偽りの温度 8
「……いいのか?」
「は?」
「俺はおまえを――アルベルトをイメージできるほど、おまえを知らない」
「そうだな。もしかしたらクレスと俺の記憶を共有することになるかもしれないが、術が成功してクレスが生き返ったら、今の俺は消えてしまうんだろう。だから条件がある」
「……っ」
「俺はクレスを見ていただけだった。クレスの中にいただけ。それが、こうして表に出てくることになった。もしかしたらリィナも――彼女の持っていた感情も、例えば今の俺のように、王妃の中で目を覚ますかもしれない。その時、もし彼女が深い憎しみや悲しみに捕らわれていたなら、そこから彼女を解放してやって欲しい」
「でも、それはリィナじゃないんだろう?」
「そう。きっとそいつは、生きていた頃のリィナの想いとは無関係に、リィナの本望を騙るだろう。リィナでもないくせに」
「…………」
「死にたくないという強烈な思いで、アルベルトはクレスの中に俺を残した。リィナと同じくアルベルトも、恐らく協会はもとより世界を憎んでいたと思う。けれど、おまえにとって恐らく幸いなことに、俺にはその感情がわからない」
アルベルトは少し寂しそうにそう言って、小さく溜め息を吐いた。
「いや、俺が消えることに執着できない辺り、俺は〝死にたくない〟という感情ですらないのかも。……あぁ、不思議だ。それは今気付いた」
「アルベルト……」
「まぁいい、まずは移動だ。術を使っておまえが万一死んだ時、クレスがここで目覚めたら、また迷子になって死ぬぞ。〈アダム〉の効果が消えておまえがクレスを忘れてしまう前に、急いだ方が良い」
ディーナは少年の俺の身体を抱えると、ギュッと唇を引き結んだ。
「クレス、待ってろ」
小さく呟いて、彼は赤い光とともに姿を消した。
俺は立ち竦み、頭の奥に疼く痛みを感じていた。
「俺が混沌系統魔術で創られたって……」
ざわ、と体中の毛が逆立ったような気がした。
魔術で人間を創るなんて。しかもそれが俺で、更に一度死んだのに、生き返ったらしい。こんなの完全に化け物だ。
研究対象だとか、協会がリィナを捕らえただとか、どうやらディーナとアルテナには俺の知らない隠し事があったようだ。
「じゃぁリィナが俺にこだわる理由って……アルベルト?」
すると、ヴェネスの手が俺の肩を叩いた。
「おい、クレス? 一人でブツブツ言ってるけど大丈夫か? 今の――」
「大丈夫だ、ヴェネス」
心配そうなヴェネスを遮って、俺は言った。
「俺の中にいたアルベルトを、リィナは求めているんだ。本当のリィナはもう死んでいるのに……アルベルトを失った悲しみに捕らわれたリィナの感情が、アルベルトと同じように、王妃の中で目を覚ました。ミドールの王妃様なんて全然記憶に無いけど、多分、そういうことだ」
自分を納得させるように呟いた内容は、全てただの想像だった。だが、そう考えると繋がった。
今起こっている惨状は、リィナの世界を壊したいほどの憎しみと悲しみ――どうしようもない負の感情が引き起こしたものだ。先刻の光景と俺の夢を結び付ければ、リィナは混沌系統属性か飛び抜けた魔導力を持っていて、混沌系統魔術〈アダム〉で王妃を生み出した際に命を落としたということだ。その実験は特殊生体駆除協会で行われていて、協会は〈リィナ〉を助けようとしたアルベルトも捕らえ、同じく〈アダム〉を使わせて殺した。リィナとアルベルトの死の間には、他に混沌系統魔術を展開できる者がいなかった為に十六年もの期間があった。その十六年間で王妃は王女を産み、そしてアルベルトの次の実験台――ライムが産まれた。ただ、義父がライムを愛したが故に、彼女が実験に使われることはなかったのだろう。
そして、俺の中にある俺のものじゃない想いは――リィナへの想いは、アルベルトのものなのだ。彼が俺に溶け込んだことで、彼の感情と記憶を共有することになったんだ。
「ちょっと待て、クレス。『王妃様なんて全然記憶に無い』っていうのは、どういうことだ?」
「それが、少なくとも俺とライムは、ミドールに王妃がいないことに違和感を抱いたことが無いんだ。いなくて当然のものだった。学院の授業でも習った記憶、無い」
「おまえが馬鹿なのは知ってるけど、いくら何でもそりゃぁ変だ。それって多分、王妃の存在が消えてるんだろ」
「え……」
「アルベルトが何を思って死んだのかは知らないけど、クレスの中にあったアルベルトの感情は、さっきのを見る限り攻撃的なものじゃない。でもリィナは悪意の塊だ。王妃の中で目を覚まして――そのまま王妃を乗っ取るなんてこともできたんじゃないか? だから王妃の存在は消えた。彼女はいなかったことになった」
「そんな……」
「『アルベルトを失った悲しみに捕らわれたリィナの感情』っていうのも、いささか前向きすぎるかもな。ただ、まぁ……リィナの憎悪を和らげるとしたら、アルベルトの存在が一番なのかもしれないな」
ヴェネスは言って、濡れて額に張り付いた髪をかき上げた。
「しっかし、そうなるとリィナが俺を狙ってくるのは何でだろうな。混沌系統属性と魔導力が関係あるんだろうけど、だからといって俺は混沌系統魔術を使えるわけじゃない」
「ヴェネスは魔導力も高いから、今後使えるようになるかもっていう可能性の問題じゃないか?」
「だったら、俺だけじゃない。ライムの魔導力のデカさこそ異常だろ」
「そんなに凄いのか?」
「あぁ。ディーナが彼女を愛していなかったら、協会の格好の餌食だったろうよ」
「でも、協会はライムが産まれたのを期に、アルベルトに〈アダム〉を使わせて殺したんだよな……本人の意志に関係無く、魔導力を展開させる方法があるってことだ。ライムが高い魔導力を持ってることはバレバレだったのに、義父さん達はどうやって協会からライムを守ったんだろう?」
「さぁな。ライムの魔術の下手さ加減も異常だから、その辺りと関係あるんだろ」
轟音と共に雷鳴が空を駆け抜け、ヴェネスはそちらを見遣って顔を顰める。一層強く叩き付けてきた大粒の雨のせいで、彼の表情はよく見えない。俺は尋ねた。
「……メロヴィスに言われたのか?」
「何を?」
「風属性のフリしろって」
ヴェネスは俺に視線を戻すと、頷いた。
「人と違うことは、ロクなことにならないことも多いからってな。……でも、得体の知れない自分の魔導属性にちゃんと向き合っていたら、みんな助けられたのかもしれない」
悔やむようにヴェネスが言うので、俺は笑った。
「冗談。メロヴィスの言い付けを守らずに混沌系統に手を出してたら、おまえ今頃協会に捕まってたぞ。それとも揺らいでんのか? だったらおまえもツルツルになってみる?」
前のモノを晒しながら悪戯っぽく口の端を吊り上げて見せると、
「っざけんな! まだ本当のトラウマにも出会ってないくせに、偉そうにするんじゃねぇ!」
「ごふぁっ!?」
残酷なことに、軍靴の爪先で蹴られた。確かにさっきのが俺のトラウマなら、今の俺はもっと幼い姿をしているはずだが、そんなムキにならなくてもいいじゃないか。
涙目でヴェネスを見上げると、ヴェネスは「ふん」と笑って俺に舌を出した。