危険回避のためのひとこと
以前「言葉のあや」の回の最後で、久矢君は私に次のようなメールを送ってきました。
サキへ
今日は大事な報告をしようと思って、このメールを送りました。
僕、君これまでずっとどうしようか考えていたのですが、この度レッスンや英語での会話を通じて身につけた英会話力を駆使して、海外で自分の実力を試してみることを決意しました。
君と一緒に会話をしたり、一緒に笑ったりすることはとても楽しかったので、この決断をするのはとても辛いものでした。
恐らく、このメールを読んだら、君もショックを受けるでしょう。
でも自分の夢をかけてみたいという気持ちは心の中で消えずにいましたし、あきらめたくないという思いもありました。
今までこのことが言えなかったために、突然このようなことを打ち明けることになって本当にごめんなさい。
だけど、君と別れるつもりは全くありません。
君の父親のアーロンさんから聞いたことですが、彼は桜さんと仲良くなった後、何度か離れ離れになったそうです。
その時、桜さんは別れようとしたそうですが、彼は何度も電話をしたり、手紙を送ったりして、懸命に努力をしたそうですね。
だったら僕もきっとこれを乗り越えられると信じています。
だから、どうか僕の気持ちを分かってもらえればと思います。
もし君を泣かせたり、仕事に響かせてしまったら本当にごめんなさい。
こんな勝手な僕を、どうか許してください。
これを読んで、私はショックを受け、すぐに久矢君に電話しました。
私は気持ちが整理できていなかったために、思わず彼にきついことを言ってしまいました。
一方の彼は、きつい言葉を浴びせられても全く興奮することはなく、時々謝りながらも、自分の希望をはっきりと私に伝えてきました。
私はそれでもなかなか落ち着きを取り戻すことができず、結局立ち直れないまま電話を切りました。
その後、私は両親と連絡を取り、今回の件を伝えました。
久矢君がメールで書いていた通り、両親も何度か離れ離れになったことがあったそうです。
でもお互いやりたいことをしっかりとやり遂げた上で再び巡り合ったという経験があるので、やさしく後押ししてもらうことができました。
そして、彼に夢があるのなら追いかけさせてあげなさい。
彼と直接会えなくても、メールなど、連絡する手段ならたくさんあるので、それらを駆使して彼に精一杯のサポートやアドバイスをしてあげなさいと言われました。
さらには、自分達も久矢君のために何か作品を書くから、それを彼に渡してあげなさいとも言われました。
こういったアドバイスを聞いているうちに、私は少しずつ落ち着きを取り戻すことができ、彼を快く送り出す覚悟ができました。
それからしばらくして、両親はメールで作品を送ってくれました。
タイトルは「危険回避のためのひとこと」で、海外でもしものことが起きた場合に知っておいてほしい表現についてまとめたものでした。
今回は久矢君に見せる前に、その作品を読者の皆さんに公開します。
とっさの場合に理解できないと、命にかかわることもありえますので、英語圏に行かれる場合は前もって覚えておいた方がいいと思いますよ。
1)動くな
ドラマや映画などで強盗が相手を脅す場合にはよく「動くな」と言う光景が見られます。
英語ではこの「動くな。」に該当する表現はいくつかあります。
日本人にとって一番分かりやすいものは、日本語の直訳にあたる“Don't move.”だと思います。
他にも次のような表現があります。
・Freeze.
これを直訳すると「凍れ。」になってしまいますし、Please.と聞き違えてしまいかねないので、Don't move.と比べると分かりにくいかもしれません。
しかし私の場合、動くなという表現は真っ先にこの単語が浮かびますし、映画などでもよく聞くと思います。
ですから、もし相手が興奮しながらFreeze.と言ってきた場合は、すぐに動くなという意味だと解釈できるようにしておきましょう。
ちなみに、I'm frozen.と言うと、「(金縛りにかけられたかのように)動けなくなる。凍りつく。」という意味になります。
これはもしもの時に使うものではなく、日常会話の中で普通に使っています。
例文
I was frozen when I noticed my diamond ring was missing.
(私のダイヤモンドの指輪が行方不明だと気付いた時には、凍りつきました。)
・Hold it.
Holdには「今の状態を維持する」という意味があります。
これを基に考えた場合「今の状態を維持しろ。」→「動くな。」という意味になります。
ちなみに「電話を切らずに、そのままお待ちください。」という意味にもなるので、日常生活でも聞くことがあると思います。
・Halt.
この単語の意味は「停止、停止する」です。
ですから「停止しろ。」→「動くな。」という意味になります。
いくつかあってちょっと大変かもしれませんが、もしもの場合、相手はどれを言ってくるか分かりません。
ですから、どの表現を言ってきても意味が分かるようにしておきたいですね。
2)手を上げろ
ドラマなどでは「動くな。」の後には、よくこの「手を上げろ。」というセリフを聞くと思います。
この表現も複数の言い方があります。
・Stick'em up.
この表現は“Stick them up.”を短くしたものです。
Stick upはto point upward(上を向く)という意味で、themはあなたの両腕という意味です。
つまり「両腕を上に向かせなさい。」という意味になり、「手を上げろ。」と言っていることになります。
実際には「スティッケマッ」と聞こえますので、分かりにくいですが、「手を上げろ。」の代表的な言い方なので、ぜひ覚えておきましょう。
・Put your hands up.
この言い方はほとんど直訳で通じますので、Stick'em up.より「手を上げろ。」の言い方として分かりやすいのではないかと思います。
なお、handsと複数形で言っていますので、当然両腕を上にあげることになります。
・Hands over your head.
直訳すると「両手を頭の上に。」という意味になりますので、考えれば「手を上げろ。」と解釈できます。
でももしもの場合には考えている余裕などないと思いますので、反射的に理解できるようにしておいた方がいいと思いますよ。
なお、「手を上げろ。」の他に「床に伏せろ。」という言い方で、Duck.やGet down.という表現もあります。
3)本気だぞ
銃やナイフなどの武器を持った人が「本気だぞ」、つまり「本気で言っているから、殺されたくなければおとなしくしていろ。」と言ってくるシーンがあると思います。
これに該当する英語として“I mean it.”があります。
直訳すると良く分らないかもしれませんが、とにかく「本気だぞ。」という意味になります。
(※発音としては「アイミニッ。」と聞こえます。)
日本の映画やドラマでは銃を突き付けられた時にこちらが「撃てるものなら撃ってみろ。」と言って、相手が撃たないというシーンが思い浮かぶかもしれません。
しかし、海外でもしI mean it.と言われるような場合に出くわした場合には、本当に撃たれてしまうことも考えられますので、決して挑発や抵抗などはしないでください。
私(桜)は現地のニュースで、日本では考えられないような凶悪事件を耳にし、心を痛めることがありますが、それが海外の常識と考えるべきでしょう。
この場合、相手はお金目当てでやっていることが多いので、相手の言う通りにし、もしmoneyという単語が出てきたらおとなしく財布を渡す覚悟を持ちましょう。
私が思うには、こう言う場合、とにかく相手には一刻も早くこの場から立ち去ってもらうのが一番安全なやり方です。
なお、I mean it.は日常会話でも、「冗談ではなく、本気で言っているんです。」という意味で使われています。
私達としては海外で外出する時には、通常の財布以外にある程度のお金を入れたおとりの財布を用意し、とっさの場合にはそれをスッと差し出せるようにしておくといいと思っています。
また、財布にお金を入れ過ぎて、ポケットが膨らんでいると、“Here's my wallet. Take it if you want.”(ここに財布があります。欲しければどうぞ。)と言っているような感じになってしまいます。
ですから、あまりお金をたくさん入れ過ぎないようにしておいた方が安全だと思います。
もしものトラブルの場合、たとえお金やカードなど、大切な物を失ったとしても、命を失うよりはずっといいです。
ですから、まず命を守ることを第一に考えましょう。
私はこのメールを印刷し、久矢君に会った時に渡すことにしました。
彼はこれをしみじみとした表情で読んでいました。
「へえ。アーロンさんと桜さんは、こういう形で僕のことを応援してくれるんだな。」
「うん。私も色々相談して、やっと心が落ち着いてきたし、本当に両親には感謝しているわよ。」
「そうか。でも、君に悪いことしちゃって、本当にごめんな。」
「大丈夫。私の英会話教室に通う人達は海外に目を向けている人が多いから、私のもとで語学力を磨いて、海外に巣立っていくのは講師にとって喜ばしいことよ。お父さんも昔英会話教室で働いていた時、そう感じていたそうだし。」
「なるほど、そんな考え方もあるのか。だったら、僕も海外に行ったらサキから学んだことを胸に、一生懸命頑張るよ。」
「うん。頑張ってね。私も応援しているから。」
今回は、発表したい表現よりも、久矢君のエピソードの方が目立ってしまいましたが、以上となります。
これらの情報が役に立つことは少ないと思いますが、せめて心の中にとどめておき、いざという時には反射的に思い出せるようにしておくと、自己防衛につながると思いますよ。
それでは今回は以上です。読者の皆さん、See you.
この作品はあと2話で終了します。