400年の記憶
「ここは?」
壁を埋め尽くす本は大きさや厚さ、表紙の色には特に統一されているわけでもなく、絵本のようなものもあればとても分厚いものもあった。
ラフィリエーネはキョロキョロと当たりを見回していたが、カロルも同じようにキョロキョロと何かを探していた。
「この本らは僕の400年間の記憶だよ」
「どういうこと?」
「本に記憶を書き込んでるんだ。ほら…」
近くにあった本を一冊引き抜くと裏表紙をみせる。そこには魔法陣が刻まれていた。手を伸ばし、線をなぞりながら話す。夥しい数の魔法文字が規則正しく並んでいる。
「ふ、複雑ね…。今の魔道士、…いえ、王宮務めの魔道士でさえもこんな事できる人なんていないかも」
「君は読めるの?」
「こんな難しいのは読めないわ」
魔法文字の中には、今はすでに使われていない古代の文字も多く誰が見ても複雑なんだと一目で分かるものだった。
もう少しあっちかなぁ?なんて言いながらカロルはどんどん奥へと進んでいく。
数分後。
いくつか本を抜き出し、表紙をみてはとじ、元の場所へ戻す。
さっきからそれの繰り返しだ。心配になって声をかけてみる。もしかしたら、………いや、もしかしなくても『ハッセン』の記憶がどこにあるのか覚えていないんじゃ……。
「あの、」
「ん?」
返事は返してくれるものの目線は本棚のまま。
「もしかして、ない?」
「いや、あるはずなんだ。この辺りだとは思うんだけど」
「忘れたの?」
「忘れた…わけではないよ。今の僕には最低限の記憶しかないんだ。それに、こんな数の本の場所を全部覚えられていた方が凄いよ」
「確かにそうね」
「……………あ。あった」
無表情だからカロルがどんなことを考えているのか読み取りにくい。けど、なんとなく「最低限の記憶しかない」という言葉で、どこか寂しそうにした気がした。きっと気のせいだけど。
近くにあった机に本をおく。ホコリがかぶっている。
表紙の色はカロルの瞳の色に似ていて、本自体は絵本のように大きめのものだ。ページもそんなになさそうだ。
あれ?そういえばどこかで見たような………。
「あー、君も見る?」
「い、いいんですか…?」
「うん、むしろ君が見て、覚えておいてほしい。僕は長時間覚える気は無いし、記憶が混ざると後で面倒だから」
どういう意味なのかよく分からない。首を捻るも聞き返すタイミングを逃してしまったようだ。
発言のあと、カロルがラフィリエーネの手をいきなり握ったのだ。握られたラフィリエーネは驚いて思わず肩が揺れてしまった。
「あ、ごめん。痛かった?」
「い、いえ。大丈夫…です」
いや、痛いか痛くないかの問題じゃない。ラフィリエーネが言いたいのは、恋人ではない者と手を繋ぐのに抵抗がないのだろうか。指の間に自分の指を絡め、これは世にいう「恋人繋ぎ」ってやつだ。塔にずっと引きこもっていたからよく知らないが、今の世間ではこれが一般常識なのか?
気になって顔を覗くが無表情の彼からは表情が読み取れなかった。
「あ、そうだ」
「? どうかしましたか?」
「うん、条件を付けてもいいかな?」
「条件?」
「単刀直入に言うと、見返りを求めてもいいかってこと。勿論、ハッセンの件についてはちゃんと協力するよ。だからその後、僕の探してる本を一緒に君も探してほしいんだ」
キョトンと目を丸くする。そんな事でいいのかと。
「勿論承ります」
「そっか。よかった」
そう言うと、カロルは目の前の本に向き直る。
ラフィリエーネと繋い出いない方の手を本の上にかざす。少しの恐怖と緊張感がラフィリエーネを支配する。それに気づいたのかカロルは手をぎゅと握りしめ、呪文を唱え始める。
「我に応え、我に尽くせ。“ウィズダム”」
カロルに応えるように本はひとりでにパラパラとページが捲られ、あるページでピタリと止まり、光り出した。
魅了されたように真っ直ぐに本を見つめていると、カロルが緩めていた手を強く握ってきた。振り返ると、カロルはじっとラフィリエーネを見つめていた。
私が彼の表情を見た初めての瞬間だった。
「これから何があろうも僕の元を絶対離れないで」
カロルの真剣な表情はどこか悲しそうに歪んだ気がした。しかし、視界は本から放たれた眩い光に支配され、ラフィリエーネには、すでに、それを知る由は無かった。