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ささやかな魔法


水香が部屋を出て行き、緊張の糸が切れた途端思わず溜め息が漏れた。

暗い部屋で上半身だけを起こし、水香が出て行ってしまったドアの方をじっと見つめる。意味はないけど、何となく。



「ごめんな……」



一人呟けば、じわじわと虚しさが増してきた。

水香本人に、ごめんと一言伝えればそれで全て許してくれと思っているみたいだから、言えなかった。

嫌いになったわけじゃない。あいつは確かに馬鹿だし、呆れるくらい情けないけどそんなの全然、構わない。俺が全部受け止めてやる。


だけど、忘れてくれと言ったのも、水香が好きだからなんだ。この気持ちに間違いはない。何があっても。

このまま引きずれば、水香を悩ますことは目に見えてる。


俺のこと、恨んでもいいよ。嫌いになってもいい。水香が、普通に幸せになってくれればそれでいい。


「ごめん……ごめん、水香」


俺、勝手だよな。勝手に水香を好きになって、勝手に終わらせようとしてる。でも本当に、後悔してるんだ。お前を好きになったこと。








次の朝、リビングへ降りるといつも通りの水香がトーストを焼いていた。

俺を見ると、変わらぬ様子で、食べる? と聞いてくる。うん、と流されるままに頷けば、俺の分のパンも焼いてくれた。

てっきり口も利いてくれないかと思っていた俺は拍子抜け。俺の前にパンを乗せた皿を置いた時、彼女は笑った。


「寝癖ついてる」

「……っせーよ」


あれ? 何だ、この感じ。何か、普通じゃん。


「大和、」


口にパンを運ぶ水香がふいに呟いた。


「私達、普通だよね」

「……」

「大和の言ったことが正しいよ」

「あぁ……」

「もう二度と……」


彼女はそこまで言うと言葉を止めた。俺は水香が話し出すのを待たず、立ち上がる。かじっただけのパンを皿に置いたまま、もう行くわ、とだけ伝える。

逃げるように、リビングを出た。

水香は何も言わなかった。






「お前んち、今親いないんだって?」



唐突に、かなり唐突に松本太一は言った。場所は学校の渡り廊下。時間は朝の8時45分。あと5分で本鈴が鳴る。

学校でこいつが俺に話しかけてくるなんてかなり珍しいことだ。むしろ初めて。


「はぁ……」

「そんな警戒すんなよ。水香から電話で聞いたんだ」

「そうすか。そんじゃあ、慰めてやって下さいよ」

「俺、水香と別れたって知ってる?」

「知ってますよ。でも水……姉貴のこと好きなんでしょ」


そう言えば、松本太一は照れくさそうに苦笑いした。


「好きなら戻ればいいじゃないっすか」

「いや、」

「その気はない? つーか、俺に何か用っすか?」

「まぁな。水香、他に好きな奴いるだろ? その相手って誰なんだ? お前弟なんだから知ってんだろ」

「好きな奴……?」

「あぁ。言ってたんだよ」

「さぁ……そういう話あんましないんで」


そう言ってはぐらかせば、松本太一は納得したように何度か頷いたあと俺の前から去って行った。それにしても意外だ。水香がアイツに好きな男がいるなんて言ってたとは。


(まぁ……もう関係ねえけど)





その日の放課後、俺の携帯に電話がかかってきた。ちょうど駅で敦たちと別れたところだったが、表示された名前を見て少し戸惑った。あいつだ、吉岡未来だ。


別に嫌いじゃないけど、映画での一件以来連絡を取っていなかったから妙に気まずい。かと言って無視する理由もないので、迷った挙げ句電話に出た。


「はい」

「……あ!大和くん」

「うん」

「あの、私っ、吉岡未来!」

「知ってる。分かってるよ」


どうやら相手は俺以上に緊張しているらしい。


「い、今どこ? 私駅の近くにいるんだけど、もし暇だったら会えないかなって……」

「いいよ。俺も駅だし」

「本当に?」

「うん、今どこ?」


断っておくが、俺は吉岡未来のことが好きなわけじゃない。故にこの女の誘いに乗るのは暇つぶし以外の何者でもないのだ。


5分後、俺と吉岡は踏切の所で合流した。話したいと彼女が言うので、ファミレスでも入るかと提案すれば、公園がいいと言う。このくそ寒い中公園なんかに行きたくなかったけど、仕方ない。自動販売機で2人分のコーヒーを買い、近くの小さな公園へ向かった。

もう日が暮れ始めている。誰もいない公園。外灯の黄色い灯りに照らされたベンチだけがぽつんと置かれているのを見てなるほど、こりゃ小学生でも寄り付かないだろう。公園というより空き地だ。


俺たちはベンチに腰掛け、とりあえずコーヒーを一口飲んで息を吐いた。冷え切った手には温かい缶コーヒーのありがたみがよく分かる。


「ごめんね、何か無理矢理連れて来ちゃったみたいで……」

「いいよ、暇だったし」

「でも……迷惑じゃなかったかな」

「……何で?」


吉岡は困ったように俯いた。両手で包み込むように持っている缶コーヒーをじっと見つめるが、何かを言い出す気配はない。


「吉岡って変わってるよな」

「そう、かな?」

「うん。最初は学校まで押しかけてきたくせに、今はすっげー遠慮がちだし。どっちが本物?」


少しからかうように笑えば、つられて彼女も笑う。


「私、いつも後先考えずに行動しちゃうんだ。だからそのたびに後から後悔するの」

「ふーん」

「大和くんはいつも冷静だよね。羨ましいな」

「別にそんなことないよ。余計なこと考えすぎて結局ダメになるときだってあるし。俺は後先考えない性格、嫌いじゃない」


吉岡の大きな瞳が俺を見る。寒いのか、鼻の頭が少し赤みを帯びていた。

少しの沈黙を見送ったあと、彼女は言う。


「もう分かってると思うけど」

「え、」

「私、大和くんが好きなの」

「……」

「中学の時から、ずっと。大和くんには好きな子がいるって、知ってるけどそれでも……」


俺は思った。

今のこの告白も、彼女の中では『後悔』になるのだろうか。


再び沈黙が訪れる。吉岡が俺から目をそらした。何てこと言ったんだ、と言わんばかりに目を泳がせている。

先に口を開いたのは俺だった。


「じゃあ、付き合う?」

「え?」


今度は目を丸くして固まる。コロコロと表情が変わる忙しい奴だ。


「大和くんは、私のこと好き……?」

「あー……嫌いじゃないよ」

「でも前好きな子がいるって言ってたよね」

「うん」

「その子のことはもう吹っ切れたの?」

「……多分」

「多分って……。付き合うって、好きだから付き合ってくれるんだよね」


吉岡未来の目は真剣そのものだった。俺なんかに向けられるには勿体ないくらい。


「ごめん。わかんねえ」


馬鹿だ、俺。

水香を吹っ切る為に、また違う女で穴を埋めようとするのか。


吉岡は悲しそうに俺を見つめたあと、そっか と俯いた。それを見た瞬間自分が軽々しく放った言葉に良心が痛む。ほんと俺、何やってんだろう。

ごめん、ともう一度謝るが、次の彼女の言葉は予想外なものだった。


「好きじゃなくてもいいから、付き合って下さい」

「は……」

「お試しでいい。大和くんがやっぱり無理だって思ったらすぐに振ってくれていい。それでいいから、お願い……」


吉岡は変わらず真剣だ。

その強い瞳は、俺の中の何かを動かした。


「自分を安売りするようなことはやめた方がいいよ。似合わない」

「……」

「さっきのは、ごめん。俺、吉岡の気持ちちゃんと考えてなかった」

「いいの」

「今すぐ付き合うのは無理だけど、努力はしたいと思う」

「え……」



俺の言葉の意味が分かったのか、彼女は大きな目を更に見開いた。そして嬉しそうに俺に向かって笑いかける。その笑顔を不覚にも可愛いと思う自分がいた。





ささやかな魔法

(好きに、なれるような気がした)






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