外れた鍵 7
ゆっくりと鮮明になっていく視界で床の上を見れば、読みかけの本や小物が散乱していた。気に入っていた硝子のペーパーウェイトは、衝撃で一部が欠けてしまっている。
「あ」
だがそれよりも、写真立てに大きなヒビが入ってしまったことが残念でならなかった。入れられた写真に写っているのは、十二歳の時の俺とライムに、彼女の両親であり俺の育て親である、ディーナとアルテナ。銀の髪に切れ長の蒼い眼をしていた義父と、水色の髪に大きな碧眼だった義母。どちらかと言えば父親に似ているライムだが、髪の色と大きな眼、それに負けん気の強いところは、母親にもらったらしい。
この頃の俺は、とにかく強くなることにがむしゃらで、魔導力を中心に回る世界が大嫌いだった。大魔導師と呼ばれる二人の血を引いて、友人の輪の中で笑っているライムが羨ましくて仕方なかった。
俺が変わったのは、この写真を撮ってからそれほど時の経たないうちに、二人が死んでから。あの時俺は、消えてしまったライムの笑いを取り戻すのに必死になり、そうしているうちに、ライムを羨ましいと感じていた思いも消えた。ライムが打算的な友人達に傷付きながらも笑顔を演じていたことや、言われの無い悪意を受けていたことも知った。
「クレス、大丈夫?」
「うん、ちょっと転んだだけ」
俺は頷いて、ゆっくりと立ち上がった。
「昼間もふらついていたじゃないか」
心配そうな顔で、ジンが俺を見た。
「ライムには相談したの?」
「え? いや、別にそんな大層なことじゃないし」
「話して」
ジンはそう言って、じっと俺の目を見た。本当に大したことではないのだが、こうなるとジンは絶対に引き下がらない。俺は頭を掻いて、最近の不調の原因を話すことにした。
「女が」
「女?」
「そう。夢の中で……女の声がするんだ」
「夢の中? 知ってる人?」
ジンの問いに、俺は首を横に振る。
「全然知らない。そいつが俺に言うんだ。『返事をして。貴方なんでしょう?』って。そうすると、目の前に一瞬ノイズみたいなのが走って、俺の身体が指先から黒く染まり始めるんだ。それを追いかけるようにして、体がどんどん崩れ落ちてく。痛みは全然感じないんだけど、どういうわけか物凄い恐怖が襲ってきて……。このままじゃ俺は消えてしまう――いつも咄嗟にそう考えて、心臓がバクバク鳴って、体はどんどん崩れて血を噴き出して……それで、目が覚める。起きたら汗びっしょりだ」
俺は苦笑混じりに肩を竦めた。ジンは真剣な表情で話を聞きながら、心配そうに眉を寄せる。
「嫌な夢だね……」
「まぁな」
ジンがあまりに心配そうな顔をするので、話しながら何だか申し訳無くなってきた。
「いつからなの?」
「一ヶ月くらいかな。毎晩同じ夢」
「一ヶ月!?」
ジンは素っ頓狂な声を出して、俺をキッと睨んだ。
「何でそんなに長い間黙ってたんだよ!?」
「えっ?」
まさか怒られると思っていなかった俺は、びっくりしてジンを見た。ジンは「おまえっ――」と言葉に詰まった後、長い溜め息をついた。
「ライムが心配するわけだよ」
「ライムが心配?」
「自分には話してくれないって、拗ねてたよ」
……アレで?
昼間散々ライムに殺されかけたことを思い出し、俺は「無い無い」と笑い飛ばした。
でも……そうか。ライムはこの為にジンを家に呼んだのか。鳩尾を蹴ったのは、俺が話さなかった腹いせか。
そんなことを考えながら、俺は言った。
「心配しなくても大丈夫だよ。ただの夢なんだから」
「クレス? そうやって一人で抱え込んで、体調崩すまで黙ってるなんて怒って当然だろう」
ジンの言葉に、俺は目を見開く。でも確かに、逆の立場で同じことになったら、俺はジンを怒る気がする。
「……ごめん」
謝ると、ジンは小さく笑って頷いた。
「もしかしたらその女の人が、精神系統魔術でクレスに干渉しているのかもしれないね。クレスは魔術に対する防御力が無いから、影響を受けやすいのかも」
「精神系統魔術? そんなもん毎晩俺に使ってたら、ライムが気付くだろう」
「ライムは魔導師としては正直未熟だし……それを差し引いても、相手が巧みなのかもしれない。でも、俺なら何とかなるかもしれない」
頼れる友人の申し出。俺はジンに両腕を回して抱き付いた。
「ジン! おまえ大好きだぁっ! ありがとう!」
「気持ち悪いよクレス。それに、ライムにもちゃんとお礼を言うんだよ」
「あいつにはクッキーを焼く。それから美味しいジャムを煮て、生クリームも添えてやる」
言いながら俺はジンから離れ、棚の上に写真立てを戻した。
「割れちゃったんだ。怪我は無い?」
「怪我は平気。また新しいの買ってくるよ」
「懐かしいね。この写真」
ジンは写真を覗き込み、しみじみと言った。
「もう六年前か――強くなったよね、二人とも」
「いや。あの時おまえがいてくれなかったら、俺もライムも、今のようにはいられなかったよ」
両親を失った十二歳の少年と少女。施設行きも検討された中で、この家に残ることを望んだ俺達の身元を引き受けてくれたのはジンだった。駆除協会で働いていたとはいえ、ジンも当時十六歳だ。一体どんな手を使ったのかは知らないが、とにかく面倒事を一切合財引き受けて、全て良い方向に処理してくれた。
「頑張ったのはクレスとライム。俺は手を貸しただけ」
ジンは穏やかに笑い、ベッドに潜り込んだ。