きっと忘れられるはず
水香がリビングを飛び出したあと、俺と美和ちゃんの間に微妙な空気が流れた。取り残されたような、そんな感じ。
俺は水香の言葉の意味が分かっていた。だけど追い掛けたりはしない。何食わぬ顔でまたテレビに視線を戻した。
「何だよ、あいつ。意味分かんねー」
「水香、どうしたの」
「知らねー」
美和ちゃんはそれ以上何も聞いて来なかった。
鍋から吹き出す蒸気を見て慌てて火を止めにいく。できた、と嬉しそうに呟くのが聞こえた。
キッチンから鍋ごと持ってきた彼女は鍋を俺に預けると、用意していた器をテーブルの上に並べる。
そして俺に、タオルを敷いた上に鍋を置くよう指示した。
「水香食べないのかな」
「そのうち来るよ」
「……」
「なに」
器に出来たばかりの肉じゃがを盛りながら、美和ちゃんが俺をじっと見つめてくる。
何だよ、一体。
「血の繋がらない姉弟ってどんな感じ?」
いきなり何を言い出すかと思えば……。
質問の意図を掴めず え? と聞き返せば再び同じ質問で返されてしまった。
「……別に普通だよ」
「普通って?」
「だから、普通の姉弟と変わらないって意味」
「そうかな」
「そうだよ」
少しムキになって答えれば、美和ちゃんは笑った。
「でもあんた達は、そんな風に見えないよね」
ふいに言われたその言葉に一瞬どきりとした。美和ちゃんは相変わらず器に肉じゃがを盛る手を止めない。
何だか見透かされた気がして怖くなった。
黙っていたら余計怪しいと思い、どういう意味だよ と尋ねたがすぐには返事が来なかった。
彼女は鍋をキッチンに戻しに行き、今度はトレイの上に3人分のご飯と漬け物を乗せてきた。
それをまた丁寧に並べ、やっと落ち着いたように椅子に座る。
「ひとつ、変なこと言っていい?」
「……いいよ」
「これは誰にも言ったことないんだけど、昔、私が学生で、大和と水香がまだ小さい頃ね」
「うん」
「あんた達は結婚するんだって思ってた」
肩肘をついて俺を見据える彼女の目は、何かを悟っているようにも見えて、俺は思わず顔を逸らしてしまった。
「馬鹿か。俺と水香は姉弟だぞ」
「うん。でも、思ってた。何でかな」
「……」
俺だって……俺だってそうなればいいって、思ってたよ。
口では、下らねーと呟いて肉じゃがに箸をつけた。あ、意外にうまい。
「どう? 美味しいでしょ」
「うん、悔しいけど」
「素直でよろしい。じゃあ水香も呼んできてみんなで食べよう」
「……うん」
美和ちゃんに促され、俺はリビングを出て階段を上がった。水香の部屋のドアはぴたりと閉められていて、少し躊躇したがノックをして呼び掛けた。
「水香、飯食おうぜ」
返事がない。全く、つくづく面倒くさい女だ。
意を決してドアを開けた。ノックしたから不法侵入ではない。
「おい、聞こえてんだろ」
部屋に入ると、ベッドに寝転んでこちらに背を向けている水香の姿が目に入る。眠っているわけではないようだ。
おい、と彼女の体を揺らすと、鬱陶しそうに目を細め仰向けになる。
「……なに」
「だから、美和ちゃんが飯出来たって」
「……すぐ行く」
そう言って再び横向けになる。どうしたものかと立ち尽くすが一向に動こうとしない水香。
「水香」
「んー」
「さっきのって、」
「なに」
「いや、いい……」
『否定しないんだ』
水香はそう言った。本人もつい口を滑らしてそう言ったんだろう。そんなこと言うつもりなんてなかったんだろう。だけど言ってしまったから、だから彼女は今こうしてふてくされているのだ。
そう考えると、何だか無性に可笑しくなった。
ふっと笑いを零すと、それに気付いた水香が振り向く。
「何笑ってんの」
「いや、別に」
「はぁ? 何よ、気になるじゃん」
「だってこれ言ったらお前切れるもん」
「なになになに」
「言わねーって」
「早く言ってよ、馬鹿。ねぇ、なに」
「いや、あのな」
「うん」
「可愛いよね、お前」
からかわれるのが嫌いな水香は、てっきり怒るかと思った。だけど彼女は怒らなかった。照れたように瞼を落とし、顔を赤らめるのを見ると、言った俺まで恥ずかしくなってしまった。
「言っとくけど……別に深い意味はないからな」
「分かってるよ……」
何でこんなに……不器用なんだろう。
お互いの気持ちは、丸見えだった。なのにどうして……分かってるのに、分からないふりをする。
でもそれが、俺たちが普通に過ごせるようになるための、たったひとつの方法なんだ。
なぁ水香……。俺はね、愛があればそばにいられないっていうなら、愛なんていらないって思ったんだよ。
きっと忘れられるはず
(この気持ちも、苦しみも)
夕飯を食べたあと、携帯を開いて未読メールを開けた。吉岡未来からで、明日は予定ある? という内容のものだった。
何だか苦しくなって、返事をせずに携帯を閉じた。