喪失 1
【 八・喪失 】
「ジン!?」
何が起こったのか理解できず、俺は辺りを見回した。先刻までジンだったはずの砂は、血や水を吸い込んで、じっとりと沈んでいくばかりだ。
「何で!? 何なんだよっ、ジン!?」
水系統最高位魔術〈ロストブルー〉。水を生み操ることのできる低位から高位までとは異なり、最高位である〈ロストブルー〉は、対象から水を奪い取る効果を持つ。〈ロストブルー〉を受けた相手は、あっと言う間に体中の水分を失って、ミイラどころか砂になって崩れてしまうのだ。
「あらあら」
揶揄するようなリィナの声。再び俺の前に現れた彼女は、笑っていた。
「こんな簡単に自害なんてされたら、面白くないじゃない。王女を取り戻したいって言うから、せっかく生かしておいてあげたのに」
「……え?」
「騎士と王女なんて、身分違いもいいところよね。私達に似ていたから、優しくしてあげたのよ? 親友を殺して王女を救うか、王女を忘れて私に歯向かうか――決めさせてあげたの。でも結局、後者を選んだみたいね」
リィナの言葉に、俺は目を見開く。
「王女を救う……?」
「ふふっ。存在しない王妃の子が存在するわけがないでしょう。特殊生体の王妃が、どうやって王女を産んだか想像できる?」
リィナはそう言って、おかしそうに顔を歪めた。
「王妃はね、王との子どもが欲しくて、自分の中に娘を創り出したのよ。想像妊娠で本当に妊娠しちゃうなんて笑えるわよね。王女は王妃の魔術でできてるの」
「なっ……!?」
「王妃の存在が完全に消えると同時に王女の存在も消え始めて、じきに誰も王女を思い出せなくなる。それを知った時の彼の顔ったら、まるで世界の終わりを突き付けられたかのようだったわ」
「そんなことって……」
「好きだったんですって。偽物の人形が意思のあるフリをしているうちに恋をしたなんて、ロマンチックね?」
ジンがライムを好きだなんて――そんなの真っ赤な嘘だった。俺はどこまで馬鹿なんだろう。いや、俺でなくてもジンが王女に想いを寄せていたなんて、一体誰が気付くというのだ。
ただ、王女はどんな顔で、どんな声だっただろうか。咄嗟に浮かばず、俺は愕然と目を見開く。確かに知っているはずなのに、霞みがかったように思い出せない。
「嘘だ……」
呟いた俺の頬に、リィナの手がやんわりと触れた。どうしようもない程の嫌悪感を抱いているのに、なぜか俺は動けなかった。何か強い力が、俺へ流れ込んできているような気がする。
「言うこと聞いてくれたら、王女を救ってあげる……彼はその話に乗った。だから彼は王女と一緒にミドールを逃れて、協会を潰したの。でも結局貴方を殺すことはできなかった」
「そんな……」
「協会で貴方を半殺しにして、特殊生体の本能に支配させるように仕向けたところまではよかったのに」
リィナは残虐な笑みを浮かべて、首を傾げた。
「まぁ、もうとっくに王女を殺しちゃったせいかもしれないけどね。彼の中で王女の存在が薄れて、貴方に比が傾いただけのこと」
「王女を殺した……!?」
「えぇ。手足を捥いで、最後に首を刎ねてあげたの。私に対抗させる為に、ミドールの生き残りをヴェネスのいるジルバに集めたみたいだし――何より魔力をたくさん集めて、悪いことを企んでいたみたいだから。もしかしたら最初からそれを狙って、二人とも私に従うフリをしていたのかもしれないけど。ふふっ、どっちでもいいわ」
俺は喉の奥で低く呻き、頭を振った。
「じゃぁ、ライムとリダがジルバに来たのは王女様の……」
偶然では無かったのだ。リダがミドールの地下道から変化系統中位魔術〈シフト〉によってジルバに移動したのも、そのジルバに強大な魔導力を持つヴェネスがいたのも。
「おまえ、一体何がしたいんだよ!? アルベルトはもういないんだ! ジンを……ジンを返せよ!」
「いないのはクレスよ。貴方はアルベルト。すぐに思い出すわ」
「もうやめてくれ! 俺はアルベルトじゃない……これ以上、俺の大事な人達を奪わないでくれ! アルベルトとリィナなんて、俺達は知らない!」
するとリィナは口を閉ざして目を細めた。嫌な予感がして、俺は彼女を凝視する。体中の震えが指先にまで伝わっていく。
戦慄する俺を見て、彼女の美しい唇は艶やかな弧を描いた。