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確かに愛されてたって


あれから、2日。太一くんは機嫌を直し、またおはようメールを送ってくれるようになった。

マナは何事もないかのように私に話しかけてくる。


「最近彼氏と、どう?」


体育、マラソンの時間だった。トラックをのろのろと走る私の元にマナがやってきた。足を止めることも無視して走り去ることも私にはできない。


「……普通だよ。今日も朝、メールしたくらい」

「ふぅん……」


マナの形のいい唇が少しだけ尖った。ふと目についた。彼女がつけているグロスは見慣れないものだった。

その視線に気付いたのか、彼女は笑顔を作って自慢気に言う。


「これ、冬の新作グロス。彼氏に買ってもらったんだ」

「……優しいね、マナの彼氏」

「うん。大学忙しくてあんまり会えないからそのお詫びだってさ」


本当に、幸せそうにマナは笑う。あんまり嬉しそうだから、太一くんと浮気してるなんて悪い冗談なんじゃないかと思ってしまう。


「でもさ、水香」

「ん?」

「マナ、2組の友達から聞いたんだけどね、その子がこの前行った合コンに、水香の彼氏もいたんだって。それでね、ちょー可愛い子と2人で帰ったって」


悪びれる様子もなく、マナは言った。2つに結んだマナの長い髪の毛が風に靡く。


「そうなんだ……。嫌だけど、それくらいは仕方ないかな」


私がそう言うと、マナは驚いて目を見開く。必要以上に大きな声を出した。


「そんなの許しちゃだめだよ! ガツンと言った方がいいよ? 男って甘やかすとすぐ調子乗るんだから!」


お前が言うか。私の中から、静かに怒りが沸いてくる。トイレで聞いた言葉を忘れたわけじゃない。私が知らないと思って、この女……。


「マナなんかねぇ、彼氏が他の女とメールしただけで泣き叫んで暴れまくっちゃった。だってマナに隠してたんだよ? ひどいよねぇ。そしたら彼、謝ってきてさぁ、謝るくらいなら初めからすんなって感じ。だから水香もあんまり……」

「マナ」


私は、マナの言葉を遮った。顔は真っ直ぐ前を見たまま。走る足がひどく重く感じる。握り締めた両手に汗が滲んだ。


「あんた、うざい」


冷たく言い放ったその言葉は、自分でもびっくりするくらい重く響く。マナの顔は見なかった。ただ隣りを走る彼女が唖然としていることだけは分かる。


「なに、水香……意味分かんない」

「分かるでしょ。だってマナ、私の彼氏とヤッたよね」

「……」


私はそのまま、走るスピードを速めた。マナを置いて走り去ると、すぐに息が乱れる。後ろを振り向く勇気はない。はっきり言えてスッキリするはずなのに、どういうわけか、言う前よりも心は重たくなってしまった。



私も、怒れば良かったんだろうか――。


初めて太一くんの浮気が発覚した時、マナみたいに私も泣き叫んで暴れまくったら良かったのかな。我慢なんかしないで、言いたいことぶつけてたら良かったのかな。


そしたら……そしたらきっと、もっと違う形で付き合っていけてた。





最後の一周を走り終わった時、私よりもずっと前に走り終わっていた他の子達と一緒に唯が木陰で休んでいた。こうやって、少し離れた所から彼女を見ると、唯がいかに魅力的かが分かる。パーツが派手なわけでもない。目が特別大きいわけでもない。ただ全体のバランスが整っている唯の顔はすごく綺麗だ。スタイルも良くて、ショートカットも似合ってる。

私が近付くと、唯は笑顔を見せてくれた。


「おつかれ」

「ん」


唯からタオルを受け取り、私も隣に座る。周りを見渡してみたけど、私の少し後ろを走っていたはずのマナの姿は見当たらなかった。

それに、安心している自分もいる。


「あのさ、唯」

「うん」

「私、太一くんのこと諦める」


唯が私を見た。決めたの? と抑揚のない声で問う。小さく頷いた私に、そっかそっかと答えてくれた。


「太一くんはもう、私のこと好きじゃない」

「水香は?好きじゃないの?」

「……好きだよ。でももう、それだけじゃだめだから」


好きだと、思いたかった。

幸せな恋愛をしているふりをしていたかった。

そうしないと、バランスが崩れてしまいそうだった。

でもそれこそが私自身を縛り付け、小さくしてたんだ。


マナのことは言わなかった。悪口になってしまいそうで嫌だ。別に言うべきことじゃないって分かってたから。




体育の時間が終わり、制服に着替えたあと、休み時間を見計らって私は太一くんに電話をかけようとした。


五回目のコールで彼が出る。


「……もしもし」

「おう。どうした」

「今日、会えないかな」

「今日?」

「太一くんに、話があるの」


少しの沈黙が流れたあと、分かったと彼は短く返事をした。




六限目が終わると、私は学校を飛び出した。マナは体育のあと体調不良で早退したと、マナと仲の良い友達から聞いた。余程ショックだったんだろうか。でも、自業自得だ。私はそこまで優しい人間じゃない。


唯が頑張れと一言くれた。笑顔で返して、門を抜ける。電車に乗り、待ち合わせた駅に着いた。改札を抜けた柱にもたれた太一くんの横顔を発見する。背の高い彼は、いつだってすぐに見つけられた。


「太一くん」


近付きながら名前を呼ぶが、返事はない。彼は私に気付かず、耳にイヤホンをしたまま、熱心にメールか何かを打っていた。


「……」


前は、こんな風じゃなかった。待ち合わせに私が来れば、笑顔で迎えてくれた。こんな風に……私を視界から追い出したりしなかった。

胸がずきっと音を立てたみたいに痛む。


もう一度、名前を呼んだ。今度はちゃんと気付くよう腕に触れた。こちらを見た太一くんは、あぁ と漏らし、イヤホンを外す。携帯を閉じてブレザーのポケットに押し込んだ。


「どこ行く? 俺ん家でもいいけど」


笑って太一くんは言う。

彼が家でもいいと言う目的は分かってた。でもやっぱり、ゆっくり話せるなら家かな……。


「……じゃあ太一くんち」

「オーケー」


そう言って太一くんの大きな手が私の手を取る。お前手冷たいな、なんて優しく笑いかけてくるもんだから、私は泣きたくなってしまった。


太一くんの家は歩いて10分ほどの距離にある。母子家庭で、お母さんは仕事いつもいないらしい。今まで私も何度も行ったけど、太一くんのお母さんに会ったことは一度もなかった。


太一くんに手を引かれるように駅を離れる。道行くカップルはみんなすごく幸せそうで、何の問題もないかのように見えた。だけどみんな、それぞれ二人にしか分からない問題を抱えているんだろう。

冷たい風が頬を撫でた。指先まで冷たくなった私の手を太一くんがずっと握っている。それはとても、暖かな手だった。


太一くんの住むマンションに着き、エレベーターに乗った頃にはもう繋いでいた手も自然に離れていた。

鍵を開けて部屋の中に入ると、馴れた太一くんの匂いがする。


何度も入った太一くんの部屋は相変わらずシンプルで、無駄なものがない。それは彼が普段からあまり家に帰っていないだろうということを表しているようだった。

彼はベッドに腰掛け、私を引き寄せる。立ったままの私に、太一くんは優しく抱きついた。

いつものようにキスをする。何度も角度を変え、太一くんの手が私の頭を撫でた。


このまま、流されたら楽だろう。

太一くんが優しく抱いてくれたら私、すごく幸せな気持ちになれる。


だけど分かるよ、もう――



「好きだよ、水香」



その《好き》に、何の意味もないことくらい。

唇を重ねても、何も生まれないことも。



私は、唇を離した。なに? と太一くんが尋ねてきた。体に回していた手を緩め、私を見上げる。

心臓がばくばくして、息が詰まりそう、苦しい。

何でもない、と言ってまたキスをしたらまだ引き返せる。

まだ付き合っていられる。いろんなことに目を瞑って、なかったことみたいに。


だけど、決めたんだ私。


「私、太一くんと別れる」


声は震えていたし、弱々しかったけど、勇気を出して私は言った。

太一くんの目にじっと見つめられ、思わずそらしそうになった。

だけど予想に反して彼は、穏やかな表情で私に笑いかけてくる。目尻に皺ができた。


「はは、何だよそれ。びびるじゃん」

「冗談、じゃないよ」

「はいはい。もういいから、そういうの」


そう言って彼はまた私にキスをしようと顔を寄せてくる。

私は両手で肩を押した。やめて、と。

そこで初めて真剣になる太一くんの顔。


「本気?」

「うん」

「何でだよ」

「決めたの」


彼は舌打ちをしたかと思うと、私を無理矢理押し倒した。


どうしよう、太一くんすごく怒ってる。


抵抗すれば、無理矢理押さえつけられる。離して、と叫べば彼は何も言わずに私を叩いた。

痛くて、悲しくて、悔しくて、恐くてうずくまる私の上に乗りかかってくる。そして薄笑いを浮かべた。


「冗談だろ?」

「冗談、じゃないっ……」


ありったけの力を込めて右手を振れば、少し伸びた私の爪が太一くんの頬をひっかく。彼の下でバタバタと暴れていた私の足は、二度目のビンタで大人しくなった。


そして彼は、無理矢理私の下着を下ろす。涙でぼやけた視界に、下半身にくる鈍い痛みを感じて思わず顔を歪める。太一くんの顔は見れなかった。蛍光灯の灯りが滲んで、吐き気がした。


優しかった太一くんはもういないんだ。


彼に組み敷かれながら、私は何度も心の中で大和を呼んだ。






終わったあと、私は何も言葉を発さなかった。ただ静かに流れる涙を拭い、下着を履き直して鞄を拾う。

壁に背中をもたれたまま動こうとしない太一くんの視線が背中に突き刺さったけど気付かないふりをした。


「本当にいいんだな」


「お前、俺と別れていいのかよ」


「俺のこと好きじゃなかったんだな」



やっぱり私は、何も答えなかった。

何も答えず、家を出た。



好きだったよ。すごく好きだった。

だからこんなに苦しかった。

だけどもう何を言っても太一くんには届かない。




確かに愛されてたって

(それでも私、思っていたかった)








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