外れた鍵 8
「ところで、俺がベッド使っていいの?」
「それはすっかり寝る気満々の体勢になる前に聞こうぜ」
俺は明かりを消して毛布の中に潜り込み、ジンを見上げた。
「なぁ、ジン」
「何?」
「おまえ、いい加減彼女いねーの?」
「彼女?」
「モテるだろ、おまえ」
するとジンはクスクスと笑って、ベッドから顔を出す。
「否定はしないけど、誰とも付き合ってない」
「否定しないのかよ、嫌味な奴め。でもそれって、好きな奴はいるってことか」
「うん、いるよ」
「へぇ。付き合わないの?」
「俺は彼女には相応しくないからね」
ジンは淡い笑みを消さないまま、きっぱりと言い切った。俺は驚いて、思わず身を起こした。
「何で? もし俺が女だったら、おまえに告白されたら嬉し過ぎて死ねるぞ?」
「大袈裟だなぁ」
ジンは苦笑して、寝返りを打って天井を見上げた。
「いいんだ。俺は遠くから彼女を守る。想いを伝えることだけが全てじゃない」
「切ないこと言ってんなよ。……あ、もしかして相手が上流貴族とか?」
「そんなところかな」
ジンは中等学院卒業後、すぐに協会員となったそうだ。俺達のように特殊生体に特別の恨みがあるわけでもないようだが、彼が協会員になった理由は教えてくれない。少し寂しい気がするが、その話をすると、ジンはいつも悲しい顔をする。だから無理に聞く話でもないだろうと、俺は踏み込んで聞いたことが無かった。
ジンの腕なら、協会員ではなく軍で十分な出世も臨めるだろうに。軍で名を上げれば、貴族にだって手が届く。
「そう言うクレスはどうなの?」
「は? 俺がモテるわけないだろ」
「そう卑屈になるなよ」
「俺のこと気になるって女に一人でも会ったことあるか? もちろんライム意外に。どうせ〝気になる〟の意味が違う奴しかいねーだろ。捨て子ってだけでイジメられてたんだから」
口を尖らせて身体を布団の上に倒しながら言うと、ジンはしばらく黙って、苦笑を浮かべた。
「ライムだけじゃ不服なの?」
「いや、むしろ何でライムだよ」
眉を寄せると、ジンはゴソゴソと身動ぎして、俺の方に少し身を乗り出した。
「クレス。ライムみたいな子、そうそういないよ?」
「ライムみたいなのが何人もいたらドン引きするわ」
「一緒に育ったからって、クレスにとって〝義妹〟じゃないだろ、ライムは」
「だからって女として意識したこともねーよ」
「本当かなぁ」
ジンはしばらく沈黙し、やがて長い息を吐いた。
「そんな悠長なこと言ってると、とっちゃうよ?」
「……へっ?」
思わずまた起き上がってしまった俺に、ジンは悪戯っぽく口の端を上げた。
「俺が好きな子って、ライムなんだ」
「えぇ? だってさっき上流貴族って……」
ポカンとした俺に、ジンはおかしそうに笑い声を立てる。
「冗談だよ」
ジンは笑いながら、乗り出していた身体をベッドに引っ込めた。
「でも、例え俺にだって嫌なんだろ? ライムを奪われるのは」
「べっ、別に。ライムなんかいくらでもくれてやるよ。あんな生意気な野性児に引き取り手があるなんて驚きだ」
そう言ってジンを見ると、ジンは既に目を閉じて、俺の言葉は聞かぬ振り。
「何だよ、くそ。もう寝るっ!」
俺は悪態をついてジンに背を向け、目を閉じた。ライムのことはともかく、今日こそは夢を見ずにぐっすりと眠れるだろうか。ジンがいれば、何かあってもすぐに気付いてくれるだろう。
目を閉じた先の暗闇に、意識が吸い込まれていく。
――そこに、女は立っていた。
「ねぇ」
女は悲しい声で呼びかけてくる。その女のことを、俺は知らない。
「返事をして。貴方なんでしょう?」
ザザッ……。
目の前に走るノイズ。ノイズの奥に誰かがいるような気がするが、それが誰なのかも分からない。だが、おまえは誰だと尋ねようにも、うまく声が出ない。
あぁ、それにしたって俺ってば寝付くの早過ぎだろ。まだ目を閉じてから三分と経ってない。
そんなことを頭の片隅に思いながら、なぜか深い悲しみが心に溢れ、じわりと滲んだ涙が、あっと言う間に頬を伝う。そうかと思うと、自分の体が黒い痣に覆われ始めた。
どうしようもなく胸が苦しい。
「●●●●●」
彼女は知らない名前で俺を呼んだ。
「――レス、クレス! 大丈夫か!?」
「おぉっ!?」
気付くとジンに胸倉を掴まれて、ガクガクと前後に揺すられていた。胸が苦しかったのはこのせいか?
「ジン、苦しい」
「あ、あぁ、ごめん。いきなり呻き出してびっくりしたから……泣いてるのか?」
「大丈夫。また夢見ただけだ」
「えっ、寝てたの!?」
さすがのジンも驚いたらしい。目を丸くして素っ頓狂な声を出した後、「凄いな」と呟いた。俺は手の甲で頬の涙を拭い、小さく息を吐いた。
「まぁ、毎日こんな感じ。知らない女が出てきて、俺は多分、そいつに呼ばれてる。魔術の気配とか、何かあったか?」
尋ねたが、ジンは首を横に振り、しゅんとしたように眉を下げた。
「ごめん、クレス。全然役に立てなくて」
「いや、気にしないで。多分、ちょっと疲れてるんだよ」
俺が笑うと、ジンは立ち上がってベッドに戻りかけ、ふと足を止めた。
「どうした?」
見上げると、ジンはゆっくりと俺に手を翳し、悪戯っぽく微笑んだ。
「一ヶ月もロクに寝てないなんて、倒れちゃうよ。深い眠りに就いていれば、夢だって見ないさ」
「へっ?」
「〈ドーヴ〉」
途端にふっと意識が遠退いて、その後の記憶は無い。
気付いたら朝で、ジンが精神系統中位魔術〈ドーヴ〉で俺を強制的に眠らせたことを知ったのは、協会に向かう道中だった。