偽りの温度 12
ジンの矢が撃ち放たれ、俺は女王の守護者を振り翳してそれを弾いた。一気に階段を駆け上がり、滑り込むように刃を奔らせた。
「紅円舞!」
「ぐっ!?」
ジンは弓で受け止めたものの、身体はくの字に折れ曲がって吹き飛び、壁に激突。今の手応えなら、結構なダメージを食らわせたはずだ。
「ふっ!」
鋭い呼気を吐き、俺は一度引き戻した剣を再び振るった。
「甘いよ!」
ジンの手元で、彼の紡いだ魔力が強烈な光を放つ。構わず、俺は突っ込んだ。
「天帝創意!」
俺の最速の一撃。手首を軽く捻って軌道を変えた刃が、彼の側面へと滑り込む。
「〈スプラッシュ〉!」
しかし水系統中位魔術〈スプラッシュ〉の水流が俺を阻み、俺は後方へと吹き飛ばされた。剣の刃を壁に突き立てながら勢いを殺して体勢を立て直し、俺は低い姿勢で彼へ突っ込んだ。
「暗黒鎮魂歌!」
刃を下方から跳ね上げるも、ジンはそれを軽々と受け止めて、ニヤリと不敵に笑う。
「レクイエムは君に贈るよ」
囁きと共に、ゾワッと背筋に悪寒が走った。咄嗟にその場を飛び退くと、一瞬の後に、俺の居た場所が真っ黒に焼け焦げた。
「……っ!」
焦げ目の中心には、バチバチと紫色の光を放つ黄金の矢が突き刺さっていた。死ぬかと思った。絶対ヤバかった!
「くそっ」
一撃目の紅円舞以来、俺の攻撃は掠りもしない。ジンの繰り出す雨のような矢群を切り抜けることで精一杯だった。
「……しぶといね」
ジンが楽しそうな顔で、額に浮かんだ汗を拭う。
「さすが、ライムにゴキブリって言われてるだけあるよ」
「失礼だな。俺は丸めた新聞紙で叩かれても死なないぞ」
「童貞のクレスには繁殖力無いもんね。ゴキブリに失礼だ」
「何だとこのヤロ――って」
ジンの姿が、消えた。
「えっ、ジ――」
ガンッ!
「ン!?」
俺の体は突如バランスを崩して後方へ転倒。気付けば、ジンが俺に馬乗りになり、俺の額に弓矢を向けていた。俺は顔を歪めて、ジンを見上げる。
「これが本気か? 全然見えなかった……勝ち目無いにもホドがあるな」
「そんなことないよ、クレス。本当は過去を知って絶望する前に、君を殺せるはずだった」
苦笑した俺に、ジンは悲しそうに微笑んだ。
「どうする? ここでやられておく?」
「なぁ、ジン……どうしておまえはリィナの元に?」
尋ねると、ジンはギリギリと弦を引き絞った。けれど、俺に向けられた切っ先は、どうしても冷徹な刃には見えなかった。案の定、ジンは言った。
「リィナは君を消したがってる。君を消して、代わりにアルベルトを構築しようとしているんだ。だから簡単に殺さない」
「?」
「リィナは君の中にアルベルトがもう存在していないことを知っている。だけど、彼の欠片があることには気付いてる。リィナにとっては、それで十分なんだ。十分であることを、俺達が証明してしまったから」
「アルベルトの欠片? ……ジン達が証明したって?」
「俺達王宮騎士団には、元々〝個〟なんて無かったんだ。アルベルトよりもずっと弱い……魔力の残りカスに、ほんの僅か滲んだ程度の感情。特殊生体が魂を欲しがる由縁はね、魔力のカスに滲んだ感情が、魂の何たるかを知っているからなんだ。混沌系統魔術で人の姿を得たら、その感情が膨らんで――俺達特殊生体が手に入れられるはずのなかった〝心〟になった。混沌系統魔術は、思いの欠片さえあれば、それを一つの〝個〟にしてしまう」
「魂? 心? 何なんだよ、それ」
「……。君の特殊生体化をどうにかする方法はある。リィナの干渉を受けているから、昔よりも厄介かもしれないけど――」
その時、不意にジンの後ろに黒い影が現れたかと思うと、ジンがくぐもった苦鳴を漏らして顔を歪めた。
「ぐぅっ……!?」
ボタッ……。
真っ白な血が、俺の上に滴り落ちてくる。ジンの胸には、なぜか黒い穴が空いていた。
何が起きたのかわからずに呆然と目を見開いていると、ジンの手に握られていた弓が、水の中へ滑り落ちた。
「くそっ……」
苦痛に顔を歪めたジンの口から、血が溢れ出す。ジンの胸は白く濡れて、彼はそのまま崩れ落ちた。
「ジン!?」
ジンは血の泡を吐きながら激しく咳込んだ。そんな彼を、突如現れたリィナが愉しそうに見下ろしている。思わず、背筋がゾクリと震えた。
「ホント……もう少し使えるかと思ったけど、肝心なところで役に立たないのね」
リィナは唇に笑みを浮かべ、ジンに掌を向けた。俺は反射的に身を起こし、ジンを抱いて床を転がった。顔を上げると、リィナの姿は既に消えていた。
「ジン、大丈夫か!?」
「……あぁ、大丈夫」
だがジンの声には苦痛の色が滲んでいた。驚いて腕の中のジンを見ると、苦悶に歪む彼の顔が、みるみるうちに黒い痣に覆われていった。
「嘘……嫌だよ、嘘だろ!? ジン!?」
「クレス……」
呻くように、ジンは俺の名を呟いた。俺は彼を連れ去ろうとする運命を否定したくて、とにかく首を横に振る。掠れた声で、ジンは続けた。
「いいか。リィナには何も望むな。あいつは本来のリィナじゃない。俺達は多分人間と同じ心を手に入れることができたけれど、リィナは憎悪の感情が強過ぎて、どうにもできない。センジュは何年も彼女の傍にいて、リィナを変えるか、或いはリィナに乗っ取られた王妃を取り戻そうとしたんだ。だけど駄目だった。彼も特殊生体になってしまった」
「何なんだよ……わかんねぇよ!」
俺は考えることを拒否して、ただ声を荒げた。ジンは困ったような顔で、俺の頬に触れた。
「抗ったのは君だよ、クレス」
バキバキバキィッ!
凄まじい枯渇音が響き、俺の頬に触れていたジンの腕が、みるみるうちに漆黒に染まる。しかし、彼は苦痛に顔を歪めながらも、小さく笑った。
「クレス、君とのことは――俺が人間らしい心を持って間もなく、特殊生体退治の遠征で出会ったディーナさんに、君を守るよう頼まれたのが始まりなんだ。六年前、王宮騎士として君の監視を命じられたのは本当だけど、それは君と俺が親しかったからだ。……大好きだよ、クレス。ひどいことしたのに、親友って言ってくれて嬉しかった」
「俺に告白してる場合じゃないだろ! ライムは――」
「あぁ、もう……。だからライムじゃないんだってば」
ジンは俺を見上げ、その青く澄んだ双眸から不意にポロポロと涙を零した。
「できるなら、もっと生きたかった。あぁ、でも……リィナの苦しみを対価に生まれて、挙句に彼女を殺したのは俺達だ。この状況の引き金を引いたのは俺達なんだ。ごめんね、クレス」
ジンが震える腕をゆっくりと伸ばす。その手は、水中に転がった弓を引き上げた。
「ジン!?」
コツンッ……。
固い音を立てて、ジンの弓に埋め込まれていた宝石が外れ落ちた。ジンと俺の、揃いのお守り――
差し出されたそれをジンの手ごと握ると、彼は静かに目を閉じた。
「クレスのと組み合わせてごらん。きっとクレスの力になる」
「ふざけんな! 俺が助かるってことは、おまえだって死ななくていいってことだろ!? この特殊生体化、どうにかできるんだろ!?」
「残念だけど、俺は駄目なんだ。俺はリィナの魔術で生まれたから――彼女に魔術を解かれたら、こうして簡単に化け物に戻ってしまう。今のリィナは本来の彼女ではないけれど、魔導力を行使した術者としては、同じ扱いになるみたいだ。きっと術者が死んでも魔術が解けないのは、どういった形にせよ、術者の思いが残っているせいなんだろうね」
そう言って、彼は深く息を吸い込んだ。辺りの空気がざわめき始める。
「おいっ、何する気だ!?」
「限界みたい。俺はもう、クレスを傷付けるのは嫌だ」
「駄目だ! 何諦めてるんだよ!?」
「ナイト・クルエラ・リア・フィラルディン――〈ロストブルー〉!」
ビシィッ!
ジンが呪文を唱えた次の瞬間、突如ジンの体のあちこちに亀裂が入り始めた。その亀裂は、特殊生体化によるものではない。ジンの体はあっと言う間にミイラのように乾き、崩れ――やがて砂となって、俺の腕の中から滑り落ちた。