偽りの温度 3
少しずつ浸透してくる彼の言葉を、俺は嘘だと笑い飛ばせなかった。冷たく静かなジンの目は、もう笑ってくれそうにない。辛うじて出てきたくだらない言葉を吐き出した。
「……冥土の土産? だったら超高級の牛肉をくれよ。地獄の業火で焼き肉するから」
不敵に笑って見せた口から、ゴボッと音を立てて血が溢れた。ジンは氷のような眼差しで俺を見ていた。
転がった女王の守護者の柄で、ジンにもらった宝石が光っている。ジンの弓とお揃いの――離れても繋がっていられるようにと、願いを込めたお守り。俺の傍にはいつもジンがいて、ジンの傍にはいつも俺がいる。
……あれは全部嘘なのか?
ボロボロと零れる涙に、体の震えが止まらない。お守りを貰った時に感じた不安は、気のせいなんかじゃなかったんだ。
でも、ジンとしか使えない魔導剣――例え嘘でも、彼は俺に近いところにいてくれた。それは紛れもない事実だ。
「ジン、おまえの言ってること、もう全部どうでもいい」
俺は呟き、ジンの双眸を見つめ返した。
「だけど、ジン……ライムを守りたいなら、嘘、貫けよ? おまえは協会を襲撃してない。おまえは人を特殊生体に変える力を持った矢なんて使えない。……あの映像はテイルも見てるし、ライムにも話した。みんなに、おまえは敵じゃないって思わせないと」
「まだ喋るの? いい加減に――」
蔑むように言ったジンを遮って、俺は渾身の力で叫んだ。
「いいから、黙って聞けよ! 頼む、ずっとライムの傍にいてくれ。リィナに協力するなんて、そんなやり方じゃなくて」
「……。クレスと同じやり方じゃ、結末は見えてるんだよ。みんな死んで終わりだ。ライムの傍にいるだけじゃ、彼女はリィナに殺される。それなのにライムってば、まるでクレスから離れようとしないんだもの。クレスはクレスで、この状況に耐え切れずに自殺でもしてくれるのかと思いきや、漫画の主人公よろしくリィナに立ち向かっちゃってるし」
「でもそのせいで、俺はみんなを傷付けた。それでも――」
「それでも〝仲間だから〟なんて、そんな美談要らないから。本当に仲間を殺してしまう前に、君はさっさと死んだ方がいい」
言われて、俺は精一杯に笑った。こうなった以上、ジンの選択が一番正しいのかもしれない。
「うん、わかってる。俺のことはいいんだ。ライムのことだよ。……頼む、ジン。あいつに惚れてるなら、ちゃんと守ってやってくれ……あいつの心も身体も、全部」
「…………」
「ジン。もう、苦しい……」
息がうまくできない。ジンの姿がどんどん霞んでいく。
「だから、俺はジンじゃないんだってば」
彼の顔が苦しそうに歪んだように見えたのは、気のせいだろうか。いや、多分俺がそうあって欲しいと思ったから、そう見えただけだろう。
「さよなら、クレス」
ジンが言った。俺は全て投げ出すつもりで、ゆっくりと目を閉じた。広がった暗闇に、息苦しさが僅かに和らいだ。視界が静かに赤に染まり始める。大丈夫、今ならもう――
その――思考を放り出す、直前のことだった。
「ふざけんなっ!」
ガゥンッ!
銃声と共にヴェネスの声が聞こえて、俺は驚いて目を開いた。
そこには左肩を押さえて眉間に皺を寄せているジンの姿と、立ち上がってジンに銃を向けているヴェネスの姿があった。俺の息苦しさが先刻よりも和らいでいるのは、体が治癒系統中位魔術〈フェアリーブレス〉に包まれているからだ。
「何諦めてんだ、クレス!」
ヴェネスは鋭く釣り上がった目で俺をギッと睨み、歯を剥き出しにして努鳴った。
「さっきから黙って聞いてりゃぁ……クレス、おまえは本当にお馬鹿さんだな!? この馬鹿! 大馬鹿! 精々馬鹿の親戚くらいかと思ってたけど、正真正銘の本家だよ!」
俺に向かって馬鹿と連呼しながら、ヴェネスは左手を掲げる。その手のひらに、急速に力が集まっていった。
「ジルバの海よ、俺に力を! ウォルト・メロヴィス・コーラー・ヴェネス――〈スプラッシュ〉!」
呪文と共に、ヴェネスは翳した手を水面へ叩き付けた。途端に地下牢全体が地鳴りのような音を上げ始めた。太腿まで満ちていた水が見る間に引いて行ったかと思うと、その水はヴェネスの下へと集まり、巨大な渦を巻いた。魔力で水を生むのではなく、魔力で海水を操っているようだ。
ヴェネスは青白い顔で歯を食い縛り、渦の中心でジンとレイスを力強く見据えた。
「ジンだかフィラ何とかだか知らないけど、あんたも目ェ覚ませ! クレスはそんなに弱くない!」
ヴェネスは叫び、左手をジンへ向けた。すると集まった強大な水の奔流が一気にジンとレイスを飲み込み、あっと言う間に彼らを押し流してしまった。
「うぇぇ、気持ち悪い……。せっかく回復したのに」
ヴェネスはフラフラしながら呟くと、磔の俺を乱暴に壁から引き剥がし、俺の胸倉をガシッと掴んだ。
「ヴェネス……?」
ドゴッ!
思いっきり、頬をグーで殴られた。
「……ぁ」
じんわりと熱を帯びた頬に呆然としている俺の前で、ヴェネスは壁に手を付き、ゼェゼェと肩で息をしている。
「おまえ、本当にあいつの親友か!? 友達を殺させるなんて、一体どうしてそんなことができるんだ!」
「ジンにとって俺は友達じゃない……ジンはライムに惚れてる。あいつなら、ライムを助けてくれるよ」
苦笑すると、ヴェネスはますます怒った口調で、俺の胸を指差した。
「だから馬鹿だって言ってるんだ! 俺は『友達を殺させるなんて』って言ったんだ。どういう意味か、わかるか!?」
「友達を……殺させる?」