冷たい花 1
【 九・冷たい花 】
廃墟と化した城下町。
燻る黒煙と血の臭い。
聳え立つジルバ城。
ますます激しくなっていく雪が、静まり返った街を白に沈めていく。
エントランスの扉に手をかけるメロヴィスの少し後ろで、ライムはじっと唇を引き結んでいた。
「大丈夫か?」
彼女の横に並んで声をかけると、ライムは硬く閉ざされていた口元を僅かに歪めた。「あんたの顔より大丈夫よ」とか、いつもの罵詈雑言が出てこない辺り、ライムもかなり無理をしているのだろう。
ここに来るまで、なぜか特殊生体には遭遇しなかった。それが余計に不気味で、苦しかった。――まだこの国には生存者がいて、彼らを救えるかもしれないと思ってしまうから。
「メロヴィス様」
扉を押し開こうとしたメロヴィスの背に、俺は声をかける。振り返った彼は、あくまでも冷静な表情をしていた。
「どうした、クレス?」
「ジルバで捕まっていた人達って、その――……」
「多分、まだ全員じゃない」
言葉を濁した俺に、メロヴィスは静かな声で言った。やっぱりそうか、と俺は視線を落とす。
ゆっくりと、重たい音を立てて扉が開く。途端に、あまりに濃すぎる血の臭いが噴き出してきた。
「っ!?」
先頭のメロヴィスが、息を呑んだ音がした。
エントランスに敷かれた赤い絨毯が、含み切れない赤を石の床へと垂れ流している。乱雑に並ぶ無数の死体……。どれもこれも全身に凄惨な傷を負って、四肢や首を切り落とされていた。その酷過ぎる光景に囲まれて、一人の男が立っている。
「ヴェネス……!?」
こちらに背を向けていた血塗れの彼は、思わず漏らした声に、ゆっくりと振り返った。彼の顔は真っ赤な返り血に濡れて、髪や顎の先からポタポタと血の滴が落ちていた。
「俺は――今までたくさんのものをメロヴィス様から奪ってきた」
彼はどこか焦点の定まらないような眼をして呟いた。両手に握る銃とナイフが、妖しく光っている。
「メロヴィス様は、全部俺の為に犠牲にしてくれた。全部失くして、それでも俺を愛してくれた。だから俺は生きてこれたんだ。この世で何より、メロヴィス様の為に」
今にも崩れそうな、壊れてしまいそうな――鬼気たる雰囲気に満ちたヴェネスが、ゆっくりとメロヴィスの姿を捉える。
「俺はあんたのためなら何でもできるよ……」
震えながらそう言ったヴェネスを、メロヴィスは無言で見据えていた。優しかったメロヴィスの瞳に、今は鋭い矢のような険しさが浮かんでいる。彼の纏う雰囲気が変わり、その怒りを孕んだ空気に気圧されて、俺の方までざわざわと肌が粟立つ。
「それで? この状況はどういうわけだ?」
声はあくまでも穏やかだったが、そこには責め立てるような響きもあった。
「リィナに挑んでみたけどさ……全然太刀打ちできやしない。折れるしかない。諦めるしかない。賭けるしかない。あんたを助けるには――リィナの条件、呑むしかなかった」
「リィナの条件?」
「俺の全部を――凄惨に、残酷に、失う。メロヴィス様一人を残して」
ヴェネスの虚ろな眼が、銃口と共に俺達へと向けられた。
「だからおまえらも殺す」
彼の眼に光は無いのに、そこには強く明確な意志が感じられた。俺は戦慄に喉を鳴らしたが、メロヴィスは俺達を庇うように前へ出て、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「それでこの有り様か。これでリィナが私を救ってくれるのか?」
「あぁ、そうだ。俺はメロヴィス様とは違う。何でも切り捨てられる。天秤は絶対に揺らがない。あんたを助ける為なら、あんたに殺したいほど憎まれたっていい」
「そうか……」
メロヴィスが小さく頷くと、次の瞬間、俺達の傍らから彼の姿が消え、風だけが残った。
「え!?」
驚きの声を漏らしたのも束の間。文字通り目にも留まらぬ速度でヴェネスに接近したメロヴィスの剣が、彼の胸を深々と貫いていた。ライムとテイルが、息を呑んだ音がした。
「殺したいほど憎まれてもいい――覚悟はあったんだろ?」
「メロヴィス様……そんな」
「自分で言ったことには責任を持て」
メロヴィスは突き刺した刃を、容赦なく捻りながら引き抜いた。
「がはっ……!」
赤い血が噴き出して、既に濡れた床の上にバシャバシャと飛び散った。ヴェネスはガクンと膝を折り、絶望に歪んだ顔でメロヴィスを見上げる。
「俺は……メロヴィス様、あんたが……あんたがいなきゃ駄目なんだ」
「私はおまえを殺したいほど憎んだ。ついさっき、この光景を見た瞬間から。だからおまえを許さない」
「メロヴィス様……」
ヴェネスは悲しそうに呟くと、ドシャッと濡れた音を立てて床の上に倒れた。
「そんな!」
声を上げて駆け寄ろうとしたライム。それをテイルの腕が静かに制した。
「待って、ライム」
「えっ?」
見れば、倒れ伏したヴェネスの身体がみるみるうちに崩れ始め、泥のように溶け落ちてしまった。
「えっ!?」
驚愕の声を上げる俺とライム。メロヴィスはヴェネスの姿が崩れていくのを見つめながら、ギリッと歯を鳴らした。
「何なんだ、これ。胸糞悪い……」
彼はゆっくりと剣を収め、一呼吸置いてから、テイルを振り返った。
「意地悪いね、テイル。わかってたんだろ? このヴェネが偽物であることも、私がそうと確信を持っていないことも。教えてくれたっていいじゃないか」
するとテイルは無言で唇を噛んだ後、何かを言おうとしたのか口を開きかけた。だが、そこから言葉が発される前に、突然ドォンッと強い衝撃が辺りを揺らした。