捕らわれの鎖 9
「足元、凍ってるから気を付けろ」
ヴェネスが言って、先頭に立って歩き出す。ツルツル滑る床に足を取られながらも、俺は彼に続いた。
「なぁ、どうしてジルバはこんな悪趣味な牢獄を作ったんだ?」
尋ねると、ヴェネスは少しだけ俺の方を振り返った。
「昔、ジルバは王政だったんだ。ジルバの王族は魔導の扱いに長けていて、強力な魔術でこの地を治めていた。でも、王族の血統と強大な魔導力を守る為に、血を濃くし過ぎたんだ。王族の力は衰退していった。こんな寒冷地だから、力の無い者が治めようとすれば、当然襲ってくるのは飢餓だ。反乱を恐れた王族は、優れた戦士や魔導師を、魔獣憑きとして虐殺し始めた」
「魔獣憑き……?」
「あぁ。ずっと昔、氷の魔獣がここらの土地を荒らしていたのを、当時の王族が魔術で倒したっていう伝説があるんだけど――その魔獣が人間に乗り移ってまた悪さを企んでるって。それで、気に入らない奴を手当たり次第に捕まえて、この牢獄に閉じ込めた。一週間で潮は満ち引きを繰り返して、ここは何度も極寒の海に沈んだ。普通の人間じゃ、到底生き残れない。何人かの魔導師は魔術で身を守って生き残ったらしいけど、そうすると魔獣だから死なないんだとか言われて、もっと酷い目に遭って殺された。でも、そんなことをしていたら遂に革命が起こって王族は滅んだ。以来、革命の中心になってた公爵家が国を治めることになった」
不意にゾクッと背筋に悪寒が走り、俺は後ろを振り返った。当然、真っ暗な廊下が暗闇に溶けるまで続いているだけだ。
「気のせいか……」
呟くと、ヴェネスはなぜか声を潜めて続けた。
「だがな、クレス。王族達はみんな、革命軍に倒される前に殺されていたらしい」
「え?」
「死んだはずの戦士や魔導師達が、氷の海から蘇ったのさ。彼らは悪政を敷く王族達を滅ぼした後、煙のように姿を消した。だからこそ革命は成功したんだ」
「死んだ奴が……蘇った?」
「そう。そしてここには、彼らの怒りと怨念が渦巻いてる」
ヴェネスがニヤリと笑い、フゥッと背後を冷たい風が通り抜けた――ような気がした。
「……って、おい。何してんだ、クレス」
「無理無理無理無理っ! 幽霊とかお化けとか、絶対無理!」
呆れた顔のヴェネス。俺の体は、全自動かつ全力でヴェネスの背中にしがみついている。
「てめっ、離れろ! 男にしがみつかれても楽しくねぇっ!」
「楽しくなくていいんだよ! こうしてないと俺が怖い!」
「はあっ!? おまえ、もうちょっとプライドは無いのかよ!?」
「プライドなんて地上三センチあれば十分だ!」
「低いなオイ!」
ヴェネスのツッコミを受けながら、俺はヴェネスの背中を握り締める。
「うぜぇ! そんなのただの伝説に決まってるだろっ」
ヴェネスは苦々しげに舌を打ち、俺を引き摺るようにして歩を進めた。
暗闇に二人分の足音が響き、ヴェネスの白い光が照らす範囲以外は何も見えない。どこまで続くかわからない通路と肌を刺すような寒さが、ひたすらに不安を掻き立てた。
「なぁ、気になってることがあるんだけど」
「何だよ?」
ヴェネスは少し不機嫌そうな口調で応じた。俺は少し悩んでから、尋ねた。
「ヴェネスに魔術を教えたのって、クレイっていう人じゃないのか?」
「……っ!」
ヴェネスは驚いた様子で目を見開き、俺の顔を見た。
「魔導属性も、風じゃないんだろ。……コーラーって何?」
質問を重ねると、ヴェネスは黙ってしまった。俺から目を逸らし、小さく溜め息を吐く。
「何でそんなとこ聞いてんだよ」
ヴェネスはぼやくように言った。
「だって気になったんだから、仕方ねーだろ」
「……。内緒だ」
「えぇっ?」
「おまえには言わねー」
ベ、と舌を出したヴェネス。俺は食い下がった。
「だって、コーラーなんて聞いたこと無いぞ!? 魔導属性はそりゃ、たくさんあるけど……。それに、何で自分の呪文隠してたんだ?」
「えぇい、うるさい! それ以上しつこいと、無理矢理引っぺがすぞ」
ヴェネスは鬱陶しそうにそう言って、彼にしがみついている俺の手を引き剥がそうとする。
「あぁっ、無理無理っ! もう聞かない、聞かないから!」
慌てて首をブンブン振ると、ヴェネスが突然足を止めた。ドンッと彼の背中にぶつかって、俺はヴェネスの後頭部で鼻を打った。
「あたっ!」
反射的に声を出すと、ヴェネスに「しっ」と怒られた。何やら耳を澄ませている様子のヴェネスに倣うと、カチカチカチカチ……と、何かが小刻みにぶつかり合う音が聞こえた。
「何だ?」
ヴェネスが銃に手をかけながら、ゆっくりと歩を進める。そんな彼に張り付いて、俺はおっかなびっくり歩を進める。向かって左側の牢獄の奥に、何かが蹲っていた。
「おい、誰だ……?」
鉄格子の向こうに、ヴェネスは問いかけた。カチカチという音が止んで、蹲っている影が小さく動く。
「ヴェネス……?」
低く唸るような男の声。途端に影が動き、こちらへ飛びかかってきた。
ガシャンッ!
彼の体は鉄格子に阻まれて、大きな音を立てた。彼は服を着ておらず、金色の髪は凍り付いて、手足は紫色に変色していた。
「何でヴェネスがここにいるんだ!? 姉さんは!?」
「ハルこそ、どうしてこんなところに!? ――リィナにやられたのか!?
おいクレス、いい加減に離れろ。こいつはミレイの弟のハルだ。お化けでも何でもないっ! ハル、今出してやるから、少し下がってろ」
俺を振り払って魔力を紡ごうとしたヴェネスに、ハルは「やめろ!」と声を荒げる。ヴェネスは驚いた表情でハルを見た。
「俺がここで生きてる限り、姉さんがリィナに殺されることはない。リィナにそう言われたんだ」
挑むようにヴェネスを睨んだハルに、俺は思わず目を伏せる。ヴェネスも言葉を失っていた。
「……何だよ、その反応」
自分でも最悪のシナリオは想像しているのか、ハルが僅かに怯んだ。ヴェネスは少し躊躇った後、ゆっくりと首を横に振る。ハルが大きく目を見開いた。