破
――キーンコーンカーンコーン……
河相湖小学校、四年A組。
水戸明菜は本日の授業を終え、うーんと背伸びした。
今朝もじじいが鬱陶しかった。早く帰ったところで絡まれるのも面倒だからと、今日も誰かとだべって時間を過ごすことにしよう。そう考え、いつも通り仲良しのグループに声をかけに行く。
「紗弥ー!」
「明菜、うぃーす! 今日どうする?」
「今日もじじいがうざいから、寄り道してこー」
辟易した様子で大きくため息を吐いて、明菜は紗弥を見つめた。
明菜は言わずともしれた水戸黄ヱ門の孫娘。艶やかな細い髪の毛を二つにくくって、お気に入りのシュシュで飾り付けている。さばさばとしたボーイッシュな性格ながら、持っているアイテムは女の子向けの可愛らしい物が多いらしい。
「黄ちゃん面白いじゃん。可哀想だよ、そんなこと言っちゃ」
そう言って宥めるのが銭形紗弥。彼女は銭形平次郎の孫で、年の割に長身でショートヘアのスポーツ大好き少女だ。そのため、普段から陸上に精を出している黄ヱ門のことが嫌いではないらしい。
「えー、じゃあ、紗弥んところの平ちゃんと交換しようよ。平ちゃんなら格好いいから、私もまっすぐお家帰るよー」
「とかいって、どうせ今日も金ちゃんのとこにたむろしてるんじゃないの? いっしょいっしょ」
三人のクソじじいを同時に思いだし、二人して吹き出した。
早く帰ろうがそうでなかろうが、あのじじいは夕食前まで帰ってこない。“クソじじいの会”と同様に、なんだかんだ理由をつけて、明菜も紗弥と遊びたいだけなのである。
「冠愛来ー。冠愛来は帰れる?」
“クソじじいの孫の会”となると、当然もう一人にも声がかかる。遠山冠愛来。少々親の趣味が反映されまくった名前である彼女は、天然のふわふわした色素の薄い髪を揺らしながら二人のもとへ近寄ってくる。
「私、今日図書委員なんだよね〜」
がっかりしたようにそう告げるが、冠愛来は直ぐに二人に笑顔を見せた。
「先二人で帰っててよ。私、後で合流する〜」
そう言って冠愛来はランドセルの蓋を開けた。中から小さなお守り袋のようなものをとりだして、明菜に渡す。その意図を正確に読み取って、明菜たち二人もにまりと笑った。
「オッケー。多分紗弥んちか河相湖公園だけど。待ってるねー」
「ういうい」
そう言って、冠愛来はパタパタと教室を後にする。
後に残された二人は、じゃあ行こうか、と口々に言って帰路につく。
「紗弥はいいよねー、平ちゃんカッコイイし、名前もオシャレだもん。私なんて明菜だよ、明菜!」
「明菜可愛いじゃん」
校門を出てからも、二人のおしゃべりは絶好調だ。家もごく近所な為、なんだかんだで晩ご飯直前までおしゃべりタイムは続く。
「響きはね。でも由来きかれたら恥ずかしいじゃん?」
「そうかなあ。良いと思うけどなあ、中林明菜」
本日の議題はどうやらお互いの名前についてらしい。明菜は父親の趣味全開で、中林明菜から名を貰ったことに若干の抵抗がある。
「やだよ! だってさあ、お父さんの世代よりは、若干上の世代でしょ? なんか古くさくない?」
「そう? でも、かっこいいよ、中林明菜」
「同じ格好いいなら、江室ちゃんとかの方がよかった。奈美恵。よくない? 名前だけ抜き出したらちょっと昔っぽいけど、そこがいいっていうか」
「言ってること矛盾してるよー?」
紗弥はくつくつと笑った。
明菜の中では小さなこだわりが燻っているのだろう。ぎゅっと手のひらを握りしめ、確固たる決意でもって名前論を展開させる。
中林明菜は嫌いではないが、若干の世代のズレがどうしてもゆるせないらしい。
「奈美恵じゃないなら、紗弥みたいなオシャレな名前がよかったよう。ほんと、平ちゃんセンスあるもん」
「別に平ちゃんが決めたわけじゃないよ?」
「それでも、銭形家には流れてるんだよ……こじゃれたセンスの血が……」
二人は頭に銭形平次郎の姿を思い浮かべる。
彼の守備範囲は上は90下は女子大生……と思いきや、小学生女子の心もがっちり掴んでいたらしい。
クールな笑みでくわえたばこ。映画からそのまま飛び出してきたかのような風貌は、女子ならば憧れずにはいられない。
そして、黄ヱ門、平次郎ときたら、最期は金之助……そして彼の孫のことを思い至ることになる。
「冠愛来は……」
「うん、冠愛来はね……」
何か言いたげな口ぶりで、お互い牽制し合う。
過去にも名前談義は何度か繰り広げたことがあるのだが、きまって冠愛来がいないときだった。
彼女の特殊な名前は、このご時世珍しくないとはいえ、三人の中では若干目立って見えてしまう。
「あそこは、パパもママもマイペースだから」
「おおう……」
金之助の息子、そして冠愛来の父にあたる人物は、少々のんびりとした性格だった。会社の経営が上手く回せないのもそうだが、家庭内でもママに実権をすべて握られ、マタニティハイの状態の彼女に命名まで一任してしまった。
冠愛来本人は色素の薄い髪に天然ゆるふわパーマで、その名前がちゃんと似合う少女だから許されている感がある。本人も気に入っているようなので、もはや明菜達がとやかく言う問題ではなかった。
冠愛来の家庭事情は少し特殊だ。
祖父である遠山金之助が一代で起こした地図会社を家族経営続けている形になっている。
もともと相当のお金持ち家庭だったようだが、父親の代でいろいろ問題が起こっているとかなんとか。それなりに大きな規模になっているにも関わらず、冠愛来本人は庶民の感覚で、明菜達と仲良くしていた。
少しおっとりした節があるが、それもまたいい。明菜は基本元気いっぱいでマシンガントークの性質を持っているため、聞き上手な冠愛来とは相性がよかった。
今日もこの後合流してくれるという。彼女の到着が待ち遠しい。
そう明菜が思った時だった。
丁度河相湖公園が見えてきたとき。
後ろからバタバタと誰かが駆けつける音がしたと思うと、明菜の視界が突然真っ黒になった。
口元を押さえられ、紙袋のようなもので視界を塞がれたかと思うと、何者かに抱きかかえられた。抵抗する間もなく、どこかに放り投げられる。
背や尻に当たるクッションの感触から、車に押し込まれたことに気がついた。
明菜は、体をじたばたと動かし、どうにか外に出ようとした。しかし、相手は複数人いるらしい。完全に体を押さえ込まれてしまって、子供の明菜の力ではどうにも出来ない。
「明菜っ!? ちょっと、待ちなさいよあなたたちっ。明菜っ! 誰かっ」
バン、と勢いよくドアを閉められてしまい、紗弥の叫び声がくぐもって聞こえる。紗弥の名前を呼び返そうとしたが、口元も押さえつけられているため、モゴモゴと音が漏れるだけだ。
なんとかしないと、と思ったときにはすでに、車は走り出していた。
「口は塞ぐなよ」
助手席の方向からリーダー的な男が声をかけてくる。
問答無用にガムテープで手足を拘束される。
粘着力がかなりあるらしく、明菜の痛みを配慮しない巻き方が手首を締め付ける。肌が擦れで、ジンジンと痛みを発するが、どうにもならない。かなりきつく巻かれてしまったらしくて、身動き一つとれなくなった。
「……さて、冠愛来ちゃんよ。無事に助かりたければ大人しくすることを勧めておくぜ」
そうして、前方から声をかけられて明菜ははっとした。
今、相手はなんと呼んだ?
――冠愛来、と、呼ばなかっただろうか。
反射的に冠愛来じゃない、と言おうとした。が、祖父とちがって些か頭の回転が速い明菜は、すぐに口を噤む。今、冠愛来じゃないとわかれば、自分はどうなるだろうか?
彼らのターゲットが冠愛来と明確だったことから、これが誘拐なのではとすぐ答えにたどり着いた。
しかし、攫う相手が実は間違っていたとなるとどうだろう。少なくとも、この場でじゃあさようなら、とはなりようがない。監禁されるか、最悪口封じと言うことも……。
まずい、と、明菜はだらだらと汗を流す。
どうにかして、冠愛来に化けなければいけないだろう。
あの場には紗弥もいた。きっとみんなに知らせてくれるはずだ。むしろ、誰かに情報を伝えさせるために、二人でいるところを狙われたのだろうか。
――にしては、誘拐相手を間違えるとか、ダメダメすぎるでしょうよ!
この無能! と心の中で悪態をつきつつ、明菜はじっと息を潜めた。
いつも一緒にいるからだろうか? 根本的な資料からして間違っているとか?
なんだか分からないが、明らかに向こうの情報不足に苛立ちを覚える。
その間、隣の男がランドセルをはぎ取り、ごそごそと中を確認しているのがわかった。
別に見られてまずい物は入っていないが、なんとなく気恥ずかしい。……が、あることに気がついて、すぐに明菜は大量の汗を流すことになった。
――ノ、ノート見られたら……! 名前が……!!
小学四年生の学習用具である。すべてのものに徹底的に名前を書かされるのは当然だ。一冊でも確認されようものなら、そこでジエンド。彼女が遠山冠愛来でないことがバレてしまう。
ぶるぶると冷や汗をかきながら、明菜はじっと身を潜めた。
微動だにせず、自分の存在を押し殺すようにしてやり過ごす。少しでも早く、中身の確認を終えて欲しいと願いながら、ただただ時を過ごす。
永遠とも思える時間をやり過ごしていると、中身を確認していた男がひとつ声をあげる。
「兄貴! 携帯電話の類いはないようですぜ!」
「ほお、やはり小学生だな。遠山家でも与えてないのか」
いや、遠山家のお孫さんは持ってますけどね、スマートフォン。と、心の中で悪態をつきながら、どうにかやり過ごせたことに息を吐いた。
――よし、この部下の男、ちょっとおつむが悪いぞ!
相手の頭の弱さにほっとすると同時に、一つの幸運を思い出し、明菜は少し心に希望を持てた。
冠愛来に受け取ったお守り袋。
あれもきっと、ただのお守りとして認識されたのだろう。
ランドセルの手前のポケットに突っ込んでおいたわけだが、見つからなければこの先の可能性が広がる。無事に助けて貰える可能性が、だ。
あれは金ちゃんが孫かわいさに持たせたお守り。ちょっと特別なGPS機能つきだから、仲良し三人組で待ち合わせ用に使用している。もはや一種のオモチャになってしまっていたのだ。
携帯を持たない明菜や紗弥の居場所をお知らせする機能がわりに、便利アイテムとしてやりとりしていることがここで役に立つとは思わなかった。
――紗弥……冠愛来……! おじいちゃんたちに知らせて!
なんだかんだで、思い出すのは明菜にとって一番身近な人物だ。
――おじいちゃん! 黄ちゃん、助けて……!!!
* * *
「うおおおお! なぜじゃ、なぜなのじゃっ!?」
一方、その頃。
金之助宅ではクソじじい三人そろい踏みでみんなで平次郎の最新型携帯電話“スマートフォン”なるものに顔を寄せ合っていた。
若者に流行の緑色の交流手段ライム。よいじじいの会専用アカウントを見つめながら、ああでもないこうでもないと議論を交わしてはや2時間が経過しようとしている。
ライムでは一人の可愛い女子大生のアイコンが「通話しよv(*'-^*)-☆」と呼びかけてきている。
その後に可愛いウサギの絵までが登場し、電話片手にRINRIN☆という文字がふよふよと動いていた。黄ヱ門にとってはまるで未知の世界だ。
何事と思い前の会話をスクロールしてみると、平次郎と二人で動く絵をぽんぽんと送りあっていたらしい。これで会話が成立したことになるのかと黄ヱ門は首をかしげた。
「どんなもんだい、俺にかかりゃアこんなもんサ」
「ぐぬぬぬ、その実力、認めざるをえんな……!」
にやりとクールに笑う平次郎を横目に残りのじじいたちは悔しさに歯ぎしりをしている。
かれこれ2時間。暇そうな見知らぬ女の子にトーク友達アタックをしかけては、誰が一番最初に無料通話にこぎ着けるか勝負をしていた。
当然、黄ヱ門と金太郎のチャレンジでは、気がつけば向こうが既読無視、もしくはブロックされている結果にしか結びつかなかったわけだが。
「いやいや、たまたま、平ちゃんの相手が優しかっただけじゃ」
「ふむ、ワシもそう思うのう」
通話という段階に至った男を、どうにかして蹴落とさねば気が済まないのだろう。
残りのじじいは口々に、自分たちは相手が悪かっただけで、平次郎が格好いいからではない。そもそもこれはただの遊びだ。勝ったと思うな。と好き勝手に貶める。
「……負け惜しみかい? 仕方ねェな、通話、譲ってやろうと思ったのに」
「平次郎は流石じゃ! 男の中の男じゃ!」
「うむ、実に男前じゃのう! 往年の映画俳優も真っ青なくらい男前じゃ!」
が、一瞬で彼らは立場を変える。
そして黄ヱ門は平次郎のスマートフォンを奪うようにして、手に取った。
あまりのがっつきように、平次郎もやれやれと肩をすくめる。電話を譲ることに特に抵抗はないらしい。大人の余裕すら見せて、電話しろと手で合図を送った。
震える手で、黄ヱ門は画面の通話ボタンに手を伸ばす。
ぽちりと、人差し指で通話アイコンを丁寧にタップし、画面を自分の耳元へ持っていった。
《もしもしー? あ、平ちゃん? やった、やっとつながったねー!》
「うむ、ワシは水戸黄ヱ門、ろくじゅうきゅ……」
――がちゃっ。ツー……ツー……ツー……
『無料通話は終了しました』
「……」
きれた。……きられた。
「黄ちゃん、お前はバカだ。大バカ者だ」
「そうじゃのう。他に類を見ないうつけ者よのう」
呆れるように好き勝手言われ、黄ヱ門は虚ろな面持ちで彼らを見やる。
「ワシの何処が悪かったというのじゃ」
「全部だ、バカ野郎」
「せっかく繋がったというのに、この阿呆者」
口々に辛辣な言葉を浴びせられ、黄ヱ門はたじろいだ。いや、彼の中ではこんなはずはなかったのだ。
平次郎の会話の流れをしっかりと引きついで、ウィットに富んだ会話で、女子大生と喫茶店デートくらいはしゃれ込むつもりでいたのだ。
********************
『トークしてた時から思ってたんですけれど、黄ちゃんって、大人の男性って感じで素敵ですね』
『そりゃあのう、お前さんとは50年ほど生きた時間が違うからのう』
黄ヱ門はふっと悲しげな笑みを浮かべて、窓の外を見た。
深い臙脂色のゆったりとしたソファーに腰掛け、なんとなく小洒落た音楽を聴きながら、なんとなく小洒落た飲み物を飲む。多分コーヒー的な何かだ。
黄ヱ門の脳みそだと、現在の若者の行くようなオシャレな喫茶店のイメージなどこれで限界だ。しかし、今、自分の想像力を気にすることなんてない。ただ、目の前のイケた女子との心の交流に集中したい。
『死んだ女房も、お前さんのように綺麗なおなごじゃったよ』
『……私じゃ……奥さんのようにはなれませんか?』
黒髪のストレートな髪が艶やかで、化粧も薄くて自然体。年若いながらも凜とした雰囲気の彼女に真っ直ぐに見つめられる。上ずった声に、ほんのりと赤らんだ頬。素直に示された好意に黄ヱ門の心は揺れた。
しかし……。
諦めるように、悲しげにふと笑みをもらして、黄ヱ門は首を横にふる。
こんなにも真摯に自分と向き合ってくれる女の子はこれから先も居ないだろう。だがしかし。自分には、天から見守ってくれる愛すべき妻がいる。家族だっている。己だけの身ではないのだ。
それに、目の前の女性はまだ年若い。
50年。残酷とも言える時の悪戯に翻弄させてしまってはいけない。彼女には、まだ、未来があるのだ。
それらすべての状況を考えると、彼女の想いに応えることなど出来ない。彼女のためにも、ここですっぱりとお別れをせねばならないのだろう。
ーーああ、儘ならない世の中じゃ。
哀しくないと言えば嘘になる。彼女との出会いは、それ程までに自分にとって大事なものだった。
それでも、黄ヱ門は立ち上がった。テーブルの上に代金として1枚の紙幣を置き、彼女に背を向ける。
『すまんのう。ワシのことは忘れ、お前さんらしく、前向きに生きるんじゃ』
『黄ちゃん……!』
『お前さんの将来を、応援しておるぞ』
黄ヱ門はそう言い残し、彼女の前を立ち去った。
彼女は席から立ち上がって、でも黄ヱ門を追えずに立ちすくむ。
いつまでも、いつまでも、目の前からいなくなってしまった黄ヱ門のことを想い、立ち続けていたのであった。
********************
「こ、これじゃあ!!!」
くわっと目を見開いて、黄ヱ門は立ち上がった。
ばんっ、とちゃぶ台を全力で叩いたものだから、上に乗っかったお茶やら茶菓子やらが勢いよく揺れる。
突然の大声に、脇に座った二人のじじいはびくりと体を震わせた。
「な、なんなのかの、一体……」
「まァた、いつもの妄想をしておったんだろう」
「阿呆じゃのう、黄ちゃんは」
はあ、とため息をつく二人をよそに、黄ヱ門は興奮に震え上がる。
ーー好かれた女子との切ない別れ……良い!
数ある妄想を繰り広げてきた黄ヱ門だが、今日の妄想は些か出来がよかった。何よりも、美女に好かれてそれを袖にするというシチュエーションが堪らない。脳内で何度もリピートし、悦に浸る。
立ち上がったまま微動だにしない黄ヱ門の左右で、二人のじじいはまたもやため息をついた。
「黄ちゃんは今日も平和だな」
「悩みがないようで、羨ましいわい」
ライムの失敗などどこぞへ吹き飛んだらしい。
キラキラと目を輝かせ、腕を組んで仁王立ちしたままピクリとも動かない。適度に鍛え上げられた肉体と、老いた顔立ちが妙にアンバランスで、なんとなく彫刻のようだ。筋肉で固められた脳みそも、妄想のためには働くらしい。
さて、どう声をかけて正気に戻そうか、と平次郎が考えた時だった。
「おじいちゃん! 黄ちゃんっ! いる!?」
「金ちゃん! 黄ちゃんは!?」
ばたばたと。
随分と騒がしい足音が聞こえたかと思えば、二人の少女が襖から顔を出した。平次郎の孫紗弥と、金之助の孫冠愛来である。
二人とも顔色を真っ青にして、はあはあ、と肩で息をしている。未だに妄想の檻から出てこられない黄ヱ門を目にして、紗弥が「よかった」と呟いた。
「おう、紗弥。随分と早いじゃねェか」
「冠愛来ものう。今日は委員会の日じゃろう?」
などと言いつつも、孫の姿が早く見られるのは素直に嬉しい。慌てた様子の孫達もまた良しと、のんびりにこにこと愛でながらじじいたちは声をかけた。
「それどころじゃないんだよ、おじいちゃん!」
「そうだよ〜、黄ちゃん! 黄ちゃんってば!」
冠愛来は未だ夢の中の黄ヱ門を揺さぶった。
まだまだ年若いながら、可愛いおなごの声に目覚めない黄ヱ門でもない。はっとしたように視線を動かすと、自分を掴んだ冠愛来が目に入る。
瞬間、『私のおじいちゃんも黄ちゃんが良い!』と、他人の孫に言われた気がして、くらりとした。
なるほど、おじいちゃんポジションとして、とられあうのもまた良いかもしれない。
明菜と冠愛来で言い争いなどしてもらえたら本望だ。真面目に設定を考えるのも悪くないかもしれない。
――そうだ、両脇に女の子二人がそれぞれ腕をとって、引っ張り合うのはどうだろう。ワシ、モテモテじゃ! うははははは……と、再び妄想に入りそうになったところ、平次郎に全力で頭をはたかれた。
「な、何するんじゃ!?」
「お前さんが全然戻ってこないからはたいただけサ。んで、冠愛来ちゃん。どうしたんだ?」
黄ヱ門にしがみついた冠愛来を引き剥がして、平次郎は改めて訊ねる。慌てすぎて泣き出してしまいそうな雰囲気で、冠愛来は何度も言葉を飲み込んでしまった。
「明菜が! 明菜が危ないの!」
冠愛来の代わりに答えたのは、紗弥だった。
この中で、一部始終を知っているのは紗弥一人。じじい達に事の顛末を伝える。この使命を果たさねばならぬと声高らかに言い放つ。
「明菜が! 黒い、大きな車に連れ去られた!」
じじい衆三人は、そろいもそろって目を丸くした。
予想できない言葉に、周囲の状況を確認する。たしかに、この場に明菜がいない。三人のリーダー的存在とも言える明菜が欠けていることは、大きな違和感とも言える。
「どういうことじゃ……?」
狼狽するようにして、金之助が聞き返す。状況がイマイチ把握できない。
よいじじいの会ブレインの金之助は、この状況をまとめねばならぬと瞬時に理解し、紗弥に聞き返す。
しかし、時すでに遅し。
状況をまとめきる前に、一人のじじいはすでに部屋を飛び出していた。
「うおおおおおお、明菜あああああああ――――――!!!」
どこから出るのか疑問なほど大きな雄叫びをあげつつ、明後日の方向へ走り去っていくじじいが一人。それを目の当たりにして、残された四人は目を丸めた。
「い、いかんっ。平ちゃん、黄ちゃんを追え! ワシが後から連絡を寄越すでのう」
「ったく、仕方ねェなあ黄ちゃんは。ひとっ走り、してくるか」
部屋の片隅においたヘルメットを抱えて、平次郎も部屋を飛び出す。
「紗弥、冠愛来。話は金ちゃんにしとけよ。絶対明菜を助け出してくるからヨ」