急
「明菜あああああ――――――――!!!!!」
黄ヱ門は走った。
どこまでも、どこまでも走った。
全力で駆け抜けた。
そして駆け抜けたところで気がつく。
「あああ明菜あああああ……ん? 明菜はどこにおるのじゃ?」
助けなければならぬ、という気持ちだけが見事に先走ってしまった。
黄ヱ門は急ブレーキをかけ、はて、と首を傾げる。
見知った金之助の自宅周辺の住宅街。はて、北にいくのか南に行くのか西に行くのか東に行くのか。さっぱりだ。何一つ分かりようがない。
さてどうしようかなと頭を捻っていると、背後から大きなエンジン音が聞こえる。
「おい、黄ちゃんのバカ野郎。後先考えず走るんじゃねえ」
そう言いながら、黄ヱ門のごく近くに一台のバイクが止まった。
黒の革ジャンを着こなし、フルフェイスのヘルメットを被ったまま、それに跨がるじじい――平次郎が自分の後ろを指さす。
「メットあるから。乗ンな」
そして平次郎は胸元からスマートフォンを取り出した。ぽかんとする黄ヱ門に渡すと、にいと口の端を上げる。
黄ヱ門はスマートフォンを受け取り、ディスプレイをのぞき込んだ。すると謀ったかのように着信がひとつ。遠山金之助(自宅)と、電話の相手が表示される。
「……もしもし? ワシじゃ」
躊躇なくそれをとると、黄ヱ門は電話相手に声をかける。
黄ヱ門が出るとは思っていなかったのだろうか。おう? と若干戸惑うような声が聞こえたが、それも一瞬のこと。
《ほほ、もう合流したのか》
「今な。で、なんじゃ、ワシゃ、時間が無いんじゃがのう」
《この阿呆が。こんな時こそ、知恵ある者は落ちつくべきじゃろうて。で、状況はどうなっとる?》
受話器の向こうでは金之助が落ちついた様子で状況を分析していた。
平次郎と合流したこと。これから平次郎のバイクで明菜を探すことを伝えると、向こうもあいわかったと声をかける。
《たまたま冠愛来のお守りを明菜ちゃんが持っておったようでの。今、場所を検索をかけた。いいか、ワシの言うとおりに進むんじゃ。電話を切るでないぞ》
なにやら冠愛来のお守り効果で、捨てられてない限りは場所が分かるようになっているらしい。
金之助の手元の情報では、そのお守りが随時移動していることから、捨てられている可能性が低いとのこと。そして相手も移動中とのことで、行き先を順次伝えてくれるつもりらしい。
「持つべきものは、友だろう?」
ある程度状況が分かっていたらしい平次郎は、バイクの収納からもう一つのヘルメットを取り出し、黄ヱ門になげる。黄ヱ門はしっかりと頷きながら、ヘルメットを受け取り、平次郎の後ろに乗った。
「ワシが金ちゃんと連絡をとる。平ちゃん、頼むぞ!」
「オウケイ。しっかりと掴まってな!」
左手の親指をぐっと突き立ててから、平次郎はすぐさまバイクのエンジンを入れなおした。黄ヱ門は片手にスマホを。もう片手で平次郎にしっかりとつかまる。
厳つい音を立ててバイクが走り出す。
住宅街の細い通路をくぐり抜けるように、じじい二人は走った。
「――待ってろ! 待ってるんじゃぞ、明菜っ!!」
電話口で金之助が冷静に行先を示してくれる。渋滞のない裏道をかいくぐるようにした一切無駄のない指示。流石地図データを取り扱ってきたじじいなだけあって、信号にも引っかからない最的確なコースを指示してくる。
そして相手の複雑な車の動きから、目的地を分析。やがて、港の方に向かっているのではと告げられた。
黄ヱ門はその内容を平次郎に伝えると、こちらもまかせろ、とクールに笑った。
人馬一体とはよく言ったものだが、平次郎の運転はまさに人バイク一体。入り組んだ細い道もなんのその。速度に緩急をつけながら、無理ないコーナリングで入り組んだ道を駆け抜けていく。
黄ヱ門は、自身が何も出来ない歯がゆさを感じつつ、いや、自らの出番はこの後だと心に決意する。
――たとえ、この命に代えようと、明菜を守り抜く。
確固たる決意を持っていた。
* * *
「さて、冠愛来ちゃん、ここに大人しく座ってな」
男に手をひかれ、明菜が腰を落とすとそこには固い椅子があった。腰をかけるとようやく、被せられた紙袋がはぎ取られる。ぷは、と息を吐くと同時に、視界が広がり、明菜は周囲の状況に目を走らせた。
薄暗い空間だ。もう使用されていない倉庫のような場所で、明菜の隣には無数の段ボール箱が転がっている。
複数の磨りガラスから差し込む自然光のみしか光がない上、その窓もけして多くはない。
そして、夕暮れ時の薄明かりに頬を照らされた男は合計三人。一人はどこかと連絡をとっているらしく、スマートフォン片手に奥の部屋へと入っていく。
もう一人は何やら複雑な装置を設置しはじめ、最後の一人は明菜を拘束したガムテープを無理矢理はがし始めた。
「……った!」
びりびりと。強制的に粘着していた部分を引き剥がされ、明菜は悲鳴をあげる。
「っと、悪い悪い、嬢ちゃん」
少し小太りの二十台中頃くらいの男は、ころころした丸い瞳を明菜の方へ向け、申し訳なさそうに呟いた。おそらく三人のうち最も下っ端なのだろう。ぺこぺこと頭を下げることに抵抗がないようで、髪型や服装の厳つさとは裏腹に気の弱そうな印象を受ける。
「鬼平、何ぼさっとしてやがる。とっとと済ませねえか」
「だけどモンドさん! ちょっと可哀想っすよ! ……悪かったな、嬢ちゃん。ゆっくり剥がすから我慢してくれよ」
鬼平。そう呼ばれた気弱な男は、実に申し訳なさそうに言葉をはいた。ガムテープを剥がし、代わりに縄で手を拘束。そして右足と建物の細い金属柱のようなものとも繋がれる。
「痛くねえかい、お嬢ちゃん」
人の良さそうな顔で呟くから、明菜も毒気を抜かれた。素直に首を縦にふる。
「ばっかやろう、鬼平。人質と仲良くなってどうする。情がうつったらどうするんだ」
吐き捨てるようにもう一人の男、モンドが呟く。何らかの装置のセットは終えたのだろう。立ち上がったると、鬼平とは対照的にスラリとした細身の、長身の男だった。
彼は不機嫌そうに明菜に近づくと、彼女の顔を覗き込む。そうしてメンチを切って、抑えた怒鳴り声で彼女を脅した。
「いいか、逃げようなんて思うなよ。そこの装置でドカンだからな」
一体どこまでが脅しで、どこからが本当なのだろう。
明菜は背中に冷や汗をかきながら、彼が弄っていた装置に目を向けた。映画やドラマでよく見る、飾り一つないむき出しの装置。しかし、赤やら青やらのコードがやけに目につくそれは、明菜の不安を煽るのに十分だった。
ーー本物だったら……まずい……わよね。
だらだらと汗をかきながら、モンドを見上げては無言で何度も頷いた。大丈夫。ランドセルは……明菜のごく近くに置いてある。お守りさえ無事なら、きっと明菜の場所が伝わっているはず。助けはあるはずだ。
「……だめだ、ずっと電話中みたいだ。出やしねえ」
すると、奥の部屋に引っ込んでいた最後の一人が顔を出した。不機嫌そうに携帯電話を弄りつつ、明菜の方へとやってくる。
「奴ら、警察に連絡してるんすかね」
「女の子一人、見逃しましたしね」
彼がこの中のリーダーなのだろう。モンドも鬼平も一定の敬意を払っており、頷き合っている。
「警察が出張るのはわかっていた。奴らが出て来るなら、むしろ電話は出るように仕向けるだろう? ……まさか、まだ気づいてないのか? ずいぶん長電話だな」
リーダーは少し考えこむようにして、顎に手を当てた。いや、しかし、と思考の一部を呟きながら、考えをまとめているらしい。
鬼平は彼とは対照的に、頭が弱いのだろう。ぽかんと口を開けたまま、様子を見ているようだ。
「……まあいい、そこの嬢ちゃんが逃げ出さないようしっかり見張ってろ。俺たちには後がねえんだ」
「ですね。こっちのセットは終わりました。まあ、出番がないことを祈るだけですが」
「あるわきゃねえだろ。まあ、失敗してのこのこ帰るくらいなら、ここでドカンの方が幾分かマシだがな」
ドカン。まさかのリーダーからもその単語が出てきて、明菜は目を剥いた。
どうやらモンドの弄っていた装置は本物のーー本物の爆弾らしい。
どんな事情があるかは知らないが、失敗した時の証拠隠滅でもはかるのだろうか。お願いだから自分を巻き込まないで欲しいと、明菜は心から願う。
目の前でモンドが小さなスイッチのようなものをリーダーに手渡した。二人でその使い方をぶつぶつと確認しあっているのが恐ろしい。
こちらのボタンが起動装置。間違えて押した瞬間のドカンを避けるため、念のため3分の時間設定をしている。などと物騒な会話が繰り広げられており、明菜の表情がひくひくと動いた。
隣で「大丈夫、使う事なんてねえからな」とかなんとか鬼平が宣っているが、そんなことは関係ない。明菜がいる空間に、殺傷能力のある爆弾がある事実からして恐ろしい。
普段は気の強い明菜だが、自身の膝の震えを感じつつ、きゅっと口を結んだ。
一通り説明が終わったのだろう。リーダーは再度電話を試みていたが、何度電話したところで一向に繋がる気配がないらしい。
「ったく、てめえのところの電話、壊れてるんじゃねえのか!」
あまりの繋がらなさに流石にイライラしてきたらしい。
どかっと、明菜が座っている横に積み上げられている空の段ボールの束を蹴り上げては、ストレスを発散し始める。
明菜はびくっと体を強ばらせて、リーダーの顔を見上げた。
それが何か彼のカンに触ったのだろうか。ギロリと明菜を睨み付けては、胸ぐらを掴んだ。
「ったく、てめえのところはどうなってやがるっ!」
目の前で恫喝され、明菜は顔を逸らした。唾が飛び散りそうな距離。自らを攫った厳つい男に服を捕まれ、恐怖に震える。
声を出そうにも、出せない。震える肩をなんとか諫めて、明菜はただ、時が過ぎるのを待った。自分に出来ることは耐えることだけ。どうか、早く時間よ過ぎてくれと天に祈る。
――どうか、どうか黄ちゃん……!
目を閉じ、自分のじじいを思い出したその時だった。
「ああああ明菜あああああああ――――――っ!!!!!」
ーーガシャーーーーーンッ!!!!!
地をも揺らすかのような大声が聞こえたかと思うと、同時に、明菜のごく近くの窓ガラスが割れ、破片が飛び散った。
割れた窓から黒い影が飛び込んで来たかと思うと、だんっ、と地面に仁王立ちする。
細かなガラスの破片が飛び散った地面に、堂々と仁王立ちした男。よく見知ったその風貌に、明菜は目を丸めた。
まさか、と、心の中で呟く。
信じられない気持ちと、納得するような心地。二つの気持ちが胸の中で渦巻き、明菜は両手を握りしめた。
「おじいちゃんっ!!」
気が付いた時には、目の前のじじいを呼んでいて、明菜はしまったと、口をつぐむ。
三人の誘拐はイマイチ何が起こったのかわかっていないのだろう。おじいちゃん? 明菜? と、明菜たちのやり取りを反芻しながら、状況を読み取る。
「何だ、てめえ?」
「こら、クソじじい、ひっこめ!」
やんややんやと誘拐犯達はメンチを切り始めるが、このような脅しで退く黄ヱ門ではない。
なんじゃと? と、睨みをきかせて、彼は一歩前へ出た。
「お前さんら、ワシを誰じゃと思っとるんじゃ!」
「わかんねえから、誰だと聞いてるんだ! ボケてんのかっ!」
「むむっ……頭が高い!」
控えおろう、と、黄ヱ門は右手の人差し指を前に突き出した。
「河相湖町のスーパーじじい、水戸黄ヱ門を知らいでかっ」
べべんと。
津軽三味線をかき鳴らすか、桜吹雪でもまき散らすか、もしくは印籠でも突きつけるかといった勢いで、黄ヱ門は声を張り上げる。
その名乗りに、誘拐犯達はみな、訝しげな顔をした。
「水戸……?」
「黄ヱ門……?」
ぽかんと。
一瞬の静寂が流れる。
男達は今、必死で脳内で状況を整理しているのだろう。当然、黄ヱ門のことなど頭の何処を探しても知らないのだろう。なにやら思わせぶりな状況に呑まれてしまったが、彼らはそろって首を傾げた。
そしてしばしの沈黙が流れた後、リーダーがまずぽつりと呟いた。
「……水戸?」
ぴくりと眉を動かし、明菜を掴む腕に力を込める。
「……どういうことだ?」
何故、遠山でないのか。とでも聞きたいのだろうか。
ばれてしまえば仕方が無い。
だが、もう大丈夫。明菜の目の前には、もう、彼女のスーパーじじいが到着しているのだ。後は、覚悟を決めるだけだ。
「――おじいちゃんっ、助けてっ!!」
だからこそ、明菜は最強の呪文を唱えた。
真摯な瞳で自分のじじいを見、声を大にして訴える。その言葉の魔力にたちまち黄ヱ門は、自分の中に眠る全筋肉を目覚めさせた。
「うおおおおおっ!!」
腕や腹、胸。筋肉という筋肉に力を集中させる。盛り上がる肉体。鍛え抜かれたそれらは明らかに体積を増し、彼の着こなしているシャツを引き裂いた!
――ビリビリビリッ!
力を入れただけで衣類が見るも無惨に引き裂かれるその筋力はすでに人間業ではなかった。
信じられない光景を目の当たりにして、誘拐犯三人は言葉を失う。
――ふしゅううう。と、体から水蒸気のようなものを出す勢いで、黄ヱ門は圧倒的な存在感を出していた。ぎろりと睨むその瞳は鋭く、薄い髪はバーコード。
窓から差し込む薄暗い夕日。赤い光を背に、肌色上裸に頭バーコードのムキムキじじい。どこからどう見てもアンバランスな様相に、ぎょっと目をむく。
「な、なんなんだっ一体」
「服っ……人間業じゃねえだろ……っ!」
黄ヱ門の周囲には、ガラスの破片とともに彼の筋肉によって引きちぎられたシャツの布が散らばっていた。まるで漫画やアニメに登場しそうな圧倒的な力に、明菜すらも言葉を失う。
こんなじじい、初めて見た、と――。
「さて、ワシの可愛い明菜を帰してもらおうかの」
ぎろりと三人を睨み付け、黄ヱ門は前に歩み始める。リーダーすら、明菜から手を離し、狼狽するように後ずさった。
「まてっ! 動くんじゃねえ、じじいっ」
しかし、流石リーダーらしい。強く意識を保って、例のスイッチを彼の前に掲げる。
「それ以上近づいてみろ。このボタンを押す。そしたらどうなると思う?」
「はて、どうなるのかのう」
「てめえの横の装置。それがドカン、だ! 俺たちもろとも、木っ端微塵だッ」
「……なんじゃと?」
流石に、その危険性に気がついたのだろう。黄ヱ門は僅かに眉を動かした。
戸惑うようにして、黄ヱ門はその場に立ち止まった。
しかし、と首を横に振る。こんな時に立ち止まってはいられない。決死の覚悟でここへ飛び込んできたのだ。
彼らの目の前には明菜が拘束されている。どうにかして、彼女だけでも助けねばならぬと黄ヱ門は唸った。
「おじいちゃん! 大丈夫! 三分ある!」
しかし、明菜の言葉が、彼らに動きを与える。
「三ぷっ…時限爆だ……んっ!」
必死に黄ヱ門に伝えようとしたのだろう。時間の有無を。
叫ぶ明菜に、余計なことをさせぬよう、モンドが口を塞ぐ。しかし時すでに遅し。というより、モンドの行動は完全に失策だった。
彼は、あろうことか明菜に手を出してしまったのだ。
「貴様ああああ―――――!!!」
目の前が真っ赤になって、黄ヱ門は飛び出した。スイッチのことも爆弾のことも一瞬で頭から消え失せ、モンドに飛びかかる。
それと同時に、倉庫の外から高い機械音が響き始めた。その音はだんだんとこの倉庫に近づいてくる。
パトカーの音だ。
黄ヱ門がふんぬと腕を振り上げると、モンドは面白いくらい体を宙に浮かせた。
けたたましく聞こえ始めたパトカーの音と、モンドが簡単に吹っ飛ばされたこと。これらの事実がリーダーの思考を奪う。
「……なんだっ。何だって言うんだ!?」
「うるさい! ワシの大事な孫に手を出しおって!」
「うわっ、兄貴!」
「おじいちゃんっ!」
皆が口々に、言葉を発し、手を伸ばす。
リーダーと黄ヱ門と鬼平。三人が団子のようになってぶつかった。
その瞬間、リーダーの手からスイッチがこぼれ落ちる。
冷静にスイッチの行方を確認できたのは、明菜ただ一人だった。
ぶつかり合う三人の頭上を、スローモーションのようにして飛んだ。ゆるやかな弧を描いて、それが地面へと落ちていく。だれも止めることが出来ぬまま、出っ張ったボタンが、地面にカタリとぶつかる。その衝撃で赤いスイッチがかちり、と押さえ込まれたのが目に入った。
――ピッピッピッ……
それと同時に、爆弾が機械音を発しはじめた。秒を刻むようにして、等間隔に音が鳴り始める。瞬間、リーダーも鬼平も青ざめて、その装置を目にした。
「……何だって言うんだ!」
「やべえっすよ、兄貴っ」
あわあわと。音に急かされるようにして、二人の誘拐犯が慌てふためく。その横ではモンドが完全にのびていて、地面に転がっていた。
我先にとリーダーが出口の方へ駆けていく。続いて鬼平も、モンドを抱えたまま立ち去っていくのがわかった。
「おじいちゃんっ」
しかし、明菜は手足をがっちりと縄で縛られてしまっている。手だけならまだしも、足の方は倉庫の鉄の柱にしっかりとくくりつけられていた。
「三分じゃな」
焦って涙目になっている明菜をよそに、黄ヱ門はその縄に近づいた。
「安心するのじゃ、明菜。ワシが、お前を助ける」
そう言い、黄ヱ門は目の前の縄を持ち、その手に力を込めたのだった。