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不幸を幸福と呼ぶ


太一くんと別れてからは、自己嫌悪に陥ることもなくなった。携帯を執拗にチェックすることもしなくなったし、今まで私を枠にはめていた何かが外れてしまったみたいに、息が楽になった。


なのに、体育の授業が終わったあと、何気なく携帯を開けば着信ありの表示。誰だろうと確認してみれば、名前の登録されていない番号だった。


太一くん……!


名前がなくても、頭が番号を覚えてる。これは間違いなく、太一くんの携帯番号だ。

心臓が跳ねた。まさか電話なんかくるとは思いもしていなかった。だって太一くんとは別れたんだ。あんな、最悪な形で。


(何で……)


気になったけど、かけ直さなかった。何も見なかったことにして急いで携帯を閉じた。

どうしたの、と唯が言う。何でもないって私は答えた。本当にもう、何でもないんだから。


それでもあとの授業、ずっと電話のことが引っかかって仕方がない。先生の声をBGMに、黒板を見るでもノートをとるでもなく、ぼーっとしていると、斜め前の席のマナと目が合った。

一瞬緊張したものの、マナは気まずそうに再び前を向く。私は彼女の長い後ろ髪を見ながら、胸の痛みに気付かないふりをした。


マナとはあれ以来話していない。目が合ったのすらすごく久しぶりだ。マナも私のことは避けているようで、前のように挨拶を交わすことも恋話に華を咲かせることもしなくなった。私だって、きまずいことには変わりないのだ。


スカートのポケットの中で携帯のバイブが鳴るを感じた。短いバイブ、メールだ。

先生にバレないよう、そっとポケットに手を突っ込む。机に隠れて携帯を取り出し、開けてみれば送信者はなんとマナであった。


マナのメールを開けるのは、正直こわかった。何がなのかは言葉じゃうまく言えないけど、出来れば読まずに削除したかった。

でもどんな内容であれマナは、私の何倍もの勇気を出して私にメールを送ったんだろう。そう思うと無視はできない。



放課後、話がしたいの。



絵文字も何もないそのメールには、そう一言だけ書かれてあった。

私は顔を上げて、思わずマナの後ろ姿を見る。彼女は何事もないかのようにじっと黒板を見つめていた。



分かった。



私も同じように簡潔な文で返事を送る。そして携帯を閉じ、机に突っ伏して寝たふりをした。







放課後になり、帰る準備をしたみんなが教室を出て行く頃、マナが私の元へ来た。顔を強ばらせたまま、ちょっといい? と尋ねてくる。私は黙って頷き、鞄を肩にかけてマナの後ろに着いて行った。


着いた所は女子トイレ。幸い誰もいない。向き合う形の私たちの間に気まずい空気が流れた。沈黙に耐えきれず、なに? と聞けば、少し遅れてマナの口が開く。



「水香……太一くんと別れたんだね」

「……そうだよ」

「太一くんのこと、好きだった?」


私は頷いた。

水香は一瞬目を伏せて、そのあともう一度私を見る。

私は尋ねた。


「マナは好きだったの?」


少し躊躇した素振りを見せたあと、マナは頷く。


「好きだと思った」

「……」

「マナね、もう何ヶ月も前から彼氏と別れてたんだ」


初耳だった。マナは、大学生の彼氏と付き合い始めた頃に貰ったというリングをまだ左手薬指にはめていたし、別れたという噂は誰からも聞いていない。

今だって、彼氏に貰ったという新作のグロスをつけている。

振られたの、とマナは呟いた。

私はきっと明らかに戸惑った表情をしていたんだろう。彼女は私をチラリと見てから、再び話し始めた。


「でも、順調に行ってるふりしてた。別れた事を誰にも言わなかったのは、彼氏のことが好きでたまらなかったからじゃなくて、可哀相だって思われたくなかったから。彼氏に未練はなかったけど、《大学生の彼氏がいる自分》には未練があった」

「……」

「みんなに、マナは全部順調だって思われたかった。同情も同調も嫌いなんだ。別れて寂くても、みんなから幸せそうだって思われたら、それだけで満足だったの」


きっとマナは、彼氏に振られた日一人で泣いたんだろう。誰にも相談せず、幸せな恋愛をしているふりをしていたのだ。

それは太一くんと付き合っていた時の私と同じだった。


マナの長い指が髪の毛をかき上げる。俯き気味の彼女の表情はいつもと変わらなかった。

きっとマナは、悲しい気持ちを制御できる種類の子なんだ。それがどんなに孤独で、寂しいことかを私は知ってる。


「……別れて1ヶ月くらい経った時、中学の時の友達に合コンに誘われたんだ。人数合わせで行ったつもりだったんだけど、そこに太一くんがいたの」

「偶然?」

「うん、偶然。水香ずっと前に太一くんと撮った写真見せてくれたよね。だから一目で分かった」


それからマナは、ふぅと小さく息を吐いた。そしてより一層声を重たくする。


「初めは、普通に話してたんだ。でも太一くんに二人で抜け出そうって言われて、私それに着いて行っちゃった。断ることもできたのにね」

「そのまま…ホテルに行って朝帰り?」


マナは頷く。


「正直、ホッとした。可哀相なのは私だけじゃないんだって。水香だってこんな浮気者の彼氏に騙されて、私なんかよりよっぽど可哀相な女だって……最低だよね」

「……そうだね」


そう答えると、マナはぐっと言葉を詰まらせた。私はどうしようもない怒りで頭がいっぱいになった。どっちがより可哀相かを比べるなんて、馬鹿馬鹿しい。


「太一くんて、女の子の扱いすごく上手いね。2回目のデートが終わる頃には私好きになってた。だから告白したんだ。水香と付き合ってるって分かってたけど、もしかしたら私を選んでくれるかもしれないって思ったから」

「……太一くん、何て」

「見事にあしらわれたよ。悔しくて、私が水香の友達だって言ったらすごく焦ってた。その日からもう、連絡はぱったり」

「今も?」

「一度だけ電話がきた。開口一番に《水香に別れるって言われた》って」


きっとあの日だ。太一くんの家に行って、無理矢理押し倒されたあの日。


「太一くん、すごく怒ってた。私が水香にバラしたからじゃないかって……」

「……それだけじゃないよ」


それだけじゃ、ない。マナとのことは確かに引き金になったけどそれだけじゃかった。太一くんとの別れを決める時、そこには私自身色んな思いや問題があった。太一くんが、マナが、悪いんじゃない。


マナは言った。


「太一くんと、戻ってあげて」


私は尋ねた。


「どうして?」


「太一くん、本当に水香のこと好きだったんだよ」

「無責任なこと言わないでよ」


本当はマナのこと、もっと責めたかった。でもそれは八つ当たりだって分かってる。大和とキスまでした私に、マナを責める権利はない。


下校を知らせるチャイムが鳴った。いつの間にか、窓から見える空はオレンジ色に染まっている。

コンクリートに囲まれたトイレは寒い。冷たいタイルの上にいた私は、冷えた脚を一歩動かした。


「水香、」

「私、怒ってないよ」

「……本当に?」

「うん。だからもういい。話してくれて、嬉しかった」

「水香……ごめん」


私はマナを置いて先にトイレを出た。

廊下を吹き抜ける風がむき出しの脚を撫でる。思わず身震いしてから、足早に校舎をあとにした。






校門を抜け、駅へ行く。改札のところに立っている人物を見て、足が止まった。

人混みにいても見つけられる、背の高い彼。

ゆっくりとこちらに視線を送り、私と目が合うと、両手をポケットに入れたまま何か言いたげに目を開いた。


私は再び足を進めようとするんだけど、思うように動かなかった。このまま引き返そうか。それとも、知らない顔して通り過ぎようか。

何人もの人が改札を抜けて行く中、私はと太一くんは向かい合ったまま突っ立っていた。


「……よう」

「……」

「何で電話出ねえんだよ」

「だって、別れたじゃない」


太一くんは眉をしかめた。そしてゆっくり近づいてくる。

私は慌てて歩を進めた。振り切るように改札を抜けようとすれば、寸前で腕を掴まれる。

離して、と言えば彼はすかさず、ごめんと言った。

それでも抵抗を続ける私を見て太一くんが一瞬ひどく切なげな顔をしたから、胸がちくりと痛んだ。。


電車が到着する。ぞろぞろと人が降り、次に乗る人が足早に駆けて行った。


「勝手だよ、いつも……」

「水香、」

「私そんなに、馬鹿じゃない……」

「聞けよ。俺は本当に」


私は思い切って、太一くんの腕を振りほどいた。人目もはばからず、大声を上げる。太一くんと付き合ってる時も、別れた時でさえ、我慢してた感情が今になって溢れてきた。悲しいわけじゃないのに、涙がぽろぽろと零れてしまう。


「馬鹿にするのもいい加減にして! 嘘はもう沢山! 今更何言ったって……もう、遅いよ……」


太一くんの顔も見ずに、定期を入れると私は急いで改札を抜けた。そしてそのまま一度も振り返ることなく、電車に飛び乗った。間一髪で間に合い、ドアが閉まったのを確認してそっとガラス越しに改札の向こうを見る。私のいる電車内からは太一くんの姿は見えなかったけど、きっと彼はまだそこに立っているんだろうということは分かっていた。

電車が走り出し、駅から遠ざかるとホッと息をついた。手すりにしがみつき、もうすっかり暗くなってしまった外を眺める。

ガラスに映った自分の泣き顔に気付き、慌てて涙を拭った。







「お帰り」


リビングでテレビを見ていた大和がソファーに寝転んだまま言った。

そのまま彼の元へふらふらと歩み寄り、首をうなだれてカーペットの上にぺたりと腰を下ろす。大和の姿を見た途端、私はひどく安心したのだ。


「どうしたんだよ。具合悪いのか?」


そう言って身体を起こすと、私の顔を覗き込んできた。


「大和、ありがとう」

「は? 何だよいきなり」


本当に、そう思う。大和がいなかったら、大和を好きになっていなかったら私はきっと太一くんの腕を振り払うことが出来なかっただろう。以前の私のように、嘘だと分かって、彼の言葉を信じただろう。

ありがとう、大和。

相手に委ねてばかりの恋愛ばかりをしてきた私でも、こんな風に変われるんだって分かったから。


付き合ってた人に怒鳴ったのは初めてだった。今までは、彼氏や好きな人に嫌われるのが怖くて言いたいことも言えなかったから。いつだって、この人に嫌われたら終わりだって思ってた。

そう言えば、ちゃんとした喧嘩さえしたことなかったな。

自分さえ我慢したら全て上手くいくなんて、どうしてそんなことを思っていたんだろう。我慢できないから、辛いのに。


「……よく分かんねえんだけど」

「うん」

「いや、うんじゃなくて、」


まぁいいや、と大和は言って、うなだれたままの私の頭に手を置いた。


好きになって、良かった。

私、幸せだ。






不幸を幸福と呼ぶ

(夢ならここで終わらせて)







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