偽りの温度 5
* * *
気付くと俺は、どこかに倒れていた。
体の上を、風が通り過ぎていく。土と草の匂いを含んで鼻腔に流れ込んでくるその香りは、なぜか懐かしい。
「んっ……」
小さく呻いて、目を開く。地下道にいたはずなのに辺りは明るく、太陽の光が心地良い。
恐る恐る体を起こすと、あれだけ傷付いたはずの体に、まるで違和感が無かった。いや――おかしな違和感はある。それが不快な感覚でないだけで。
「あ、あれっ!?」
思わず出した間抜けな声。当然だ。引き寄せた俺の腕は細くて、手も少年のように小さい。身体も軽いしリーチも短い。傷はすっかり消えていたが、これはどうしたっておかしい。
「!?」
バッと身を起こし、自分の顔をペタペタと触る。小さな輪郭に、髭一本無いツルツルの顎。というか、なぜか素っ裸だ。しかも大事な部分までツルッツルだ。
「ええぇぇぇっ!?」
慌てて辺りを見回した視線が低い。身体がまるで少年のそれになっていた。
近くには、ヴェネスも倒れていた。
「おいっ、ヴェネス、ヴェネス!」
俺は必死の思いでヴェネスの体を揺さぶった。彼は俺と同じく全くの無傷のようだったが、俺と違ってちゃんと服を着ていた。鮮やかな赤を差した黒基調の軍服……立派なジルバ騎士の服だ。そして鍛え上げられた体に、供えられた銃。
「起きろ、ヴェネス!」
「ん……メロヴィス様、あと五分……」
ムニャムニャと、ヴェネスが寝ぼけた声を出す。
「寝ぼけてる場合じゃないっ!」
俺はヴェネスの体をバンッと叩いた。するとヴェネスが小さく唸って、眠たそうに目を開けた。しかし、彼はすぐに何があったのかを思い出したようだった。ぼんやりしていた瞳がたちまち冴えていく。
「どうなってんだ……?」
呟きながら身を起こし、ヴェネスの視線が俺に向く。
「…………」
彼の顔が、物凄く変な顔になった。
「み、見るなっ!」
慌てて大事なところを隠して飛び退くと、ヴェネスが「ぶぅっ」と派手に吹き出した。
「ぎゃっはははははは! どーしたんだおまえ! チビでツルンツルンじゃねぇか! しかもちっちぇぇーっ!」
「うるさいっ! 身体がガキみたいになっちまったんだから仕方ないだろ!」
「ぎゃはははははっ!」
ヴェネスは足をバタバタさせながら腹を抱えて笑い転げ、俺は口を尖らせて顔を真っ赤にしていることしかできなかった。ヴェネスはひとしきり笑うと、ヒィヒィ言いながら、目元に浮かんだ涙を拭った。
「くっはは、なるほどな。ここはクレスの中ってワケだ」
「俺の中?」
「あのジンって奴、レイスを通しておまえに何かを見せる気でいるらしい。いや、あの物言いからすると、見れるものなら見てみろってコトか。まぁ、ここから出られるかどうかはおまえ次第だな」
一人で事情を飲み込んでいるらしいヴェネスに、俺は混乱して眉を寄せる。ヴェネスは言った。
「おまえ、駆除協会員のくせに知らないのか? 高階級の特殊生体には〈ナイトメア〉と似たような能力が備わってるんだ。〈ナイトメア〉と違うのは、その世界の光景が、全部真実だってことだ。実際に起こった出来事をなぞっているだけだから、この世界のモノ達は、俺達には干渉してこない。俺はこの世界には何も感じないから、きっと主役はおまえだな。レイスの世界に飲み込まれたら、タダじゃぁ済まないぜ?」
「ちょっと待ってくれ。それってつまり……これ、俺の過去ってことか?」
「ま、そーゆーコトだな。言うなら、一番のトラウマさ。実際、おまえの時間はそこで止まってるみたいだぜ? 十二、三歳ってとこか。レイスに目を付けられた奴は、そいつの本当の姿になっちまうらしい」
「な……何だよそれ。特殊生体がこんなことするなんて聞いたこと無い。あいつらは、衝動に任せて襲って、殺して……それだけだろ」
言うと、ヴェネスは小さく頷いた。
「あぁ、そうさ。足りないモノを埋めたくて、他人のモノを必死に求める。所詮は他人のモノだと気付きもせずに。……取り出そうとすれば壊れてしまうものだと気付きもせずに」
「え……?」
「話しただろ。特殊生体は展開された魔力の残りカスかもしれないって。想像の残骸……カタチを欲しがる空っぽの存在。高い階級に位置する特殊生体は、肉体を暴く――つまり殺すだけじゃなくて、より高度な求める力を持ってる。きっとおまえを覗いてるんだ。おまえの隙を見つけて、入れ替わろうとしてる。まぁ、入れ替わったところでおまえの肉体は壊れるんだろうけど。――俺の推測だがな」
「そんな……ホントに聞いたこと無いぞ、そんな話」
「だから、あくまで俺の推測だ。とにかく死にたくなかったら、ここを出られるように尽力することだな」
そう言ったヴェネスは自分の上着を脱いで、俺に投げ付けてきた。
「笑えてくるから着とけ」
「ご、ごめん」
俺は急いでヴェネスの上着に袖を通したが、留め具をかける前に、上着は幻のように消えてしまった。見れば、上着はヴェネスへと戻っている。
「!」
驚いて目を見開いた俺に、ヴェネスが「ふぅん」と小さく声を漏らす。
「俺の衣は纏えないってコトか」
「どういうことだ?」
「見たままさ。俺はジルバ公国騎士であるヴェネス・グレイアスが、自分なんだ。俺が俺の姿をおまえに与えようとしても、おまえは俺の姿になることはできない」
「じゃぁ俺は……自分が何を着たらいいのかもわかんない、ただのガキってことか?」
「だな。何せ毛も生えてねー。おまえ、第二次性徴ちゃんと来たのか?」
ヴェネスは言って、またゲラゲラと笑い出した。俺は恥ずかしくなって黙り込み、改めて辺りを見回した。
どうやらここは森の傍の平原のようだが――……。
「場所がわかんないのか? じゃ、ちょっと待ってな?」
ヴェネスがニッと笑って、右手を持ち上げた。すると、ヴェネスの周りに心地好い風が吹き、彼の身体が空へと舞い上がった。風系統低位魔術〈フライ〉だ。
彼は遥か上空でキョロキョロと辺りを見回した後、フワリと地上へ舞い戻ってきた。
「向こうにミドールの国旗を掲げた城が見える。どうする?」
「どうするって、おまえ……魔術使って大丈夫なのか?」
「えっ? あぁ、だってここは現実じゃないからな。自分の魔術に絶対の自信を持ってるってのも、〝俺〟だからな」
「ヴェネス、おまえマジで凄いな……」
呟いて、俺は堪らず俯いた。ヴェネスに比べて、素っ裸の俺は一体何なんだ。おまけにガキに戻ってるし。
するとヴェネスは俺の肩を軽く叩いた。
「ほら、しっかり考えろ。十二、三歳の頃に何があった?」
促されて、俺はようやく思考を開始する。
ミドールの城が見えるなら、ここは恐らくイリア草原だ。ということは、この森はレイヴンの森だろうか。
俺が十二歳の時、育ての親のディーナとアルテナが特殊生体に襲われて殺された。その特殊生体は、俺かもしれない。
しかしそれが関係しているなら、スタート地点はここではなく、城下町や家のはずだ。
「森……」
ボソリと呟いて、俺は太陽を浴びてキラキラと輝く森の木々に視線を移した。
「わかんないけど、何かあるのは多分この森だ」
「よし。じゃぁ行ってみるか。……そうそう、遠くにデカい雷雲が近付いてるみたいだったぜ。何か思い当たる節はあるか?」
「雷雲? ……レイヴンの森に雷雲?」
記憶を辿るが、やっぱり思い出せない。
レイヴンの森と言えば、協会員になったばかりの頃、ライムと一緒に超低階級の特殊生体を退治して回っていた場所だ。グリーンスライムとか、コブリンとか。たまにレッドウルフに襲われて、死に物狂いで逃げたっけ。