デルニエール攻防戦 二日目 魔王軍サイド①
ソーニャ自身、必要以上に敵を軽んじることは厳に慎んでいた。
戦に酔いしれていても、彼女には常に冷静な部分が残っている。奮闘する三名の将軍を鋭く観察し、その戦力を正確に分析していた。揺るぎない勝利の確信には、明確な根拠がある。
故に、クディカが黒炎の奔流を突き抜け眼前に現れたことには、多少なりとも意表を衝かれた。
純白の鎧は脆くも崩れ、白馬の表皮は焼け爛れ剥がれ落ち、なおも裂帛の気合を轟かせる白将軍の姿。その手に握られた剣は、濃密な神秘の光に覆われている。
ここまで肉薄されてしまえば、魔法障壁は役に立たない。魔力を圧縮させる性質上、肉体からある程度の距離がないと展開できないからだ。
「へぇ」
漏れたのは感嘆の吐息。幼げな美貌が喜悦の微笑に歪む。
気合に満ちたクディカの剣が、白馬の嘶きと共に振り下ろされた。
鋭い斬撃だ。剣捌きに限っては人間の技術も捨てたものではない。迫る光刃を見上げながら、ソーニャはひとつ悩んでみる。
クディカの操る白き魔力。あれが放つ波動は人間の魔力とはまったく異なる。魔族とも獣人とも違う。極めて異質な感触だ。
その正体に興味が湧いたソーニャは、危機感なく真正面からの激突に応じる。漆黒に染まる右手と、白光を纏う刃とが、互いに求め合うかの如く重なった。
分厚いガラスが砕け散ったような、もしくは巨人が海面を引っ叩いたような、凄烈な衝突音。
黒と白とが拮抗と相殺を繰り返し、幾重もの衝撃波を発生させる。
「これって……」
巨大な渦を巻くモノトーン。ソーニャ胸に去来したのは疑念だった。
クディカの剣には確かな殺意が籠っている。その威力は絶大だ。ところが、それを覆う魔力の感触はやけにあたたかく心地よい。他者を傷つける意思など微塵も感じられない。
ソーニャはこれと同じ感覚をよく知っていた。色彩こそ異なっているが、間違いなく魔王と同質のもの。
「どうしてアンタが――」
魔王と同じ魔力を持っているのか。
困惑。嫉妬。驚愕。不信。入り乱れる感情がソーニャの思考を塗り潰す。
「――ざっけんじゃないわよぉっ!」
昂る心のまま、ソーニャは眼前の脅威に牙を剥いた。黒い右腕から同色の火炎が迸る。燃え広がった黒炎はあたかも竜の顎の如く上下一対の軌道を描き、クディカを丸呑みにせんとする。
炎には術者の迷いが滲んでいた。一見激しく燃えてはいても、著しく精彩を欠いた粗雑な魔力操作。
しまったと思った時にはもう遅い。左右一閃。クディカの剣尖が竜の顎を両断する。
「待ったぞ」
油断でも慢心でもない。思いもよらぬ出来事が、盤石であったはずの足下を掬った。
「ようやく隙を見せたな……!」
クディカの碧い眼光が、黒炎の奥で閃く。
「乙女の光にひれ伏せろ! ソーニャ・コワールッ!」
繰り出されたのは刺突。鋭利な切っ先はソーニャの心臓を正確に狙っていた。喰らえば致命傷は免れない。クディカの刃は、間違いなくこの命に届く。
死の予感。
それまで落ち着いていた鼓動が、にわかに主張を大にした。
刹那。脳裏のよぎる魔王の姿。
戦いに臨む凛々しき背中。憂いのある儚げな横顔。屈託のない無邪気な笑顔。
慈愛に満ちた栗色の瞳が、ソーニャの網膜に強く焼き付いている。
死ぬわけにはいかない。死ねば彼女を悲しませる。
生きて勝利を届けるのだ。
正義の為に。
世界の為に。
なにより、自分を救ってくれた友達の為に。
胸の底から湧き出る想いが、ソーニャの体に力を与えた。
再度、轟音と衝撃が一帯を震わせる。
「……ざーんねん」
漆黒の魔力を具えた両手が、クディカの剣を挟み込んでいた。切っ先はすんでのところで止まり、胸元のフリルに触れるのみ。
魔力の波を受け大きく羽ばたく銀のツインテール。見開かれた真紅の瞳に、クディカの驚愕が映りこんでいる。
「悪いけど、あたしがひれ伏すのはカイリちゃんだけなのよねぇ」
開かれていたソーニャの掌が、固い拳に形を変える。
「っしゃあッ!」
光に包まれた長剣。ソーニャはその中ほどを思い切り殴りつけ、真っ二つに叩き折ってしまう。
「なんっ――」
次いで放った高速の蹴撃が、クディカを馬ごと弾き飛ばした。手負いの白馬はついに絶命し、クディカは大地に叩きつけられる。
「おあいにくさま。ソーニャちゃんは、殴ったり蹴ったりだってお手のもの。汚れるからあんまりやりたくないんだけど」
豊かな胸に手を置いて、ゆっくりと深呼吸をする。
「くそ……!」
地に伏せ土を握るクディカは、もはや起き上がることは叶わない。
その姿を嘲るつもりはなかった。一歩間違えていれば、倒れていたのはソーニャの方だ。
「強いわね。偏屈女騎士さん」
クディカの傍らまで歩みを進めたソーニャは、その場にしゃがみ、煤けた金髪を掬い上げる。
「ねぇ、答えて。あんたの白い魔力。あれなに?」
返事はない。敵愾心に満ちた視線がソーニャを見上げる。
「乙女の光ってどういうこと?」
「……教えると思うか」
途端、ソーニャがクディカの髪を掴み上げる。
「あのねぇ」
敗者は敗者らしく勝者に従うべきだ。出かかった言葉を飲み込んで、ソーニャは溜息を吐いた。
「いいわ。お城に連れて帰りましょ」
その方がじっくりと話ができるというもの。
掴んでいた髪を離し、立ち上がる。
「独りになっちゃったわね。おじさま?」
歪んだ武器を構えたまま動けないジークヴァルド。ソーニャの笑みを受けて、彼の表情はさらに緊張を増した。戦意を失っていないが、すでに勝機は失われたと悟っているようだ。
将の戦いは、ソーニャ・コワールの勝利で終わろうとしている。
強い者が生き残り、弱き種は滅び去る。
厳然たる自然の理。誰にも否定しようがない。
デルニエールは陥落し、まもなく王国は栄光の歴史に幕を閉じる。
この場の誰もがそんな未来を予感した。
彼らが戦場の異変に気付いたのは、まさにその時であった。




