story,Ⅶ:出生の秘密
翌朝──。
「あー……頭痛ぇ……」
これに、簡単なハウスキーピングに来ていた仲居さんが、早速二日酔いのレオノール・クインに気付いて声をかけてきた。
「おやまぁ、二日酔いどすか? ほんなら、ええもんありますよってに、持って来まひょ」
そう言い残して、仲居はいそいそとその場から立ち去った。
「おはー。あれ? もしかして二日酔い?」
子供体型のフェリオ・ジェラルディンが、兄との睡眠から目覚めてから、この桜の間へと戻って来た。
「ああ……気持ち悪……」
「昨夜は豪快な自棄酒だったもんねぇ~」
すると仲居が、朱色の膳を両手に持って来た。
上に、何やら椀が乗っている。
そしてレオノールの前へと膳を置いた。
「何だこれ……」
弱々しく、レオノールが訊ねる。
これに仲居が答える。
「しじみ汁どす」
「しじみじる??」
フェリオも膳を覗き込んで言った。
仲居は椀の蓋を取る。
すると豊かな磯の香りが、鼻腔を擽った。
「お、美味しそう……」
「お嬢ちゃんのじゃ、あらしまへんえ。さぁ、お飲みやすな。しじみの具も残さず食すと、だいぶ楽になりはりますのや」
「そうか……じゃあ早速……」
レオノールはこの日輪国の習わしに従い、手を合わせるとしじみ汁を口にし始める。
一口、二口と、真珠色をした汁を飲んでから、言った。
「かーっ! 美味い! 五臓六腑に染み渡るぜ!!」
「ボク達は、このしじみじるは食べられないの?」
「いいえ、食べられますえ。ほんなら朝食で、用意させまひょ。元気出る事享けあいどすえ」
「ホントに!? わぁ~い! ヤッター!! フィルお兄ちゃん達にも、伝えてくる!!」
そうしてフェリオは、部屋を出て行った。
「せやけど、お連れはんにあないなお子、いてはったやろうか……?」
「あ、ああ、あの子は、あの大食いの娘の妹なんだ」
レオノールは、しじみ汁を片手に、笑って誤魔化した。
やがて皆、朝から海鮮丼を堪能してから──フェリオはプラスその他諸々──部屋に戻った。
自ずと自然に皆、男部屋になっている杉の間へと、集合する。
「どうする今日は? また祭りに参加する?」
フェリオがウキウキしながら、訊ねる。
「その前に……ショーンがあれだけ重要な告白をしたのだから、俺も教えねぇとな」
「え? レオノールさんにも、重要な秘密が!?」
ガルシア・アリストテレスが反応する。
「まさか、レオノールもいなくなっちゃうの!?」
フェリオの心配そうな表情に、レオノールは小さくクスリと笑った。
「俺はそのつもりはねぇが、決定するのはお前ら次第だな」
「僕ら次第?」
今度はフィリップ・ジェラルディンが訊ねる。
「ああ、そうだ」
「とりあえず、話を聞くよ」
フィリップは言って、レオノールへ笑顔を見せる。
これにレオノールは作り笑いで誤魔化すと、意を決して口を開いた。
「実は俺……前魔王であるファラリスの、実の娘なんだ」
その場に、沈黙が広がる。
当然の反応だろうと、レオノールは俯き視線を足元に落とす。
最初に言葉を発したのは、フェリオだった。
「あー……そっちか」
「ね? ほら、やっぱりでしょ?」
フィリップも、フェリオへ同意を求める。
「何かしらの魔族だろうな~とは、思っていたけど」
ガルシアも何度か首肯しながら、言った。
「ええ!? みんな気付いていたのか!?」
すると三人は、まるで合わせたように声を揃えて、言った。
「だってその目、人間のじゃないじゃん」
レオノールの目は、虹彩が紫色で瞳孔が真紅色だったのだ。
「え? あ……こんなもんで?」
「そう。こんなもんで」
再度、三人は声を揃えてレオノールの言葉に、答える。
「でもまさか、魔王ファラリスの娘とまでは、思わなかった」
「だって、年齢も合わないしね」
「うん。それある」
フェリオ、フィリップ、ガルシアと口にする。
「じゃあ、その理由を話すぜ」
レオノールは咳払いすると、改めて語り始めた。
30年前──。
ファラリスには数人の妻がいた。
そのうちの一人に、人間で魔女のネメアがいた。
彼女は当時、レオノールを妊娠していた。
魔王ファラリスの子である。
ファラリスは、生まれてから頃合いを見て実の己の子を、喰らっていた。
それは己の血を分けた子である事、そして年頃によって魔力がピークに達するまで育った新鮮で特殊な能力を喰らい、その力を得る事で自分に新たな能力を吸収するのが、目的だった。
他の妻達はそれを理解し、心から敬意を表して己が腹を痛めて産んだにも関わらず、我が子を喜んで差し出していた。
それが、ファラリスへの愛情表現でもあった。
だがその為、ネメアは他と違い妊娠した腹を抱え、今の内からさめざめと泣く日々を過ごした。
するとある日、彼女の中に一つの未来が視えた。
それは、この魔城ラナンキュラスから外へ出て、人生を謳歌している己の子供の姿だった。
直後、ネメアは決断する。
この子を、ファラリスから隠そうと。
ネメアはこっそり、魔法の箒で下界の森へ向かうと周囲を見渡して、ある一本の大木に目星をつけてその枝に降り立った。
そして、地上を見下ろす。
軽く見ても、そこから10m以上はある。
ネメアが降り立った枝だけでも、人が横一列に4人は並べそうなくらいの、太さがあった。
まだ妊娠9ヶ月ではあったが、ネメアは魔力により破水を行わないまま、声を押し殺して出産した。
羊水の膜に包まれた我が子を見て、ネメアは優しく微笑んだ。
「女の子なのね……。あなたの名前は、レオノールよ。レオノール・クイン……」
ネメアは魔力で娘の脳に、その記憶を植え込んだ。
そして更に高濃度の羊水を追加し、風船のように膜を膨らませて満たすと、その木の枝の付け根にあった、トラックのタイヤ程はある窪みに、娘の入った羊膜を大事そうに詰め込んだ。
今自分がしている事は、もしかしたら無駄な努力かも知れない。
あの男は己の魔力を分かちあった存在を、探知するのに優れているからすぐに見つかるかも知れない。
だがそれでも、一縷の望みをかけてネメアは、羊膜に自分の魔力をまとわせて隠した。
「愛する娘、レオノール……大好きよ私の子……」
ネメアはそうして羊膜に口づけをすると、その場を後にした。
そして気付かれないように、ボールを腹に巻き誤魔化しながら、過ごした。
しかしそれから、二ヶ月、三ヶ月と経過するにつれていよいよ、ファラリスが疑い始めた。
ファラリスにとって、我が子は新鮮な能力獲得の為の、食糧に過ぎないのだ。
「ネメア。腹を」
ファラリスのこの一言に、ネメアは恐る恐る側へと、歩み寄る。
ファラリスは側に来たネメアの衣類を、鋭い爪で引き裂いた。
そして腹に巻かれている偽物の腹ボテに、明らかにファラリスは不機嫌になった。
「どういうことだ。これは」
この時、咄嗟に思いついた事を、ネメアは口にした。
「ファ、ファラリス様の寵愛を、少しでも多く受けたくて……本当は妊娠していなかったのに、妊娠したふりを……」
声が、震える。
「そうかネメア……お前は確か、人間であったな」
「は、はい……」
口の中が乾燥して、カラカラだ。
「人間はか弱く可愛らしいが……──無力で役立たずだ!!」
ファラリスは声を荒げると、左手を逆袈裟懸けに振り上げた。
「あ……」
ドサリと、何かが落下した。
斜めに下半身と切り分けられた、ネメアの上半身だった。
「そん、な……ファラ、リ、ス……様……──」
こうしてレオノールの母、ネメアは惨殺された。
しかしファラリスは、そうして死体となった彼女の躯を、“抱いた”のだった。
所謂、死姦である。
魔王なだけに、さすがは下衆と言えた。
上半身のネメアを、更に爪で切り刻みながら──。
──15年後。
大木の窪みから、水が噴き出した。
それと共に、ドロリと一人の女児が流れ出てきた。
ネメアが隠した、ファラリスとの娘レオノールだ。
「グ……グボ、ガボ……!!」
口と鼻から、羊水を吐き出すレオノール。
新生児とは違う。
12年間、成長を止める魔法がかけられていて、3年前から成長が開始され3歳まで羊膜の中で育っていたのだ。
「ゼ、ハー、ゼェ、ハァ……!!」
必死で呼吸しながら、ゆっくりと周囲を見渡す。
しかし見渡す限り、大木が生い茂っている。
「あ……ぅあぅ……」
声を出してみる。
「ここ、は……」
まさかの、言葉を発した。
ネメアが魔術で、知識を与えていたのだ。
羊膜で眠っている間、ずっと彼女の子守唄や本の読み聞かせ等の知識を、レオノールは得ていた。
娘が孤独ではないように、淋しくないように、無知ではないように……。
こうしてこの世に誕生したレオノールは、この巨大な森──セロリの木群生地帯で二年間、たった一人で生き延びた。
そして5歳になったレオノールは、このセロリの木群生地帯の外へ出た。
ここから、彼女の一人旅が始まった……。
「えぇええぇーっ!?」
ここまでレオノールからの話を聞いて、フェリオとフィリップとガルシアは、一緒に声を上げた。
「なっ、何て過酷な人生を歩んでいるんだ……!!」
フィリップが思わず口に、手を当てる。
「しかもそれが、3歳からだなんて……!!」
フェリオは愕然とする。
「半ば野生児じゃん!!」
ゴンッ☆
「いったぁーっ!!」
ガルシアは頭を抱える。
「何か、その通りなんだけど、イラッときたから思わず殴っちまったぜ」
ぼやくように、レオノールは述べる。
「ま、俺が記憶する限りは、こんなものかな」
「じゃあ、レオノールさんはファラリスからの魔力を受け継いでいる……?」
「いや、それは生憎と言うか何つーか、どうやらないらしい。人間とのハーフだからか、魔力は低い。しかも魔法はまるで使えねぇしな。マネッ子ルンタッタみたいな特殊な状況じゃない限りは」
ガルシアに訊ねられ、レオノールは答えた。
「せいぜい、生存本能が高いくらいか?」
レオノールは小首を傾げながら、言った。
「でも、魔王ファラリスの娘とは思わなかった……」
呆然とするガルシアの言葉に、レオノールは確認するように問いかける。
「俺が、憎いか? ガル」
しかし、ガルシアは首を横へ振った。
「だって、レオノールさんも一種の被害者だ。一歩間違えたら喰われていたかも知れないんだから」
「ボクも、レオノールが好きだよ。魔王の娘でも」
フェリオは言って、レオノールの腰をギュッと抱き締めた。
「僕も同意だ」
フィリップもそう口にする。
「みんな……サンキューな」
レオノールは言うと、ふと微笑んだ。
「ただ、強いて言うなら、僕らは魔王となったショーンを倒さなければならないって言う、残酷さだよ」
フィリップがふと口にする。
するとこれに、レオノールが答えた。
「倒す必要はない」
「え?」
咄嗟にフェリオが、顔を上げる。
「ショーンは、歴代の魔王の魂によって、呪いをかけられている。だったら、その呪いから解放すればいいんだ」
「そっか……! 俺の両親の仇はファラリスであって、ショーンさんではないもの。だから俺も、ショーンさんを倒したくはない。剣技を教えてもらった、マリエラさん以外のもう一人のお師匠様だから」
「うむ、よく言ったぞガル」
レオノールは言って、ガルシアへと歩み寄ると彼の銀髪の頭を、ワシャワシャと撫でた。
「でも、また勇者探し、一から出直しだね」
フェリオの発言に、レオノールが答えた。
「その必要はねぇよ」
「え? どうして?」
フィリップも訊ねてきた。
これにレオノールは、ニッと笑う。
「ガルを勇者にしちまえばいいのさ」
「えええ!? 俺が勇者に!? ダークエルフだよ俺!!」
「種族なんて関係ねぇさ。条件や可能性の近い奴が、勇者だ」
「確かに、ショーンは自分が魔王になると分かった中で、ガルに剣技を教えたんだものね」
フィリップがそう口にする。
「きっとショーンは、ガルに勇者を託したんだと思う」
レオノールは答えて、またガルシアの頭をワシャワシャ撫で回す。
「うん……じゃあ俺、ショーンさんを目指して頑張るよ!!」
ガルシアは言うと、自らに気合いを入れた。
「ああ。その意気だ」
レオノールは言って、ニカッと白い歯を見せて笑った。
「さぁ。じゃあそうと決まれば、出発だ」
フィリップの言葉に、ガルシアが驚く。
「もう魔城ラナンキュラスに!?」
「ううん。違うよ。リオの新しい召喚霊入手に」
「え? でもそれって、今まで全部裏人格お兄ちゃんの役目っぽかったのに」
フェリオがキョトンとする。
「うん。僕の中で、彼がそう伝えてきたから。ここ、モクレン島に来た理由は、それだよ」
「成る程」
フィリップの言葉に、レオノールも納得する。
「場所は、もう解かってんだな?」
「この日輪国を出て、西に進んだ所にあるみたいだ」
レオノールに訊ねられ、フィリップは首肯する。
「よぅし! じゃあ前進あるのみだ!!」
ガルシアは言って、更に気合いを入れた。
「ちなみに、時間はどれくらいかかるの?」
「半日で帰れる距離らしいよ」
フェリオの質問に、兄は答える。
「あー、良かった~!」
これにフェリオが、胸を撫で下ろす。
「何。用事でもあるのか?」
今度はガルシアに訊ねられ、フェリオはケロッとして答えた。
「だって、夕飯までには帰れるじゃん?」
「あー、それな」
ガルシアは思わず、口元を引き攣らせた。
玄関まで皆が下りて来た時、仲居から声をかけられる。
「お客はん、今から仏教社寺に行きはるのでは?」
これに皆、驚く。
「よく判ったね」
フィリップが笑顔で返事する。
「そら、軽荷姿じゃそれ以外、思いつかへんもの。くれぐれも道中気を付けて行きなはれや」
「道中……?」
フェリオが小首を傾げる。
「ここ、モクレン島にも妖怪──モンスターはいはる言う事や」
「あ~あ! それなら大丈夫! 逆に倒してジビエ料理にするから!」
「いややわ~! あんなゲテモノ! 腹壊しはりますえ」
「それじゃあ! 行ってきます! 今夜も夕飯よろしく~♪」
そう言い残して出かけて行った皆を見送りながら、仲居は言った。
「あのお子……どうにもあの大食いの生娘はんにようけ似てはりまんのは、姉妹でっしゃろやろなぁ~」
こうして街道にて、目的地に向けて10分ほど経過した時。
全身真っ黒な体毛に覆われた猿のような生き物が、突如として一行の前に現れた。
『今お前、“今日の晩飯が楽しみだな”と思っていただろう』
「わ、喋った! うん、そうだよ。よく分かったねぇ」
フェリオは最初は少し驚いたが、すぐにケロリとして首肯した。
これにフィリップが、口を開きかけた時。
『今お前、“これは妖怪、覚りだ”と、説明しようとしただろう』
覚りの発言に、その通りなので口をパクパクさせる。
しかしふと気が付くと、レオノールとガルシアの二人が、言葉を交し合っていた。
『おい! オイラが喋っている時は何も喋るな!! 今お前ら二人は、このオイラの生態説明を話し──』
しかし次に覚りが気付くと、フィリップとフェリオの二人が、言葉を交し合っていた。
『おいおいお前らーっ!!』
「へぇ~! 凄いや! 君“覚り”って言って人の心を読めるんだってねぇ!?」
『え……? オイラ、凄いと思うのか……?』
フェリオに褒められて、思わず自分の役割りを忘れてしまう覚り。
「おぅ。だから一発、殴らせろ」
レオノールが拳を構えて、笑顔を浮かべた。
『ヒィッ!! お前は前魔王の娘だな!? 逃げろーっ!!』
そのまま覚りは、この場から逃走してしまった。
「まぁ、バトルにゃこういう時もある。──が、俄かに傷付くなー……」
言ってレオノールは、肩を落とした。




