闇と交わす口付け 11
「特殊生体化してて、しかもそれで色々あったってわかってて、気にするなって言うのか?」
「あぁ、言っちゃう」
ヴェネスは軽い口調で頷くと、俺の手から食べかけの林檎をヒョイと奪い取った。それに齧り付きながら、彼は肩を竦める。
「メロヴィス様が言ってた。死にたいと思って生まれてくる奴なんかいないって。みんな絶対、生きたいと思ってこの世に生まれるはずなんだ。だから、どんな時でも生きたいと思うのは間違いじゃない。それが自然で当然のことなんだ。楽に行こうぜ?」
「……。そんなこと言われても、俺のヘタレは生まれた瞬間からの初期設定だ。自信はジェンガの最終局面状態で、精神力は豆腐並。生きたいと思う気持ちはあるけど、ヴェネスのようには笑えないよ」
精一杯に言い返すと、ヴェネスが俺の額を指先で弾いた。
「十分だ。それだけ口が動くなら」
ヴェネスはニヤリと口の端を上げた。根拠のない自信に満ち溢れたその顔は、何となくライムに似ていた。
俺は美味そうに林檎を頬張るヴェネスを見上げ、尋ねた。
「なぁ、どうしてヴェネスはここに留まるんだ? 海を越えられるような〈ワープ〉を使えるならどこにでも行けるだろうに……逃げたいって思わないのか?」
「あぁ? そんなの決まってる。俺もメロヴィス様も、この国を救いたいからさ。得体の知れない奴なんかに、俺達の国は潰させない」
そう言ったヴェネスは、多分誰がどう見ても、誇り高い騎士の表情をしていた。
「……カッコイイな、おまえ」
「ただのヘタレに言われても嬉しくねー」
林檎を齧りながら、ヴェネスがケラケラと笑う。反論できない俺は、「失礼な」と口を尖らせてみたが、彼の言う通りなのは認めざるを得ない。
「それで、クレス。おまえに何が起きてるのか、よかったら話してくれないか? おまえは黒い光を浴びて特殊生体になった他のみんなとは、かなり違うみたいだ」
「それは……」
俺は少し躊躇ったが、何か手掛かりが見つかるかもしれないと思い、ライムから聞いた〈ナイトメア〉の中での話も加えつつ、これまでのことをヴェネスに話した。
話し終えると、ヴェネスは眉間に皺を寄せながら、俺に左手を見せるように促した。
「本当に痛みは全く無いのか?」
尋ねられて、俺は左手を差し出しながら頷いた。
「おまえは何かのきっかけで特殊生体になって、また何かのきっかけで人間に戻って、今また特殊生体になったってことだよな。前回のきっかけはわからないけど、今回は魔術がきっかけになった可能性が高そうだな」
「うん……。リィナもそんなこと言ってた。忌まわしい封印が解けたって」
「封印か。じゃぁ、特殊生体を封じてたのかな。でも、リィナが特殊生体の封印が解けたことを喜ぶってどういうことだ?」
「わからない」
俺は首を横に振り、溜め息をついた。
「リダは魔術を使うと特殊生体化を早めるって言ってた。だけど人って、魔術の使い過ぎで特殊生体になるのか?」
尋ねると、ヴェネスは首を横に振った。
「いや、普通は死ぬんだよ。魔力と人体の相性はすこぶる悪いんだ。俺は、魔導力は魔力を体内に取り込む為の緩衝材だと思ってる。どれだけ大量の魔力を安全に集められるかどうかってことだ。魔導力っていうのは、頭で描いたイメージをエネルギーに変える不思議素材を入れる為の専用容器さ」
しかしそれなら――どういうことになるんだろう。ぐるぐると思考の迷宮に入り込んでいると、ヴェネスが言った。
「俺はさ、一つ不思議に思ってることがあるんだ。……いや、きっとみんな思ってることだ。でも、当たり前すぎて気にしなくなっちまったんだ」
「不思議で当たり前なこと?」
ヴェネスは頷いて、食べ終えた林檎の芯を目の高さに掲げた。
「魔力は使ったらどうなると思う?」
ボンッ!
ヴェネスの手にある林檎の芯が、突然大きな音を立てて燃えだした。先刻と同様、林檎の芯はあっと言う間に灰になって、パラパラと床の上に崩れ落ちた。