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俺を想って苦しめよ


水香にカードを受け取ったあと、俺は一足先にTSUTAYAへ向かっている仲間たちのもとへ合流しにいった。


くそ。


イライラする。水香があの男と一緒にいたから。いや、付き合ってるんだから当たり前だ。

それよりも気に障ったのは、松本太一の言葉だった。


―水香の弟か―


あの野郎、俺を見てそう言った。

他人につきつけられた事実は、どうやっても否定できない。

だけど、たまたま俺だっただけだ。水香と姉弟になったのがたまたま俺だった、それだけ。運命がひとつ違えば、姉弟になることはなかった。

違う場所で会ってれば、こんな形じゃなかったんだ。


「……」


今更何を言っても仕方ない。もう、俺たちが姉弟になって、7年も経ってしまったのだ。


ふと、道端で遊ぶ幼い姉弟の姿が目に飛び込んできた。

年の頃は小学校低学年くらいだろう。母親が戻って来るのを2人で待っているのか、スーパーマーケットの入り口で座り込み、コンクリートに石で絵を書いている。

それは、幼い頃の記憶とリンクした。

俺と水香もよく2人で遊んだものだ。喧嘩だって数え切れないくらいした。

俺はいつだって、誰よりも水香を見てきたはずだ。

そんなことを思い返してみると、今まで姉弟として付き合ってきた日々も無駄じゃなかったのかもしれない。なんて柄にもなく考えた。少しだけ。







もう夕方。駅には学校帰りの学生が多い。


「おせーよ、大和」

「悪い」


駅前で待ち合わせしていた友達3人と合流する。

チャリ通学ではない俺は、その中のひとり、亮太の後ろに乗せてもらうことにした。

チャリが3台、のろのろと商店街を横切る。買い物途中のおばさんが迷惑そうに眉をひそめた。

ふいに、運転する亮太が話しかけてきた。


「なぁ大和、噂で聞いたんだけどさ」

「んー」

「お前の姉ちゃんって」

「なんだよ」

「松本先輩と付き合ってんの?」

「……みたいだな」


ふーん、と亮太は答えた。

気になった俺は、何だよ、としつこく問いただす。マジで、何だよ。


「いや、松本先輩って結構女癖悪いって言うからよ」

「らしいな、でも」

「……」

「俺には関係ねぇし」


言葉を、絞り出すように放った。

亮太は何の疑いも持たず、そっかそっかと何度か頷く。

亮太にも姉がいる。もちろん血の繋がった姉だ。俺のように恋愛感情はない、と思う。自信はない。実際人ってやつは何を隠しているか分からないもんだ。



その後、TSUTAYAに寄った俺達はいそいそと亮太の家に向かった。

男4人、揃ってDVD鑑賞なんてむさ苦しいと亮太の姉は嘲笑った。俺も、そう思う。しかし男同士じゃないと観れないものというものがあるのだ。

そして健全とは言えないDVD鑑賞が終わり、しばらくダラダラと時間を過ごしたあと亮太の家を出た。途中まで一緒に帰っていた連れと別れ、家に帰りついた頃、時間は9時を過ぎていた。

水香は多分、まだ帰っていない。デートの時は大体10時くらいに帰ってくる。

共働きの母親と父もまだだ。

ということは、俺ひとりか。もう少し亮太の家に居座っとけば良かった。

そんなことを思いながら玄関に入る。俺を待っていたのは、水香のローファーだった。隣りにあの男の靴はない。


(珍しいな……)


俺はリビングに入る。水香の姿はなかったが、飲みかけのお茶がテーブルにあった。

多分、部屋にいるんだろう。上からMDコンポの音が聞こえる。うるせえ。


俺は階段を上がり、自分の部屋に戻ろうとした。水香の部屋のドアは閉まっている。音楽が漏れているだけだ。


「……」


一瞬足を止めた。声をかけようか迷った末、やめた。

自分の部屋へ入ろうとした時中から水香の泣き声が聞こえてきた。声を押し殺したような、音楽にかき消されてしまうくらい、小さな泣き声だった。

思わずノックをしたが、返事がない。

呼びかけてみたが、やはり反応しない。

たまらずドアを開けた。

布団の中に潜り込み、体を丸めている水香の姿が飛び込んでくる。

どうしたんだよ、と俺は近寄る。あくまでも冷静に。


彼女は質問には応えなかった。ただ一言、うるさいと呟いた。

水香、名前を呼んでみるがやはり反応はない。


「あん、たには、関係、ない」

「ねぇよ。ねぇけど……泣いてんじゃん」

「うん、だか、ら?」

「だから、ほっとけないよ」

「そこを、ナントカ」

「無理」


無理矢理布団をひっぺがした。

水香は枕に顔を押し付けたまま動こうとしない。肩を震わしながら、静かに泣いているばかりだ。

胸が痛んだ。泣いている詳しい理由は分からない。でも、原因くらいは分かる。

何で、何で……あんな男なんかのために、泣くんだよ。


沈黙が続いた。

何を聞いても水香は答えないだろう。でもだからと言ってこのまま放っておくことなんて、俺にはできない。


「水香」

「…なに、よ」

「そんなにアイツが好きか」

「……う、ん」

「馬鹿じゃねーの……」

「……」

「下らねえ」


思わず呟いてしまった。

その瞬間、水香が勢い良く顔を上げる。そして体を起こすと同時に、下から俺を睨みつけた。

突然の行動に、俺はたじろいだ。

なおも睨んでくる水香に戸惑いながら、何だよと言うと、彼女は真っ赤な目を擦りながら言った。


「下らないって、そう思う?」

「え、」

「デートの途中、太一くんの携帯に電話がかかってきたの。そしたら太一くん、急に用事ができたっ、て」

「……」

「女じゃないって、浮気じゃないって、言い切れない」

「じゃあ……別れろよ。そんな最低男」

「でも私だって同じだもん!あんたとキスしたもん!太一くんのこと、裏切ったから、何も言えないよ!」


彼女はそう叫んだ。止まりかけていた水香の目から再び涙が流れた。


「私だって、最低だよ……。何でこんなになるの?好きな人に好きになってほしいだけなのに……!私、太一くんのこと、裏切りたくないのに……」


その言葉は、俺に向けられていた。俺を責める言葉に思えた。

水香が泣いているのは、俺のせいなんだろうか。きっと俺が、水香を泣かせ、悩ませている原因なんだろう。

水香に自分の気持ちを押し付けた。困ると分かって一線を越えた。

もし俺が普通の弟なら、水香は自分を責めることも、松本太一に負い目を感じることもなかった。

俺が水香を泣かせてるんだ。

一番最低なのは、俺だ。


「もう、顔も見たくない?」

「……」

「分かった。俺もう、」


お前のこと諦める。戻るんだ。極々自然に触れ合い、名前を呼び合い、テレビを見ながら親の帰りを待った。ちゃんと姉弟だったあの頃に。

そう言おうとしたが、大和、と俺の名を呼ぶ水香の声がそれを遮った。

そして彼女は目を伏せる。布団の上に、涙の痕が染みた。


「苦しいの、」

「ごめん……だからもう俺」

「自分の気持ちが、分から、ないよ。太一くんのこと、好きなのに、裏切りたくない、のに」

「……」

「あんたに、離れて欲しくないって、思ってる」



あぁ、やめろよ。そんなの。お前いつも、ずるいんだ。

もう諦めるなんて言えないじゃん。そんなこと言われたら。


泣かせてるのは俺なのに。何なんだ、この感情。





俺を想って苦しめよ

(俺だってずっと苦しかった)




気付けば泣き続ける水香の体を抱き締めていた。水香も驚くほどすんなりと、俺の腕の中におさまった。

時間だけが過ぎて行く部屋の中、MDコンポから流れる音楽だけが、耳に響く。

水香の温もりを確かに実感しながら、俺は思った。


もう、戻れない。






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