼女の頬は赤くならなかった。くそ、敦みたいにはできねえな。
「ねぇ、大和くん。私嘘つきって嫌いじゃないの」
「へぇ」
「でも好きな人がつく嘘は、嫌い」
俺と菜月は数秒間見つめ合ったが、思わず吹き出してしまった俺を見て菜月が不思議そうに首を傾げる。
「好きな人って、なに。どういうこと?」
「だって私たちキスしたじゃない」
「したけど、意味はないよ」
菜月の眉が歪んだ。
俺は自分の携帯を開いた。吉岡未来からメールがきていた。そういえば、昨日から返事を返してないままだった。
すると菜月は、俺の手から携帯を奪う。返せよ、という前にもうメールを読まれていた。
「誰? この子」
「友達」
「ふぅん。好きなの?」
「はぁ? めんどくせえ」
菜月は慌てたようにごめんと呟き、俺に携帯を返した。やりすぎたとでも思ったんだろうか。
俺はもうこの状況にうんざりして敦に視線を送った。やっぱり来なきゃ良かった。
俺の視線をキャッチした敦は名残惜しそうに女を膝から降ろすと、じゃあそろそろ、と帰るよう促してくれた。
「えー、まだいいじゃん!」
さとみがふてくされたように頬を膨らました。くそ、鬱陶しい。
菜月は何も言わなかった。何度か頷いたあと、先頭を切って部屋を出た。
その後、敦はさとみを送っていくと二人で消えてしまった。
俺は強制的に菜月と二人きりになり、気まずい雰囲気のまま、チカチカと光るカラオケボックスの前で立ちすくむ。
どうせ敦の奴が素直にさとみを家に帰すわけがないだろう。女の方もまんざらでも無さそうだったし、まぁいいか。
時計を見ると、22時を過ぎていた。
「……家、どっち?」
「鏡川公園の方」
「近いな。遅いし送るよ」
「来れば」
「え?」
「うち、来れば?」
何で? と聞こうとしてやめた。菜月は顔を伏せ、照れたように唇を尖らせた。多分、勇気を出して言った言葉なんだろう。
だけど俺は頷かなかった。やめとくよ、とだけ言うと、今度こそ菜月は諦めたように頷き、そのまま踵を返して歩いて行く。
「送ろうか」
菜月の足が止まる。彼女はこちらを振り返ると、少しだけ微笑んでから答えた。送らなくていい、と。
そして再び歩き出す。
「ごめん」
離れていく菜月の背中に向かって言ったが、彼女はもう振り返らなかった。
俺はその足で、亮介の家に向かった。
あの合コンに誘ってきた時、渋る俺に、もし着いて来たらCDを貸してやると亮介が言っていたのを思い出したのだ。
だけど本当は、家に帰らない理由が欲しかっただけだった。
大通りに出ると、速いスピードで何台もの車が俺の前を走り去る。
みんなそんなに急いでどこに行くんだろう。誰か待たせている相手でも、いるんだろうか。
『だって私たち、キスしたじゃない』
菜月に言われた言葉と、キスをした時の情景が頭に浮かぶ。その記憶が妙にリアルに再現され、慌てて頭を振った。
一番好きな相手を忘れる為に他の女と付き合うのもいいと思う。だけど忘れられないのなら意味がない。それは今まで何度も、嫌というほど繰り返してきて、分かっていたはずなのに。
やっぱり好きな女
(あぁ、くそ、忘れられねぇな)