デルニエール攻防戦 終局
それを良しとしない者がいた。
ソーニャを無力化した張本人であるカイトは、宿敵が口を閉ざすことを断じて許すわけにはいかなかった。
彼女の口から零れたのは、死んだはずの妹の名前。ただの偶然かもしれない。この世界に同名の人物がいてもおかしくはない。
けれども思い浮かんでしまった可能性は、カイトの心を縛って離さない。もしかすると自分と同じように、妹もこの世界に来ているのではないか。我が身に起きたことを考えれば、十分ありえる話ではないか。脳裏にこべりついた希望的観測を、カイトはあえて拭おうとしない。
「なんでお前が、カイリを知ってんだよ! なぁ!」
ソーニャの胸倉を乱暴に掴み上げ、大きく揺さぶる。何度も、何度も。今の彼に戦場の状況などまるで見えていない。
「答えろよ! おいっ! こんくらいで死んでんじゃねぇ! 四神将じゃねぇのか! 強ぇんだろうがよ!」
血溜まりに沈むソーニャへ、必死の呼びかけを投げつける。
深紅の瞳に光はない。他ならぬカイトが、この事態をもたらしたのだ。
「なんか言えって……頼むからよ……!」
死んだ妹に会えるかもしれない。カイトの頭はそれだけで一杯だった。他のいかなる問題もことごとく思考から消え去っている。
カイトの心理状態は、魔力の糸を通じてリーティアにも伝わっていた。離れた場所で待機していた彼女は、逸早く異変を察知してカイトの元へ馬を走らせていた。
『カイトさん。落ち着いてください』
通信魔法がカイトの耳朶を打つ。
『まだ間に合います。彼女の命は完全には途絶えていません』
リーティアはおおまかな事情を察していた。第三者である彼女の冷静さは、カイトの心が暴走してしまうことを危惧する。
『今そちらに向かっています。大丈夫。大丈夫ですから』
激しい蹄鉄の音が近づき、瞬く間にカイトの傍までやってきた。
だが、カイトは一瞥すらくれない。
下馬したリーティアは背後からカイトを抱き、上下する彼の肩をなだめる。
「あなたは、あなたの為すべきことを為してください。あなたの力で、このデルニエールに勝利をもたらすのです」
その言葉がいかに酷であるか。リーティアは重々承知の上である。それでも彼女は言わねばならない。国のため、人々のため。そしてなによりカイトのために。
「俺は……」
トラウマであったソーニャを倒したというのに、喜びも達成感もない。あるのは戸惑いと後悔だけ。固く定まっていたはずの心が、叩き割られたガラスのように散り乱れている。
「カイリが……いるかもしれないのにっ!」
会いたい。今すぐ。会って抱きしめてやりたい。頭を撫でてやりたい。よく頑張ったと褒めてやりたい。なによりも、自分をここまで生き永らえさせてくれた感謝を伝えたい。
死に別れた妹との再会。期待。可能性。
戦いの最中にあるカイトにとって、それは甘露の如き猛毒であった。
「カイトさん。乙女の名の許にお約束いたします。必ずソーニャ・コワールを生かし、あなたの知りたいことを聞き出すと」
リーティアはカイトの正面に回り、真摯な眼差しで言葉を紡ぐ。
「私はこれから彼女の治療にあたります。いかほどの時間がかかるかは予想できません」
リーティアとて魔族に治癒魔法をかけた経験はない。四神将ゆえの高い魔力耐性と、生来の回復力が、どのように作用するかなど見当もつかない。
「ですが傷が癒え目を覚ました時、もしもまだ戦いが続いていれば、彼女は必ず反撃を行うでしょう。戦場で散った者達を思えば、それだけは決してあってはならぬこと」
恣意的な理由で敵を救うならば、相応の責任を負わなければならない。
リーティアは既に覚悟を決めていた。カイトの意思を尊び、その為にすべてを捧げる覚悟を。
「カイトさん。何の為にここにやってきたのか。いま一度思い出してください」
叱咤と激励。
力強い情念と、合理的な説得。
血の上った額に、リーティアのひんやりとした手が触れる。
狂乱じみた興奮からかろうじて這い出たカイトは、額の手に自らの手を重ね、ふと瞼を落とす。幾分か冷静さを取り戻すと、この世界を生きる上での戒めを思い出した。決して独断で動かず、リーティアやクディカに相談し、その指示を仰ぐ。ルークとの一騎討ちでは反故にしてしまったそれを、今こそ守るべき時だ。
目の前の戦いを乗り越えなければ、望む未来は手に入らないのだから。
「……頼みます。リーティアさん」
「お任せください。必ず」
信頼するリーティアにすべてを委ねる。それがカイトにできる最善の選択だった。
立ち上がり、足元の剣を拾う。派手な意匠ゆえ目に留まっただけの代物だが、切れ味と頑丈さは申し分なさそうだ。
「行ってきます」
直後。カイトは刹那にして戦場の中心へ到達する。
無音の跳躍。神速で駆け抜けるカイトの姿を、一体誰が捉えられたか。
彼が振るう剣は、暴れ回る無数の魔獣を斬り刻み、猛り狂う闇色の巨人を粉微塵に吹き飛ばした。
その場の兵士達が感じたのは一陣の風。目にしたのは弾ける敵の姿。眼前にあり、今まさに自身に喰らいつかんとしていた恐ろしい獣が、疾風に撫でられ灰となって霧消する。尋常な現象ではない。
一帯は突如として分厚い灰に覆われ、ひと時の混乱が訪れたが、まもなく視界は晴れ、次第に敵軍の崩壊を知る。彼らに理解できたのはただ危機の消失のみ。しばしの困惑の後、じわりじわりと生存を実感し始める。
城壁の上から平原を一望していた者はその内実を目撃していた。敵の軍勢を蹴散らす剣士の姿。遠方にあってなお捉えきれぬ速さで、稲妻の如く戦場を疾駆し、灰の骸を舞い上げる。
公太子ソーンもまた、現実離れした光景を呆然と眺めるうちの一人であった。
早朝には十万にまで達していた魔王の眷属。多くの犠牲を払い、半日かけてようやく八割にまで削った。その戦果は類稀であったが、勝利に繋がるわけではない。誰もが死と敗北の予感の中で、それでも勝利を信じて戦い続けていたのだ。
生きる為に抗う若者。ここを死に場所と定めた男。決して諦めず足掻く少年。
息子の無事を願う母。父の武運を祈る少女。主の帰りを待つ従者。
皆が切望していた英雄がついに現れた。
たった一人で戦況を覆す、かのアーシィ・イーサムの如きまことの英雄が。
認識を共有した兵達は皆口々に騒ぎ、嬉々として勝鬨をあげる。
これこそ信仰の賜物。灰の乙女の奇跡であると。
そんなことなど露知らず、当の本人はただ無心に剣を振るい続けた。
カイトの参戦から僅か四半刻。闇色の軍勢はついに消滅。追い詰められた魔族はほうほうの体で退却するか、あるいは追撃の餌食となるか。もはやデルニエールの勝利は決定的となった。
二日続いたデルニエール攻防戦は、ここに幕を下ろす。
魔王軍との開戦以後、王国が初めて手にした戦略的勝利をもって。




