全てを知って失くしたもの
俺はその日、世界一見たくないと言っても過言じゃないものを見てしまった。
俺の何がいけなかったのか。合コンで知り合った女とキスしたことか、そもそも合コンなんかに行ったのが間違いだったのか、はたまた問題はもっと根本的な所にあるのか。
だから水香は、松本太一と一緒に家に帰ってきたのだろうか。
「……」
最悪のタイミングで鉢合わせ。俺が帰っていると、家の門の前に水香と松本太一が相合い傘をしているのが見えた。
一方俺は傘を持っていなかったので仕方なくコンビニで買ったところだった。
最初に俺に気付いたのは松本太一の方だ。続いて水香も俺に気付き、罰が悪そうに眉をしかめる。
「お、水香の弟じゃん」
「……どうも」
馴れ馴れしく話しかけてくる松本太一の後ろで顔を背けている水香に視線を送った。だけど水香は、俺の方を見なかった。
「じゃあ、俺帰るわ」
「うん……ありがとう」
「あ、水香」
「……」
「新しい彼氏できても言うなよ。ムカつくから」
松本太一がそう言った瞬間、水香が驚いたように顔を上げる。じっとこの男を見つめる水香に、俺は何だかいたたまれなくなった。
本当に水香が見るべき相手は、この男なんじゃないだろうか。
松本太一は去ったが、どちらも家の中へ入ろうとはしなかった。玄関の屋根の下、雨を凌ぎながら俺は言う。
「お前、まだ連絡とってんのか」
「……たまたま。会っただけだよ」
「たまたま会って、簡単に着いて行くんだ」
「どうしてそういう言い方するの? 会っただけって言ってるじゃん」
「いいよ、もう」
水香を責める言葉は浮かばなかった。
俺の中には既に落胆と諦めが渦巻いていた。
それにさっきの松本太一の態度を見ると、あいつが水香を好きだと言っていたのはあながち嘘じゃないかもしれないと思いだした。
その瞬間、自分の無力さを感じた。俺はやはり水香を好きになるべきじゃなかったのだ。
俺が幸せにしてやりたいと思った。男運のない馬鹿なこいつを守ってやりたいと思った。だけどそれが俺にはできない。そんなこと分かってたはずなのに。
水香が幸せになるなら、何でもいい。あいつと戻って、幸せになるなら、そうしてくれ。
「入ろう。寒いだろ」
「待って」
「何だよ」
「大和。信じて」
「何を」
「私太一くんのこと、好きじゃない。私が好きなのは……」
「水香が好きなのは、あいつだよ」
「違う!」
「そうだよ。水香はあいつを好きになるべきなんだ。別にあいつじゃなくてもいいけど、間違っても弟を好きになんかなるべきじゃない」
「血が繋がってないって……姉弟だからそれが何って……言ったのはあんたの方じゃない」
近所に誰もいなくて良かった。こんなこと誰かにきかれてたら大騒ぎだ。だけど家には母親がいる。だから水香は俺をこの場に引き止めたんだろう。
「逃げるの?」
水香の瞳が真っ直ぐ俺を射抜く。思わず目を逸らしそうになった。
逃げるんじゃない。逃げるんだったら、俺は多分無理矢理にでも水香の手を引っ張り何もかも捨てて2人で逃げようとするだろう。
だけど勿論そんなことはしない。そんなことをしたら、水香は泣くよ。元に戻りたいって、きっと言う。そういうのは俺が望んでることじゃない。
俺は後悔してるんだ。水香に好きだと言ったことを。初めてキスした夜のことを。だけど……
後悔したってもう遅い。
だから、水香。お前を手放すよ。
ごめん。もう怒ったり、縛り付けたりしない。引き止めもしない。
こんなに苦しいなら、俺もお前も自由になった方がいい。身を削るような恋愛はしてほしくないんだ。
「ねぇ大和、」
「やっぱり馬鹿だよ……お前」
「何で太一くんと付き合えなんて言うの? あんた私を好きだって言ったじゃない」
「もう忘れていいよ、あんなの」
水香の目が赤くなっていく。微かに潤んだ瞳で俺を睨みつけ、最低だと吐いた。
「馬鹿みたい」
水香が家の中へはいる。大きな音をたててドアは閉まった。
俺は追いかけるでもなく、しばらく呆然と立ち尽くす。
雨の月曜日。俺は、彼女を手放した。
全てを知って失くしたもの
(普通の姉弟に戻ろう)