喪失 3
階段は更に上へと続いている。俺はジンの弓から外れた宝石を拾い上げ、階段を駆け上がった。途中に扉は無く、石の回廊はまるで塔のように上へ上へと伸びて行く。そして、この階段はまさか幻覚ではないかと疑い始めた頃、光に照らされた青黒い扉が見えた。
「…………」
そこで、はたと気付く。ジンもヴェネスもいない今、ここに照明は無いはずなのだ。どうしてあの光を見つけるまで、何の問題も無く階段を駆け上がってこられたのだろう。
「俺の眼、いつの間に暗視スコープ搭載されたんだ」
鏡に俺を写したら、果たして俺だとわかるのだろうか。
俺は溜め息を吐いて、光の先に進んだ。その時だった。
「悪いな、クレス。ここまでだ」
「えっ――」
ヴェネスの声が聞こえた途端、カッと目の前が赤く輝き、全身が浮遊感に襲われた。
「ちょっと!? おい!?」
既にお馴染みのこの感覚は、変化系統高位魔術〈ワープ〉だ。魔導力なんてとっくに尽きたとずっと体言しているくせに、何回高位魔術を使う気なのだ。
「ふざけんなっ!」
俺をどこに飛ばす気だ!?
捨て台詞を引き摺って、俺は雪の大地に放り出された。
「ふがっ!」
大地に顔面を擦りつけて着地。ぶつけた鼻を押さえながら身を起こすと、そこは真新しい血肉の臭いが漂う廃村だった。
「…………」
振り返ると一階のカウンターが大破した宿屋があり、二階に明かりが灯っていた。元いた場所だ。まだみんなここにいるのだろうか……。
「ヴェネスの奴、次に会ったらシバき倒してやる」
俺は身体を起こし、宿屋の中へ向かった。
「クレス!?」
驚いたような声に姿を探すと、階段のところにメロヴィスが腰かけていた。彼は目を丸くしながら腰を上げると、足早に階段を下りてきた。彼の無事な姿に、俺はホッと胸を撫で下ろす。
「メロヴィス様……身体、もう大丈夫なんですか?」
「あぁ、私は大丈夫。それよりクレス、ヴェネに付いて行ったんじゃないのか?」
「えぇ……そうなんですけど。突っ返されてきました」
するとメロヴィスは眉を寄せて首を横に振った。
「ずぶ濡れじゃないか。何があったんだ?」
メロヴィスの言葉に、俺は返答に困って目を逸らす。そんな俺に、メロヴィスは深くを追求しようとしなかった。
「とにかく、また無事に会えてよかった」
メロヴィスは穏やかに微笑んだ。だが彼の顔にはヴェネスが気になるとしっかり書いてある。
「ヴェネスの奴、馬鹿なこと考えてるみたいです」
「……馬鹿なこと?」
首を傾げたメロヴィスに、俺は頷く。
「この国が巻き込まれたのは、やっぱり自分のせいだって」
言うと、メロヴィスは俺にゆっくりと手を伸ばした。その手は俺の頭をポンポンと優しく撫でた。
「ありがとう。自分も大変だろうに、ヴェネのことを心配してくれてるんだな。でも、あいつなら心配要らない。きっと何か企んではいるんだろうけど、それにクレスを巻き込むのが危険だと考えたから、ここへ戻しただけだ。ヴェネ自身に死ぬ気もない。あいつ、良いのか悪いのか、私の命令は絶対だから」
メロヴィスはしっかりとした口調でそう言って、俺の頭から手を下ろした。
「命令って……死ぬな、とか?」
「まぁ、そんなところだ」
メロヴィスは頷くと、笑みを消して表情を改めた。
「ところで……ハルに会ったよ」
「ハルに!?」
「あぁ。〈ワープ〉でここへ辿り着いた時には、もう息絶えていたが」
「そんな!」
目を見開いた俺に、メロヴィスは悲しそうに俯いた。
「その反応だと、彼は生きていたのかな。……体温がすっかり下がりきっていて、手足は凍傷で壊死していた。眼だって見えていたのかわからない。彼らには、本当に申し訳ないことをしてしまった。いや、あの二人だけに限らないな……」
あの牢屋での彼は、まさに執念で生きていたということだろうか。そしてメロヴィスとヴェネスへの憎しみを抱いたまま、息絶えた。
「ヴェネスを追わなくていいんですか? カンカンになって追いかけてくるはずだって、ヴェネスは言ってました」
「もちろん追う。でもみんなの回復が先だ。満身創痍で挑んでも、勝ち目なんてない。ヴェネだって、それは承知の上だろう」
「……。何があったか訊かないんですね」
俯くと、メロヴィスは苦笑を浮かべた。
「ここには温かいミルクも、甘いハチミツも無いからね」
彼の言う意味がわからず、俺は顔を上げて眉を寄せた。メロヴィスは肩を竦めた。
「ヴェネ曰く、その二つが無い時に質問攻めしようなんて、言語道断らしい」
不意に、メロヴィスの腕が俺を引き寄せた。逞しい彼の胸に額がぶつかって、血の臭いの中に、薄っすらと心地良い香りがした。まさか抱き寄せられるとは思わず、「わっ」と驚きの声を漏らした俺の上に、優しい声が降ってくる。
「辛かったな、クレス」