これが終焉?
大和が私を避け始めて、もう二週間が経った。
別に露骨に無視されるとか、そういうんじゃない。親の前じゃ普通に話す。何事もないみたいに。ただあれ以来、家族の前以外で滅多に話しかけてこなくなった。話しかけてきたとしてもそれは至極事務的なことばかりだ。
加えて夜遅くに帰ってくることが多くなった。家族が寝静まった夜中に酔って帰ってくることもしばしば。
そして彼は、メールアドレスを変えたことすら私に教えてくれなかった。
優柔不断で馬鹿な私に、大和はついに愛想をつかしたんだろうか。
だけど大和だって、他の女とキスしたじゃない。あの時謝ってきた大和の言葉を私は聞いたのに、何で自分は一方的に離れようとするのよ。くそ、何かムカついてきた。
太一くんからは3日に一度電話がきた。他愛もない内容で、1分も経たないうちに終わることもあった。私には彼が気を使っているような気がする。別れたあとで男は変わるんだろうか。
そんな折り、学校から帰ってきた私の目に、両親2人が揃って慌ただしくリビング内を駆け回るという光景が飛び込んできた。
私を見ると、お母さんは慌てた様子でバックに服を詰め込みながら言う。
「水香! 町田のおじいちゃんが倒れたって」
「え……」
「急で悪いけど今から行くから、家のことお願いね」
「ちょっと待ってよ……おじいちゃん大丈夫なの? 私も……」
「あんたも大和も学校があるでしょ。様子見て大丈夫だったらすぐ帰って来るから」
町田のおじいちゃんはお母さんのお父さんで、四国の田舎に住んでいる。おばあちゃんに先立たれ、一人で暮らしていた。そのおじいちゃんが倒れたんだ。お母さんの目にはうっすらと涙が浮かんでいる。きっと心配でたまらないだろう。
「お母さん、大丈夫……?」
お母さんは無理に笑顔を作った。そしてお父さんに手を引かれ、あっという間に家を出て行った。
嵐が過ぎたあとのような家の中で、私は立ち尽くす。
お母さんが出した服や小物を棚にしまって、一息ついた。慌てていたから片付ける暇もなかったんだろう。
おじいちゃんのことが心配だ。
優しくて、会えばしわくちゃの手で私の顔を撫でてくれていたのを思い出した。
まさか死んだりしないよね……。
そう考えた瞬間背中がぞくりと鳥肌を立てる。馬鹿な考えはやめるんだ。きっとすぐに元気になる。大丈夫、大丈夫……。
その夜、大和はいつもより早く帰ってきた。きっとお母さんが電話を入れたのだろう。帰ってきて早々、じいちゃんが倒れたって? と息を切らして尋ねてきたから。
「うん……お母さんもお父さんも2、3日は帰って来ないと思う」
「そうか……」
「……」
「水香、大丈夫?」
「うん、」
大和は、やっぱり優しい。大和の長い指が俯く私の頭を撫でて、髪に触れた。
「……」
だけどその手はすぐに引っ込んだ。そして何事もないかのように、彼は私から離れると冷蔵庫からお茶を取り出す。
私はその一連の動作を何気なく見ていた。
生まれつき茶色がかった髪。少し垂れがちの目にはくっきりと二重の線がついている。通った鼻筋に、部活もしてないのに程よく筋肉のついた痩せ型の身体。真一文に閉じられた口が一見大和の印象を近寄りがたそうにしているが、笑うとくしゃっと崩れる彼の笑顔が私は好きだ。
「大和」
「んー」
「これからはなるべく早く帰って来てよね。お母さんもお父さんもいないんだからもし何かあったら困るでしょ」
「……分かったよ」
その時大和は、しぶしぶ返事をしたけど次の日になれば学校から真っ直ぐ家に帰って来てくれた。
だけど特に何をするわけでもなく、リビングでテレビを見たり、飽きれば自室に戻ったりと同じ家にいるにも関わらず交わす会話もなく、お互いがお互いを意識しないよう務めていた。
そんな状況に耐えられず、私は大和の部屋へ足を運ぶ。
「大和、起きてる?」
夜、0時半。私は大和の部屋のドアを開けた。部屋に電気は点いていなかった。
ベッドの中に大和はいるみたいだ。もう寝てるんだろうか。返事がない。
もう一度呼びかけようとベッドの側まで近付いたとき、布団の中からくぐもった声がした。
「鍵でもつけようかな。誰かさんが勝手に入ってくるし」
大和は布団から顔を出すが、表情は暗くて読み取れない。
「ちゃんと声かけたよ。それにあんただって私の部屋に勝手に入ってくるじゃん」
「あれ? そうだっけ」
「とぼけんな、馬鹿」
「うーわ。水香ちゃん口わりー」
相変わらず馬鹿にしたような口調で私をからかう大和はやっぱりむかつく。
だけどすぐに真面目な声で、何か用? と尋ねてきた。
「……何で私のこと避けてるの」
呟くように、私は聞いた。
大和は少し間を開けたあと、笑う。
「はっ……なに。え、避けてるって? 俺が?」
「そうだよ」
「何で、馬鹿だなほんと……普通じゃん。普通だよ、別にこんなの。これが普通の姉弟じゃん」
大和は笑った。
馬鹿みたいに声を震わせて。
私は、まるで頭をハンマーで殴られたような感覚に襲われた。脳みそを揺らされたみたいに、頭の中がが真っ白になった。
「私達……普通の姉弟?」
「そうだよ」
彼は笑わなかった。今度ははっきりとそう言った。
いっそ逃げ出したかった。だけどここで逃げても状況は変わらない。私はその場に留まり、振り絞るように言葉を発する。
「何で急にそんなこと言うの?」
「疲れたんだ、もう。水香だってそうだろ。普通の相手好きになる方がよっぽど楽だよ」
「でも……」
「じゃあ水香は、俺に抱いて欲しいの?」
「は……?」
「それとも付き合いたいの? 結婚したいの? どこまでいけば満足?」
「そんなの、」
「無理だろ。姉弟だから。形なんて持てないだろ。終着点がないんだよ、俺たち。未来がないんだ」
大和の言うことは分かるんだ。でも、
「大和はもう、私を好きじゃないの……?」
「……忘れて。俺も忘れるから」
「あんたが先に私を好きだって……だから私、大和のこと……」
「俺のこと、最低だって罵っていいよ」
彼は静かに言った。
あぁ、もう、本当に駄目なんだ。
ベッドから離れる。
部屋を出る寸前、私はもう一度振り返った。
そして一言吐いて、ドアを閉めた。
「忘れたからって、なかったことにはならないのよ」
嘘つき。最低。私に言った言葉を全部、大和はなかったことにしようとしてるんだ。
これが終幕?
(ほら、やっぱりバッドエンドだったじゃない)