後ろ髪引いて
夕方、四国にいるお母さんから電話がかかってきた。おじいちゃんの体調が良くなり次第戻るとのことだけど、私と大和だけじゃ心配らしく、えらく気にかけていた。
そんな時だ。意外な人が家を訪れてきたのは。
「おじゃましまーす!」
底抜けに明るい声が玄関から響いた。チャイムも鳴らさず堂々と入ってきた声の主、それは……
「美和ちゃん……?」
そう、新妻のいとこ美和ちゃんだ。意外すぎる、そして突然すぎる。
とりあえず大きな荷物を抱えた彼女を、リビングまで案内する。
白のボレロにワンピースを着た美和ちゃんはとてもじゃないけど人妻には見えない。どう見ても女子大生だ。
疲れたと溜め息を吐きながらソファーにもたれかかる美和ちゃん。
私は戸惑いながらも尋ねた。
「それにしても急にどうしたの?」
「えー? だって今この家水香と大和しかいないって聞いたからさぁ。伯母さんえらく心配してたし、旅行がてら遊びに来ちゃった」
遊びに来ちゃったって……新婚が家庭ほっぽりだして何してんの。
「相変わらずの自由人だね、美和ちゃん」
「そうよぅ。結婚しようが私は一生変わらないわ。でもいいの。旦那もそれを分かってくれてるから」
「ふーん……」
「そう言えば、大和は?」
「あ……まだ帰ってきてないみたいなんだ」
「そう」
時計を見ると7時半だった。
いつもなら帰ってなくても当たり前なんだけど、両親がいない間はなるべく早く帰ってきてと約束していたのに。でも私がそう言った理由はそれだけじゃなかったのかもしれない。
それから美和ちゃんが夕飯を作ってくれた。私も手伝うと言ったんだけど、彼女はそれを制した。どうやら最近料理にハマっているらしく、その腕前を見てほしいとのことだった。
キッチンに立つ美和ちゃんの後ろ姿は主婦そのもので、やはり私たちに勉強を教えてくれていた頃とは違うのだ。
何だか、羨ましいと思った。
「水香はさぁ、彼氏いるの?」
「いないよ」
「じゃあ好きな人は?」
「それも……いないかな」
「私が水香くらいの時は彼氏なんて常に2、3人はいたのに」
「……だろうね」
包丁片手に明るく笑いとばす美和ちゃんは、女の私から見ても魅力的に思える。美人で、頭も良くてあっけらかんとしてる彼女でも、きっと恋愛に悩み辛い思いをしたことがあるんだろう。
その時、玄関の方で音がした。大和だ。
リビングに入ってくるや否や、煮物の匂いと美和ちゃんの姿に驚いたまま硬直している。
「お、帰ってきたか。悪ガキ」
「……何で美和ちゃんがいんだよ」
「何よー。もっと喜べよー」
大和は頭に?マークを浮かべて私を見た。私がいきさつを説明すると、納得したのか頷きながらキッチンへ近付く。
「お前料理なんて出きるわけ?」
「うわ、失礼ね。これでも新妻よ」
「お、意外にうまそうじゃん。見た目はな」
「水香ー、このガキすっごいムカつくんですけどー」
キッチンに立つ2人の様子を笑いながら見ていると、昔に戻ったみたいだった。
そう、あの頃。美和ちゃんがまだうちの近くに住んでて、私と大和がまだ……。
「あ、俺風呂洗ってくる」
学ランを脱ぎ、シャツの腕を捲り上げながら言う。その時一緒にポケットから携帯を取り出してテーブルに置いた。
一通り仕上がったのか、美和ちゃんはひと息吐きながら煙草を取り出した。
お父さんの灰皿を差し出すと笑顔でそれを受け取る。
「あ、携帯鳴ってるよ」
「え?」
鳴っているのは私のではなく、机に置いた大和の携帯だった。
すると何を思ったのか、美和ちゃんは大和の携帯を手に取る。そして何の躊躇もなく、画面を開いた。
私は慌てて止めに入る。
「ちょ、勝手に見たら……」
「女かなぁ〜」
「美和ちゃんっ」
「大丈夫だって。……あ、やっぱり女からメールだ。やるなぁ、大和も」
「……」
あぁ、何だろう。すごく胸が痛くて、立ってるのがやっとみたい。足元がふわふわして、今すぐここから逃げ出したい。
分かってるよ。大和の周りに女の子がいることなんて、当たり前だってこと。
すると合わせたように大和がリビングに戻ってきた。自分の携帯が美和ちゃんの手元にあるのを確認した途端、慌ててそれを引ったくる。焦ってはいるけど、怒ってはいなかった。
「人のメール勝手に見るなよ」
「いいじゃん。なに? 彼女?」
「違うって」
「もしや、好きな子から?」
「もーうるせぇな。関係ねぇし」
大和はそう言って携帯を閉じた。再びズボンのポケットに突っ込み、誤魔化すようにテレビをつける。
私の口から自然と言葉が漏れた。
「否定しないんだ」
言ってからはっとした。
大和は私を見て少しだけ眉をひそめ、美和ちゃんが不思議そうに首を傾げる。
何だか気まずくなってしまった私は、勢いのままリビングを出た。
後ろ髪引いて
(もう少しだけ、私のことで困ってみせてよ)