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機械のような冷徹男


朝、学校に行こうといつものように家を出た。空にはどんよりと厚い雲が覆い被さっていて、嫌な天気だ。いつ降り出してもおかしくないような、そんな日。おまけに空気まで、凍ってしまったかのように冷たい。


駅へ行くと、私よりも先に家を出ていたはずの大和がいた。どうやら私を待っていたようで、目が合うと近付いてくる。

昨日の夜から大和とは一言も口を利いていない。彼はイライラしているようだったし、私も中途半端な大和にイライラしていた。私を好きだと言いながら、他の女とキスをしたなんて当てつけとしか思えない。大体私が何したって言うのよ。


「水香」


通り過ぎようとした私を大和の声が呼び止めた。あぁ、朝から鬱陶しい。


「何? 待ち伏せまでして」


わざと冷たく言うと、大和は一瞬ぐっと喉を詰まらせた。ざまーみろ!


「いや、あの」

「なによ」


そう言えば気まずそうに着崩した学ランの襟元を少し弄る。寒さの為、彼の鼻はほんの少しだけ赤くなっていた。


「昨日はごめん」

「別に」

「俺酔ってて、それで」

「酔った勢いでキスしたんだ」

「ごめん……」

「別に謝る必要ないんじゃない? 私達付き合ってるわけじゃないし」


あ……今、私すごく嫌な言い方した。言った瞬間胸が痛んだけれど、それでも大和は続けた。


「……でも水香を傷つけただろ」

「そうだね」

「付き合ってるとか付き合ってないとかは関係ねぇよ」

「う、ん」

「だから、ごめん」

「……うん」


頷くことしかできなかった。

大和が他の子とキスしたことは確かに嫌だったけど、私にそれを責める権利はない。だって、私は姉で、大和は弟で、私たちは姉弟で。

嫌だけど、仕方ない。こういう気持ちになるのは初めてじゃない。


それから私達は途中まで一緒に電車に乗った。

人がぎゅうぎゅう詰めにされた電車の中。前に立っている背の高い大学生のイヤホンから音楽が漏れている。静かな車内に、その音だけが異様に浮いていた。

揺れる車内で大和と肩がぶつかる。大丈夫か、とにこりともせずに大和は言った。それが彼の最大級の優しさだっていうことを私は知っている。



私達、これからどうするべきなんだろう。



ふいに浮かんだ不安を言葉にするのが怖かった。

慌てて飲み込み、何事もなかいかのように、目を瞑った。






「おはよう」


朝、教室へ行くと誰かがそう言って私の肩を叩いた。突然のことに私は驚いて振り返る。その相手がマナだったから更に驚き、すぐに返事が返せなかった。

マナは少し遠慮がちに微笑んだ。まだぎこちなさの残る彼女は緊張しているようだった。


「お、はよう……」


そう言うと、マナは嬉しそうに笑う。そしてもう一度、おはよう水香と言った。


驚いたけれど、私は嬉しかった。彼氏と友達を一気に失ったと思っていたから。太一くんとは無理でも、マナとはまた普通に話せる日がくるんだ。

もしもマナが、太一くんと付き合ったとしても。


「数学の……宿題やってきた?」


無理矢理話題を作るかのようにマナは言った。かきあげた彼女の髪からコロンの匂いがする。

私は鞄をロッカーに入れながら固まった。


「え、宿題あったっけ?」

「あったよぅ。もしかしてやってない?」

「うん。やばい。完全に忘れてた……」

「……マナの、見る?」


恐る恐る、というようにマナは言った。いいの? と私が尋ねれば花が咲いたように笑って頷く。

ノート取ってくる、とマナはその場を離れる。

もしかして私もマナも、ただ仲直りする口実が欲しかったのかもしれない。


何気なく携帯を開いた。マナーモードにしていたか確認がてら。


「……」


ぽかんと口を開けたまま私は固まった。頭がズキンと痛む。

画面に着信一件の表示。そしてそれは、またしても太一くんの番号。


「どうかした?」


戻ってきたマナにそう言われて慌てて携帯を閉じた。何でもないよと作り笑顔でさり気なく携帯を鞄に突っ込む。ついでに電源も切った。

マナは何事もないように、私にノートを差し出す。ピンク色のノートはいかにもマナらしい。


「ありがとうマナ、ごめんね」

「ううん」


朝のHRを知らせるチャイムが鳴った。教室に散らばっていたクラスメートたちがパラパラと自分の席に戻って行く。

私も自分の席についた。じきに担任が入ってくる。


「おい、中城。おいっ」


後ろの席の紺野に襟を引っ張られ、しぶしぶ振り向いた。

何よ、とわざと無愛想に言うが紺野には効いていないようだ。


紺野は入学当時から仲の良い男友達だ。バスケ部のエースで、後輩の女の子から人気があるらしく最近調子に乗っている。

昨日唯とバスケの試合を観に行ったのも紺野がやたらと応援に来いとしつこかったからだった。


「何? また応援来いって?」

「違ぇよ、まぁそれもそうだけど」

「でもバスケって面白いね。私だいぶルール覚えたよ」

「だろ? やっぱバスケが一番だよな」

「あんたも、かっこよかったよ」


その言葉に特に大した意味はなかった。

だけど紺野は一瞬言葉を途切れさせ、目を開いて私を見つめる。

わけが分からず私が、何? と聞けば慌てて笑顔になる。そして、今頃気付いたのかよ、と少し遅れて返事をした。


「で、何か用?」

「え?」

「何か言うことあったんでしょ?」

「あ、うん。あのさ、聞いていいか?」

「え、なになに」

「お前さ」

「うん」

「彼氏と別れたのか?」


……何だ、そんなことか。

人の噂というものは恐ろしい。


「うん、別れたよ」

「ふーん……」


自分から聞いてきたくせに何だそのいかにも興味のなさそうな返事。紺野は目を伏せ、机の上に肩肘をついて欠伸をした。


「その反応むかつく。慰めの言葉はないわけ?」

「だって中城から別れたんだろ」

「そうだけど……」

「じゃあ慰めてもらう必要ねぇじゃん。自業自得っていうんだぜ」

「そ、う、で、す、ね」


私はそう言い捨てて前を向いた。

紺野はバカだから分かんないんだ。別れを告げる方だって辛いってことを。私がどんな想いで、太一くんに別れを告げたかを。紺野はバスケバカだから、分からない。

すると紺野は 何怒ってんだよーと無神経にも呼びかけてきた。

私は無視を決め込み、一度も振り向かなかった。





放課後、委員会へ向かう唯と別れ、靴箱へ行った。

思わず立ち止まる。外は雨が降っていた。小降りならまだしも、結構な具合に降っている。駅まで走るにはかなり勇気がいる。

湿気の臭いと、地面を打つ雨音が鳴る。

私は傘を持ってきていなかった。

ローファーに履き替えたものの、呆然とする私の横を傘を持った勝ち組達が通り過ぎていく。

そういえば、大和も傘を持ってなかった。多分彼も、今頃げんなりしているだろう。


スカートの中で私の携帯が震えた。ある種の期待を込めて携帯を見ると、太一くんからの着信。本日二度目だ。


「……」


切ろうと思って電源ボタンに親指を添えた。



「……はい」


だけど、できなかった。



電話の向こうで、よぅ、という太一くんの声と、遠くで電車の音がした。

今どこ? と彼が問う。

学校、と私は短く答えた。


「まじ? もう帰んの?」

「……もう少しいるかも」

「ふーん。何で?」

「雨降ってるから。傘ないの」


太一くんはもう一度つまらなそうに、ふーんと唸った。何なんだ、紺野といい太一くんといい、そんなに私に興味がないならいちいち関わってこないでほしい。


電話はどちらからともなく切れた。私が切ったのかもしれないし、太一くんが切ったのかもしれない。確かに電源ボタンを押したけれど、私が押すより先に電話が切れたような気がした。まぁ別に、どっちでもいい。


いつの間にか誰もいなくなってしまった靴箱で、私は一人壁にもたれて降り続ける雨を見つめた。

雨は濡らす。何もかもを。そのまま全部洗い流して、ゼロにしてくれたらいいのに。そして、最初からやり直したい。そしたら私は、今度は太一くんのことも大和のことも好きにならずに暮らすのかな。


どれくらいの時間が経っただろう。声をかけられ、振り向けばバスケ部のジャージを着た紺野が立っていた。私を見て少し驚いた表情をしている。


「中城じゃん。誰か待ってんの?」


紺野が聞く。


私は首を横に振った。


「傘ないの。雨、止むかなって」

「一人で?」

「うん」

「朝天気予報で、今日は夜中までずっと降るってよ」

「みたいだね。そろそろ帰るよ」


別に雨に濡れたくないからここにいたわけじゃなかった。何となく、誰もいない靴箱で雨を見ていたい気分だったのだ。

時計を見ると、靴箱に来てから10分が経過していた。まだ、10分しか経ってなかったんだ。


紺野はバッシュを履いたまま、靴箱の下へ下りてきた。


「俺の傘貸そっか?」

「ううん、いい。駅まで走ればすぐだし」

「そっか。気を付けてな」

「うん。紺野も練習頑張って」



そう言って去ろうと門の方を見た時、こちらに向かって歩いてくる人物に気が付いた。そして私には、それが誰なのか一目で分かってしまった。


ビニール傘をさして、一人歩いてくるブレザー姿の男。あの背格好は、間違いない。


「太一くん……」


呟いた私の言葉を紺野は聞き逃さなかった。え、と言葉を漏らし、私の視線の先を見る。


太一くんは私を見て笑った。付き合い始めた頃に見せてくれたような優しい、笑顔だった。

私は笑い返さなかった。全て呑み込まれてしまいそうで怖かったんだ。


太一くんは私の隣りにいる紺野を気にせず、近づいてくる。思わず私は後ずさった。紺野は戸惑いを浮かべて私と太一くんを交互に見る。


「何で……」


そう言うので精一杯だ。

何で……何で?


「たまたま近くまで来てたからついでに寄ったんだよ」

「そう……」


傘を畳ながら太一くんは言う。もう笑顔はない。私は慌ててその場を離れるように歩き出した。すかさず追ってくる太一くんの声。


「待てよ」

「私、帰るから……」

「本当は、会いにきた」

「……」

「一緒に帰ろう」


傘を差し出しながら太一くんが言う。何で今更になって、そんなことするの?


紺野をチラリと見た。心配そうに、何か言いたげな顔をして私を見ている。何だかいたたまれなくなった私はそのまま何も言わずに雨の中を走った。肌を刺すような雨も、水を含んで重くなった鞄も今はどうでもいい。私は、逃げたのだ。




すぐに追いかけてきた太一くんの手を振り払う。その拍子に私の爪が彼の頬をかすめた。

やばい、とっさに思って振り返ったけど、太一くんは何も言わなかった。


「濡れるよ」


そう言い、私の頭上に傘を広げる。


「もう……濡れてるから」


太一くんの傘に守られながら、俯いて答えた。


「そんなに嫌いになった? 俺のこと」

「……」

「他に好きな奴でもできた?」

「……うん」


恐る恐る頷けば、そっかそっかと太一くんが言う。その声には明らかに落胆の色が混ざっていた。


「せめて送らせろよ。風邪引くぞ」

「……うん」


どうしてそんなに優しいの。あんなに冷たい人だったじゃない。

だから……だから私――あんなに苦しかったのに。

別れたあとでこんな風にしてくるなんてずるいよ。

やっぱり太一くんはひどい男だ。ちゃんと、別れさせてもくれない。






機械のような冷徹男

(でも機械じゃないから、人間だから、好きになったのだ)



どんな人でも、後悔するのかな――。






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