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マシナ・ノ・マシナ -月のアルカ-  作者: 宇奈式玲
Ep-1 月のアルカ
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月のアルカ

 あんなことは二度とごめんだな――。もうすっかり馴染んだ右手を見て、イブは思った。

「そんなことあったっけ?」

寝起きの、もそっとした声が内側からした。

「あんたって子は。まったく――」

イブの深いためいきが漏れる。

 アルカは慌てて、

「ウソウソ。冗談だよ」と笑った。

 事実、彼女はあれから、自ら課すかのように厳しい訓練に耐えた。ほんのかすかなデブリですら、かすらせもしない。慎重すぎるほどと言った方がいいかも知れない。だがその上で、あのレーベから勝利を収めたのだから、1年前より相当腕を上げたことが分かる。ただし、それはたった昨日の話だけれど。


「あのときのこと?」

考えていたことはどうやら同じだったらしい。

 ちょうど1年前。アルカとイブが出会ったあの日、とても多くのことが起きた。

 アルカもイブも、最初は必ずしもいい印象をお互いに持たなかったこと。アルカのイブは、ぽんこつ同然、ジェイからの贈り物でなければ本当に突っ返すところ。イブのアルカは、無謀な命令を繰り返す上官、あるいは、おもちゃを乱暴に扱う幼児だった。適化されるまで、二人の言葉が通じなかったのだけは幸いだった。きっといつまでも修復の効かないことになっていただろう。


 だがやはり、あの危機は二人を特別な関係にした。


 アルカはイブの修理が終わるまでの間ずっと塞ぎ込み、でも再びイブに乗った瞬間の喜びは最高のハイライトだった。

 残念ながら、デッキにいた時間、眠っていたイブにとっては一瞬の出来事。それでも飛び出したときの、アルカから伝わってきた興奮はイブにとっても嬉しいものだった。それから愚痴ばかり聞かされるハメにはなったが、頼られていることに悪い気はしていない。

 それに叱咤や慰めが決して反映されなくとも、アルカの揺れ動く心で、イブは彼女自身を実感できるのだ。


 だからこそアルカのあの動揺がいつも気になっていた。

 肝心の侵入者はあれから姿を見せていない。もちろん来ないに越したことはない。結局あれにヒトが乗っていたかどうかはまだ判明していないのだが。

「アルは……。人間と、他の人間と暮らしてみたいと思わないのかい?」

 この話をするといつも、

「さあ。どうだろうねえ」

彼女は他人事のように、はぐらかそうとする。

 けれど……。アルカの体はかすかに強張ってしまう。それをイブは鋭敏に感じることが出来た。きょうはまだまだ二人きりの時間がある。

 すでに二人は月が完全に見えないところまで来ていた。


「怖い、とかじゃないんだよ…」

いや、これが『怖い』ということかも知れないのだけど……。きょうは逃げられないとアルカは悟って、こぼし始めた。


 あの人達がどんな顔をしているとか、私には想像できないんだ。せめて写真やポートレイトのひとつでもあれば違うはずなんだけど、ティコにはないし…。鏡に反射する自分を見ればいい? まあそうなんだけど。でもね。私だって笑ったり、本当に時々は、泣いたりするでしょ? 彼らも同じ風にするのかな。そんなこと私にはわからないじゃない?もしかしたら違う風に、違うことで笑ったり、泣いたりするのかもしれない。 ジェイは「そうだったよ。上手だよ、アルカ」って言うけれど、それも本当だか。いや、それは本当でいいはずなんだけど。とにかく私には比べようがないもの。ヒトの生き方? それはもうお手本がないのだから、完全にお手上げだね。ジェイやタータの教えてくれる範囲にも限界があるからね。理解しているのは、始まりと終わりがある、ってことぐらいかな。そして間違いなく言えるのは、私は相当変わり者だよ、ヒトから見て。だって私は機械だけの星に生きてきた、お姫様だもの。

 興味が全く無いとは言わないよ。でも正直に告白するなら、好奇心よりは――。


 イブには言える言葉はなかった。だってアルカの姿を見ることが出来ないのだから。こうしている今も、アルカがどんな表情をしているのかさえわからない。せめてイブに〈アルカ〉だった頃の記憶があったなら、掛けられる言葉のひとつはあったかもわからない。

 せいぜい、

「一緒に暮らすが言い過ぎなら、まずは会ってみるとか?」

フォローにもならない、見当違いなことを言うのが精いっぱいだった。


 でもイブの慰めは必要はなさそうだ。

「うん。やっぱり私は月のアルカでいたい」

空元気には聞こえない。だが、こうもつけ加えた。

「もしティコから出て行きたくなるとすればね。それは私の声に誰も応えてくれなくなった時なのかな」


 パン、と手を叩く音が聞こえて、アルカの口調は急に明るくなった。

「それにしてもマシナってすごいんだね。〈生きる意思〉なんて冗談みたいな言い方だけど、おかげで私はまだ生きていられるのだから、ひとつもバカには出来ないよ。ありがとうね、イブ」

 そう、確かにミサイルは直撃するはずだった。放心していても、自分の手に操縦桿がなかったのは確かだ、アルカ自身はっきり覚えている。だとすれば腕を動かせる可能性を持っていたのはやはりイブだけ。しかし当のイブも、咄嗟の出来事で確信はない。

 そうしたのは自分でもあるようだけれど、全くそうでもない気もして、感謝を素直には受け取り辛くて、かえってイブの方が返答に困ってしまった。


 今度はイブから話題を逸らす。

「座標からするとあれがコリドニアのようだよ、アル」

 距離にするとまだかなりあるはずなのに、とにかく巨大だ。明りもなく、周りの星々を隠してしまう様は、まるで宇宙に穴が開いたかのようだ。

「どうしようもなく……、でかいね……」

アルカはあ然としている。イブももちろん同じ意見だ。

「一体あの大きな星のどこへ行けばいいと言うんだろう、ジェイは」

 重力に引かれるままに彼女たちは進んで行く。といって、このサイズのもつ天体の引力からすると、吸い込まれるといった方がもはや近い。

「しっかり掴まってるんだよ、アル」

 月のどんな船でも獲得し得ない速度で落ちていく。もうアルカにもイブにも制御は不可能だった。


 あまりの環境の変化にイブが気を失いかけたそのとき、後ろからピタっと誰かに肩を抱きとめられた感じがした。

「ようこそ我らの惑星へ」

 イブがゆっくり振り向いて、声がした方、頭上を二人が見上げると、巨人が見下ろしていた。違う?いや違わない。サイズこそ違えど、彼もまた機械仕掛けのヒト、LJそっくりだった。

「よく来たね、アルカ。そしてきみがLJ。ロングジャーニーのイブということでいいね」

 巨人の大声に大気さえ震えたようだった。


  ◇


 アルカが望もうと望まざるに関わらず、旅立ちのときは来る。


 彼女を送り出した後、マザー・ジェイは言った。


――ティコに生きるものたちよ。まもなく風がやってきて、我らは長い眠りにつくことになる。どうかそのときまでは、各々の持ち場で最後まであなたたちの役目をつとめてほしい。これもまたひとつの証明なのだから。

 アルカがここへ来るまで月は、我らは誰にも忘れられた存在だった、ただマシナによってなかば永遠に生かされるだけの。我らは本当に存在したのだろうか。我ら互いに記録しあっていただけではないのだろうか。

 風の前に彼女がやってきたのは、ある種の奇跡だったのかも知れない。


 アルカがいつか――。いや戻ってくることはあるまい。

 それでも彼女は幼き日々を記憶に留めていてくれるだろうか。思い出してくれるだろうか。それは私にもわからない。だが我らは存在したのだ。ほんの小さな記憶の中にのみというのも悪くないと、アルカがティコへ来て以来思うことがあった。ヒトのそれが、たとえ脆く儚いものだとしても――。


 タータータもレーベも、他のものも、それぞれが、それぞれの場所で自らの仕事を続けている。それはもう何千、何万回と繰り返されてきたことだ。が今は、少し、どこか、違っている。そう願いたい。


 ヒトは独りでは生きていけない――。不便な存在だと、マザー・ジェイは思う。

 大丈夫。アルカは独りではない。旅をともにする〈イブ〉がいる。あなたの生きる場所はここだけではないのだから。


 そして我らも独りではいけなかったのだ、ともマザー・ジェイは思う。



Ep1  -月のアルカ-  END

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