喪失 8
呟いて、確信した。ライムが呼んでる。
「メロヴィス様、ライムはどこ!?」
「ライムなら隣の部屋だけど――」
聞くなり、俺は勢いよく部屋を飛び出した。後ろからメロヴィスの驚いたような声が聞こえたが、構わず隣の部屋のドアを開け放つ。
「ライム!」
だが、部屋のどこにもライムの姿は無い。
ザァァァ……
微かに水の流れる音がした。シャワールームだ。
「おいっ!」
俺は躊躇なくシャワールームのドアを開いた。脱衣場の籠に入っているのは、若い女の衣服だった。恐らくライムのものだ。
「ライム、開けるぞ!」
俺は磨り硝子の内ドアを威勢良く開けて、思わず言葉を失った。
「なっ……ライ……ム……」
白い首筋に押し当てられた刃と、壁から生え出た二本の腕に捕らわれた、濡れた裸体。流れたままのシャワーから立ち上る湯気の向こうで、怯えた蒼い瞳から涙が零れている。
「クレス……」
それを目にした途端、カッと頭に血が上った。
「てめ……っ!」
「痛っ!」
しかし、俺が自分の背から剣を引き抜こうとした刹那に、ライムが苦痛に顔を歪めた。首筋の刃が彼女の皮膚を破ったのだ。湯と混じって薄くなった血液が、白い身体の上を伝い流れていく。何だか非現実的で、異様な光景のように感じた。
すると壁の中から、ずるりと男の上半身が生え出してきた。
「!」
右手に握った刀をライムの首に押し当てているその男は、センジュだった。
「遅かったね。こうなるまで誰も気付かなかったのか?」
「おまえっ!」
「動くなとは言わない。だが動くなら、その時は彼女を殺す」
「動かなかったら?」
「君を嬲り殺した後、君の死体の隣で彼女を犯し殺すというのはどうだろう」
「……っ!」
センジュの顔に、薄っすらと不気味な笑いが浮かぶ。彼の左手がライムの白い乳房の上を這い、口唇が歪んだ弧を描く。赤い舌がライムの首筋をゆっくりと舐め上げた。
「ふざけんな! やめろっ!」
自分で思った以上に悲痛な声が出て、それを聞いたセンジュは、おかしそうに笑った。
「冗談だよ。面白いとは思うけどね」
ライムの首から刀が外され、センジュは壁の中へと戻ろうとする。
「待てっ!」
俺はセンジュの顔面目掛けて拳を振り下ろしたが、壁に激突した俺の手が血を噴いただけだった。
「あぁ、そうそう。ヴェネスのことだけど。早く行かないと、彼……消されちゃうかもね?」
そして声だけが辺りに残った。俺はギリリと唇を噛む。
「くっそ……」
ライムのすぐ傍らに落ちた拳。途端にガクンッとライムの身体から力が抜け、彼女はその場に崩れ落ちた。両腕で自分の体を掻き抱いている彼女は、余程の恐怖だったのか、ガチガチと歯を鳴らして震えている。
「お、おい、大丈夫か?」
俺は急いでシャワーを止めて、ライムの肩を掴んだ。
「ごめん、なさい……ごめんなさい」
か細い声で、ライムはなぜか謝罪の言葉を口にする。しかし俯いたまま、俺と目を合わせようとはしない。
「大丈夫、もう大丈夫だから。な?」
努めて穏やかに語りかけ、俺は辺りに視線を走らせる。脱衣場にバスタオルを見つけて、ライムの身体を覆った。
「大丈夫だ、あいつはもういない。安心して」
ライムは青白い顔で、ガタガタと身を震わせている。いつだって強気な彼女なのに、一体どんな恐ろしい目に遭ったのだろうか。俯いた双眸からボロボロと零れる涙も、色を失った唇も、まるでいつもと違う。
振り返ると、部屋の入り口のところにメロヴィス達がいた。彼らが部屋に入ろうとしたところを目で訴えて制すと、彼らは静かに部屋のドアを閉めてくれた。
「ほら、立てるか? ひとまず出よう」
俺はライムの身体を支え、彼女をシャワールームから連れ出した。湯を浴びていたはずなのに、肌がすっかり冷え切っている。
「あいつに何かされたのか?」
「違う……」
俺は籠に入っているタオルをもう一枚出して、ライムの濡れた髪を拭ってやった。彼女の髪は、ほんのりと甘い香りを纏っていた。
「ごめんなさい……」
繰り返される「ごめんなさい」に、俺はライムの頬にそっと触れ、できるだけ優しく微笑んだ。
「ほら、ライム。俺を見て。もう大丈夫だから」
しかし、ライムはフルフルと首を横に振った。
「私……私は」
か細い声が、今にも消え入りそうだ。
「私、クレスにどう償えばいい……?」
溢れて来たのは、予想もしなかった言葉だった。
「償う?」
一体、何を?
思い当たる節が無い。俺を童貞だのゴキブリだのと罵ったことを謝るつもりなら、こんなに泣くことはないだろう。
「クレスの大切な人を奪ったのは、私……。そうでしょう?」
「えっ?」
咄嗟に反応できず、絶句してしまった。