捕らわれの鎖 4
* * *
俺は口を引き結び、大剣を構えた。対象を取り込んでしまうような特殊生体なら、不用意に斬りかかるのは無謀だろう。
「――〈アイススピア〉!」
突如その場に飛び込んできたのはライムの声だった。異様な騒ぎに気付いて駆け付けてくれたのだろう。猛スピードで疾る三本の槍が、人々を取り込んだ肉塊へと向かっていく。
「当たれっ!」
氷系統中位魔術〈アイススピア〉は勢い良く肉塊へと突き刺さり、ビシィッと物凄い音を立てて、突き立った周囲の組織を一気に凍らせた。
「ぎゃぁぁぁぁああああ―――――っ!」
途端に凄まじい悲鳴が肉塊から放たれ、俺は思わず身を竦ませた。
「クレス、凍った部分から叩け!」
リダが叫んだのが聞こえたが、俺は動けなかった。
「痛いよぉぉおっ!」
「助けてっ! お母さん! 死にたくないよっ!」
しかし子ども達の悲鳴に戦慄したのも束の間、先刻〈アイススピア〉が突き刺さった部分に目をやると、氷の刃は跡形も無く消滅して、傷口も綺麗に塞がっていた。効いていない……あいつは悲鳴で惑わそうとしているだけだ。
そう思った時、肉塊から伸びてきた手が、立ち竦んでいる俺の腕にゆっくりと触れた。蒼白になった幼い顔が、ボロボロと涙を零している。
「オニイチャン……」
脳裏にはレットの絶望に満ちた顔が浮かぶ。
「……っ」
特殊生体は倒せ。
それが、俺達の世界の鉄則だ。
「何やってんのよクレス!」
俺を突き飛ばしたライムが、代わりにその身を呑まれながら叫ぶ。
「近付いちゃ駄目! ルルカ・ディーナ・バーナ・ライム――〈エクスプロージョン〉!」
「!?」
早口に唱えられた呪文と共に、炎系統高位魔術〈エクスプロージョン〉が発動。俺はライムに手を伸ばす間も無く爆風に吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。
「がっ……ぐ……」
頭がグラグラする。身を起こそうと手を付いたが、ガクンと崩れてしまった。不思議に思って自分の手元を見ると、右腕が変な方向に曲がっていた。ちょうど折れ目のところから、千切れた筋組織をぶら下げた骨がズルリと飛び出している。だが、そんなことはどうでもよかった。
ライムの方を見ると、肉塊は〈エクスプロージョン〉の影響を受けることもなく、彼女の体を呑み込んでしまっていた。
「おい、嘘だろ……ライム! ライム!?」
呼びかけても返事は無い。蠢くような子ども達の声が聞こえてくるばかりだ。
「あはは、死んだ。死んだよ……痛いことする女を殺したよ」
「ごめんなさいお姉ちゃん死なないで助けて怖いよ」
「お兄ちゃん逃げて、あいつも殺しちゃおう。早く逃げて殺そうよ僕を殺して……」
狂ったように、彼らの声は鳴り響く。完全に特殊生体に取り込まれてしまった者、自我を保つ者と、その狭間にいる者。そしてライムも、きっとその中にいる。
「ライム! 返事しろ、ライム!」
肉塊から伸ばされる白い腕と顔が、俺へと向かってくる。
「クレス、駄目だ! 逃げろ!」
リダの声が聞こえる。肉塊の上で騎士達の放った魔術が何度も弾けていたが、肉塊は悲鳴を上げるばかりで動きを止めることすらしない。
構わず、俺はライムを呼び続けた。
「返事をしてくれ、ライム!」
彼女の名前を呼びながら、俺は夢中で肉塊に手を翳した。
「っ!」
けれど、何の魔術を使えばいいか分からない。治癒系統、防御系統――有用な呪文が、一切浮かんでこない。
そうしている間に肉塊はすぐ目の前へと迫り、遂に白い手が俺に触れた。その手は確かめるように、俺の頬をゆっくりと撫で上げる。
苦しい……殺して。
女の声が木霊する。恐怖で息が引き攣れた。
「嘘だろ……ライム」
コォォォオオオオ……!
しかし刹那、肉塊の中に向かって、物凄い勢い量の魔力が集束していった。激しく嫌な予感がしたが、もう遅い。
「ごめんね。私は絶望なんか信じない!」
ドォォオオオオオンッ!
凛と響いたライムの決め台詞と共に、再び炸裂する爆音。今度は大量の肉片付き。
「ぶびゃっ!」
俺は爆砕したドロドロの肉片を全身に浴びながら、吹き飛ばされるままに地面の上を転がった。
ドンッ!
「おいクレス、大丈夫か?」
何かにぶつかって視線を上げると、ヴェネスの声が降ってきた。どうやら彼に受け止めてもらったらしい。
降り注ぐ雪の中、真っ白な血と赤い肉片を浴びたライムが両手を振り上げる。
「みんな、巻き込んじゃうけどごめんね! ルルカ・ディーナ・バーナ・ライム――〈ブリザード〉!」
呪文と共に、氷系統高位魔術〈ブリザード〉が発動。体感温度が一気に下がり、視界が真っ白な豪雪に閉ざされる。吹き荒れる風と雪に肌が引き裂かれ、俺の全身から真っ白な血が噴き出した。溢れ出した血はみるみるうちに凍り付き、傷口までも氷に覆われていく。
「あいつの魔術、見境なしかよ!? ――〈イクスティン〉!」
ヴェネスが俺ごと防御系統高位魔術〈イクスティン〉で包んでくれて、その直後からすぐに治療を始めてくれる。しかし俺の治療をする彼は俺のことなどまるで見ておらず、崩れた肉塊の中に立つライムを、細めた眼でじっと見つめていた。
ライムは両手で口元を覆い、青ざめた顔で震えていた。
「ごめんね……ごめんなさい」
掠れた声が、ひたすらに謝罪を繰り返していた。
「ライム! まだだ!」
だが、メロヴィスの声が俺達を我に返らせた。
飛び込んできたメロヴィスがライムを突き飛ばし、二人は雪に覆われた地面を滑る。ライムの立っていた場所では、爆砕した肉塊が大きく隆起して蠢いていた。
「ライム、大丈夫か!?」
「大丈夫、ありがとう」
ライムはメロヴィスに支えられながら立ち上がり、大きく息を呑んだ。
「嘘でしょ……」
奇妙な方向を向いた、対を成さない四本の脚。胸から腕を垂らした胴体と、上皮の無い右腕、骨だけの左腕。首には見開かれた青い目があり、頬は肉が崩れ落ちていて、本来髪があるべきはずの頭部には、苦痛に歪む幼い子どもの顔がある。
その歪な体を持つのは、ミドール王国王宮騎士団のユーグだった。