捕らわれの鎖 1
【 六章・捕らわれの鎖 】
「ヴェネ……これから軍が攻めてくるっていう時に、何だっていきなり魔導力が尽きてるんだ」
メロヴィスはガックリと肩を落とし、額に手を当てて溜め息を吐いた。これで何度目だろう。
「事情はさっき話したろ。戦闘になるかもしれないのに、考え無しだったのは悪かったよ」
こちらも何度目になるのか、ヴェネスは悪びれた様子もなく肩を竦めた。
それほど離れていない場所からは、馬の嘶く声が聞こえる。いくつもの足音が地鳴りのように押し寄せてくる――というのは大袈裟だが、それでも、近付いてくる駆け足の響きは、俺にそう思わせるには十分だった。
「〈ワープ〉は使えないけど、ちょっとした魔術ならもう大丈夫だよ。どうせ逃げる気は無いんだろ?」
「それはそうだが……」
「メロヴィス」
口ごもるメロヴィスに、窓の外を眺めていたリダが口を開いた。彼女の胸元には、先刻ライムが渡した銀の指輪が革紐に通して下げられている。
「いざとなったら私達を逃がそうなんて、そんな気遣いは無用だ」
「だが……」
「私は好きでここにいる。テイルもそうだ。事情を知れば間違いなくここに留まる。私達のことは駒と思えばいい」
隣の部屋で眠り続けているテイルは、未だ目覚める気配を見せない。そんな彼を心配して、ライムはあれからテイルに付きっきりだ。
「そういうのはメロヴィス様、凄く苦手なんだよ」
ヴェネスはメロヴィスの背中を叩きながらケラケラと笑った。メロヴィスが口を曲げてヴェネスを睨み付けるが、ヴェネスはケロッとしていた。
ここへ向かっている軍というのはメロヴィス直属の部下達で、元々は彼の手足として動いていた騎士隊なのだそうだ。早馬の遣いがやって来てヴェネスを引き渡すように要求したらしいが――メロヴィスはそれを断り、遣いの兵に「目を醒ませ」とだけ伝えて帰した。
「……わかった。でも気が変わったら、いつでも逃げてくれて構わない」
メロヴィスは頷いて腰の剣に触れると、窓の方へ近付いていった。
「先に行く」
「えっ?」
怪訝に思って声を漏らしたのも束の間。メロヴィスは軽やかに窓を開けると、そこから身を乗り出した。
「おい、メロヴィス!?」
リダが声を上げた時、既にメロヴィスは闇夜に身を躍らせていた。
「あー……もう、メロヴィス様ってば」
ヴェネスが呆れた顔で窓辺に寄り、身を乗り出す。
「この下すっげー凍ってるから、リダ達は真似するなよ?」
言い残し、ヴェネスまで窓から飛び降りてしまう。
「…………」
俺は困ってリダの顔を見たが、彼女は小さく溜め息をついて、部屋のドアへと向かった。
「リダ、ライム達はどうするんだ?」
「テイルを連れて行くわけにはいかないだろう。ライムは彼女自身の判断に任せる」
淡々と言ったリダは、俺の方を振り返りもしない。それは彼女のいつも通りなのかもしれないが、俺を臆病にさせるには十分だった。
「あの、ごめん。謝らないといけないことがあるんだ」
「後にしろ」
「いや、でもっ――」
ドアノブに手をかけている彼女の背に、俺は言った。
「ヴェネスにリダが特殊生体化してること、言っちゃったんだ。わざとじゃなかったんだけど、つい……。本当にごめん」
するとリダはやはりこちらを振り返らないまま、「そうか」とだけ言った。ドアを開き、そのまま出て行こうとする。
「リダ!」
咄嗟に伸ばした手で、リダの手を掴んでいた。
「……何」
眉を寄せられて、俺は慌ててリダの手を離す。リダは呆れた様子で俺を見上げた。
「大丈夫だ、怒ってない。気の小さい男だな」
「だって、黙ってろって言われたのに」
「…………」
リダはそれ以上何も言わず、部屋を出て行った。
何なんだ、あいつの思考回路。あんな様子で「誰にも言わないでくれ」と言っていたのに、まるでそんなことは無かったかのような振る舞いだ。
「ワケわかんねぇっ!」
俺は彼女の態度と自分の馬鹿加減にうんざりしながら、リダの後を追って宿屋を飛び出した。
「!」
風は冷たく、雪の降る大地は暗い。俺とリダが外に出た時、メロヴィス達の前には、黒い馬に跨った金髪の若い女が立ちはだかっていた。
女の後方にはたくさんの兵達がズラリと並び、言い様のない威圧感を醸し出している。
「ミレイ……」
馬上の彼女を見上げて、メロヴィスが呻くように言った。
「話し合えるかと思ったけど……マジみたいだな。おまえが私に敵うと思うのか?」
「一千」
ミレイと呼ばれた騎士は、抑揚のない声で言った。彼女が光の龍を放つという女魔導剣士だろうか。
「見覚えがあるはずです。貴方の育て上げた、どの隊よりも勇猛な兵士達。稲妻の轟きにも動じない勇敢な馬。私も含めて全部で一千人。……貴方には倒せないでしょう?」
メロヴィスは口を引き結んで目を細め、ヴェネスが喉の奥で低く唸る。
「今すぐヴェネスをこちらに引き渡してください」
ミレイは言うと、腰に差した剣をスラリと抜き放った。
「それとも私達と戦いますか? たったそれだけの人数で?」
ヴェネスは小さく身を震わせ、縋るようにメロヴィスを見上げた。だがメロヴィスは黙って剣を抜いた。