捕らわれの鎖 8
* * *
寒い……。
それに真っ暗だ。
ピシャンッ。
額に落ちてきた冷たい滴で、俺は半開きのまま動かしていた目をゆっくりと開いた。辺りには、生臭いにおいが漂っている。
「……どけよ」
下からヴェネスの低い声が聞こえて、俺は慌てて体を起こした。どうやらヴェネスを下敷きにしていたらしい。
「わ、悪いっ!」
謝りながらヴェネスの上から降りると、彼はゆっくりと起き上がって右手を掲げた。
「〈ブライト〉」
ヴェネスの呪文と共に光系統低位魔術が発動すると、白い光が辺りを照らし、ここが凍り付いた牢獄であることがわかった。
「……何のつもりだよ、クレス」
苛立ったようなヴェネスの声と、怒りを孕んだ暗い眼光。その雰囲気に圧倒されながら、俺はぎこちなく首を傾げる。
「何のつもりというか……何となく、咄嗟に」
「ふざけんな! 何となくって何だよ!?」
ヴェネスは声を荒げて怒鳴ると、「くそっ」と悪態をついて頭を左右に振った。それから自分を落ち着かせるように、大きく息を吐いた。
「まぁいいや。ライムが来るよりマシだ。おまえら、本当に考えナシなのな」
「だって……」
リィナのところへ自らの命を差し出しに行こうとする奴に、まさかライムを同行させられるわけがない。――と言っても、それはあの時考えたことではなく、後付けの理由だが。
「ここ、城の一番下だぞ。よりによって牢屋! おまえのせいでびっくりするほど着地点が狂ったじゃねーか」
積み上げられた石でできた壁。氷の張った鉄の格子扉だけが、唯一の出入り口。天井も床も壁も、全てが凍り付いていた。
「さっさと脱出するぞ。ここは潮が満ちるとヤバい」
ヴェネスは白い息を吐きながら両腕をさすり、首を竦めた。
「潮?」
「あぁ。この牢獄は、潮が満ちると完全に海に沈むんだ。早く上に行かないと、氷の海で溺死するハメになるぜ?」
銀色の格子に触れて、ヴェネスは言った。
牢獄に閉じ込められて、冷たい海で溺れ死ぬ。
あの瞬間、彼と俺の考えたことが同じだったなら、ここは俺達にとって、都合のいい場所としか思えなかった。
「……おまえ、死にに来たんだろ?」
「ん?」
「何でここから出る必要がある?」
尋ねると、ヴェネスは悪戯っぽく笑った。
「それじゃぁ、ここへ来た意味がない。――〈ストームカッター〉!」
ヒュオンッ!
風系統中位魔術〈ストームカッター〉。軽やかな風切り音がして、断ち切られた銀色の格子が、バラバラと床に転がった。できた隙間に満足気に頷いて、ヴェネスは言った。
「そこの剣、拾っとけ。おまえがいきなり飛び付いてくるから、そっちに魔術かけるの大変だったんだからな」
「えっ?」
言われて初めて、牢屋の隅に女王の守護者が転がっている事に気付いた。戦うということだろうか。
「よっこらせ」
ヴェネスは銀色の格子を切って作った隙間から牢屋の外に出た。そのヴェネスに、俺は訴えた。
「なぁ、おまえは駄目だよ」
「え?」
「ヴェネスは死んじゃ駄目だ。……死んでも何も変わらない。メロヴィスが悲しむだけだ。メロヴィスの特殊生体化は止まらないし、この国だって救えない」
「それは、やってみなくちゃわからない」
淡々と答えたヴェネスに、カッと頭に血が上った。
「ふざけるな! 死ぬんだぞ!? メロヴィスはおまえを失うんだ! それで一体何が変わるって言うんだ!?」
「変えるさ。これ以上リィナの好きにはさせない」
ヴェネスはギュッと唇を引き結んだ。
「俺は今まで、メロヴィス様から色んなものを奪ってきた。地位も名誉も恋人も家族も友人も、みんな俺のせいで失ったんだ。これ以上、あの人の手から何も失わせはしない」
「そこにおまえは入ってないのかよ。ヴェネスが一番大切だから、そうやってたくさんのものを失っても、メロヴィスは笑ってられるんだろ! その手の中から、自分で転がり落ちてどうするんだよ!」
すると、ヴェネスは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「もしそうなら、どんなに幸せなことだろう。俺にとっても、メロヴィス様は何よりも大切な人だ」
「…………」
「俺は初めからこうするつもりだったんだ。でも、まさかミレイ達が殺されるなんて……」
そう言って俯いたヴェネスに、俺は眉を寄せた。
「初めからって?」
「大事な戦闘の前に、俺が魔導力を使い切るようなヘマするかよ。本当はまだ余裕」
「じゃぁ……これ、何かの作戦?」
「そんな大層なものじゃない。メロヴィス様に話す気も無いし、おまえにも内緒だ。メロヴィス様、今頃カンカンだろうよ。きっと血眼になってここへ来る。それだけは、俺の作戦の内だ」
そう言って、ヴェネスは悲しそうに笑った。彼の纏う雰囲気は、俺に嫌な予感しか与えなかった。
「何する気なんだ、ヴェネス」
「内緒だって言っただろ。俺はおまえがここで死なないように、おまえの武器を持って来てやっただけなんだ」
「……一緒に行くって言ったら?」
探るように尋ねると、ヴェネスは小さく頷いた。
「いいぜ。ちょっとの間だったら、守ってやる。俺に飛び付いてここへ来たのは、おまえの勝手なんだ。途中まで守ってやるだけでも感謝しろよ?」
ニヤリ、と口の端を上げたヴェネス。俺は少し躊躇ったが、床に転がっている剣を拾い上げた。




