捕らわれの鎖 2
「ミレイ、私は戦う」
メロヴィスの言葉に、リダはホルスターから銃を抜き、両手に構えた。
そしてメロヴィスは真摯な眼差しで兵達を見回した。
「おまえ達、この国に起きている事態はヴェネの所為だと本気で思っているのか? ……立ちはだかる者に容赦はしない。刃を抜くなら死を覚悟しろ」
メロヴィスは言って、剣を構えた。
「死にたい奴からかかって来いっ! 風の騎士、メロヴィス・C・アークレイルが相手だ!」
彼が叫んだ、次の瞬間だった。
ザザッ!
視界が一気に広くなり、総勢一千人の兵士達が、ほぼ同時にメロヴィスの前に跪いた。メロヴィスは呆然とした顔で固まり、ヴェネスもポカンとしている。
するとミレイは馬から華麗に飛び降りて、これまでとは打って変わって、穏やかに微笑んだ。
「メロヴィス様、間もなくここへ敵の大軍が押し寄せます。どうか私達をお使いください」
「……?」
メロヴィスは怪訝そうに眉を寄せる。
「この場にいる者達は誰一人として、貴方に刃を向けることなどできません。私達がメロヴィス様を裏切れば、恐らく本当に国は滅んでしまうでしょう。共に戦わせて下さい」
「な……に……――」
「私達を相手に剣を抜けないような半端な気持ちでいるなら、貴方の命を頂くつもりでした。でもみんな、愛する家族や恋人を守ることより、貴方を選びました」
言いかけたメロヴィスを遮って、ミレイが声のトーンを上げた。穏やかな表情は消えて、メロヴィスを見つめる双眸に、哀しみの涙が溢れていた。
「メロヴィス様、私達は貴方を信じます。せめて、私達に復讐させてください……」
ミレイの言葉は語尾に近付くほどに、弱々しく震えていた。
「復讐? おまえ達まさか――」
目を見開いたメロヴィスの声が掠れ、視線がミレイに注がれる。ミレイは口元に手を当て、嗚咽を漏らした。
「ごめ……なさ……私……」
「ミレイ……おい、ミレイ!? 何があったんだ!?」
メロヴィスは乱暴に剣を鞘へ収めると、ミレイの両肩を掴んだ。ミレイはボロボロと涙を零しながら、身を震わせている。
「違……私こんなつもりじゃ……指揮官代理、失格ですね」
見れば、兵士達も跪きながら肩を震わせ、何かに耐えるように、口を真一文字に引き結んでいる。
「メロヴィス様……助けて……」
ミレイは縋るようにそう言うと、泣きながらその場に崩れ落ちた。
「ミレイ!?」
「メロヴィス様、私達っ……この事態がヴェネスの所為だなんて信じたくなかった。でもヴェネスの命を奪うことで、本当に事態が沈静化するのかもしれないって、思っちゃったんです。ヴェネスを庇って私達の前から姿を消した貴方に、自分達は見捨てられたと感じてさえいました」
ミレイは涙でグシャグシャになった顔で、黙っているヴェネスを見上げた。
「ごめんなさい、ヴェネス。本当だったら、貴方が捕らわれた時すぐにでも助けなきゃいけなかったのに……。できなかった。私達は間違った可能性に縋ろうとしてしまった」
「……謝ることない。何でミレイ達が泣いてんだよ」
ヴェネスはそう言って、苦しそうに顔を歪めた。ミレイは続ける。
「メロヴィス様がヴェネスを助けた後、リィナと名乗る女が現れたんです。ジルバだけでなく各地を統べる公爵達も化け物となり、この国の全ては今、リィナが握っています」
「リィナ……」
俺は無意識に自分の左手に触れ、小さく息を呑んだ。
「リィナは他国の者を含めた兵達の前で、私達全員の家族や恋人を人質に取りました。『ヴェネスを殺せば、無事に返す』。それがリィナの条件です。他の騎士隊で、逃げた者はみんな捕まって殺されました。生き残った者は、今頃血眼でここへ向かっています。愛する人達を守る為に」
「それじゃ……何でおまえ達……」
低く掠れたメロヴィスの声。するとミレイはメロヴィスの胸から離れ、精一杯に微笑んだ。
「こんな時に裏切って、何が仲間でしょう! ヴェネスをリィナに引き渡せば、もしかしたらこの惨劇は幕を閉じるのかもしれない。でも私は――私達は、最期まで誇り高き騎士でありたい。人の命を命とも思わず弄ぶような者に屈し、ましてその者を信用して、友を生贄に捧げるような真似などしたくない!」
ミレイの叫びにヴェネスが息を呑み、大きく目を見開いた。ミレイを凝視する彼の瞳は、今にも泣きそうなくらい、ひどく揺れている。しかしその瞳が顔ごと伏せられると、雪の積もった地面に、赤い滴が点々と落ちた。握り締めたヴェネスの拳から、血の筋が伝っていた。
「それなら結局、〝俺を殺せば終わる〟ことに間違いは無かったんだ」
唸るような呟きに、ミレイが驚いたようにヴェネスを見た。
「違う! ヴェネス、私達は――」
「俺一人差し出せば終わるかもしんねーんだ! それが賭けみたいな取引でも、すればいいじゃねぇか! 何でみんながこんなことになるんだよ!?」
ヴェネスは手近の壁に向かって拳を振り上げ――メロヴィスに止められた。
「痛いだけだ、やめておけ」
「メロヴィス様……!」
「大丈夫。おまえのせいじゃない。例えおまえが死んでも、事は収まらない。リィナがヴェネを殺したがるのは、ヴェネの力があれば、リィナの力を覆せる可能性があるということかもしれないよ。もしそうなら、おまえが死ねば、もうリィナを止められる者はいなくなる。ミレイ達だって、それを考えての行動であるはずだ」
メロヴィスは笑ったが、ヴェネスは眉間に皺を寄せてメロヴィスから目を逸らすと、苛立ったように踵を返した。
「ヴェネ、どこへ行くんだ」
「別に。テイルの様子を見てくるだけだよ」
「そうか。……よろしく頼むよ」
メロヴィスは優しい表情でヴェネスの背を見送り、ドアが閉まると、困ったように俺とリダを見た。
「あいつは昔からネガティブなんだ。今回のことでは、さすがに無理もないけど」
「追わなくていいのか?」
リダが尋ねたが、メロヴィスは首を横に振る。
「大丈夫。あいつは私に無断で死んだりしない」
リダは腕を組み、深く息を吐いた。
「メロヴィス、これからどうする気だ?」
するとメロヴィスはあっさりと答えた。
「大軍を迎え撃ち、リィナのところまで正面突破する」
リダは僅かに目を見開き、怪訝そうに眉を上げた。
「正面突破って。正気か?」
「結局のところリィナは遊んでるんだ。これだけ大規模なことを起こせるのに、なぜ自分でヴェネを捕まえないんだ。私がどんなにヴェネを守ろうとしたところで、本来なら無駄な足掻きに違いない。でもリィナはそうしないでミレイ達を送って来た。……足掻くだけ足掻かせて、私達の抵抗に飽きたら突き落とす。リィナが飽きるよりも先に私達が諦めたら、何もできないまま終わってしまう」
俺は小さく喉を鳴らし、一方でリダは溜め息をつく。
「意気込みはわかったが、もう少しマシな策は無いのか」
「あぁ、無い」
メロヴィスはそう答えて、苦笑を浮かべた。