闇と交わす口付け 9
* * *
――ジルバ公国。
ミドール王国とは海を跨いだ北の大陸にあるその国は今、滅亡の危機に瀕している。
原因は特殊生体の大量発生。
この国ではどういうわけか、その元凶と黒幕はヴェネスだと言われているらしい。
「黒い光に特殊生体の大量発生なんて……ミドールと同じじゃないか」
「俺もリダの話を聞いてびっくりしたよ。まさか海の向こうでも同じことが起こってたなんて」
シャグッ、と小気味良い音を立てて、テーブルに腰かけたヴェネスが林檎を齧る。彼の傍らには真っ赤な大玉の林檎が四つ転がしてある。
「でも何で黒幕がヴェネスなんだ?」
「それがひどい話でさ」
ヴェネスはそう前置きすると、身振り手振りで話し始めた。
「俺、こう見えても結構な魔導力を持ってるんだ。魔導力なら、この大陸では俺が一番だ。それはみんなが知るところなんだけど、〝ヴェネスの魔導力なら、特殊生体を操って国を滅ぼすことも不可能ではない〟――そんな噂が出回ったんだよね」
「魔導力で特殊生体を操る? そんなことできるのか?」
「できるわけねーだろ。まぁ、おまえの国の王宮騎士みたいに信頼が厚ければ、多少人より飛び出た杭でも、そんな噂は立たなかったのかもしれないけど――残念ながら、俺は色々とワケありなんだ」
「ワケあり?」
「そう」
頷いて、ヴェネスはまた林檎を齧る。ふと窓の外に視線を移した彼は、硝子の向こうの景色を見て、小さく息を吐いた。
「雪だ……今年はよく降るな」
「雪!?」
驚いて窓の外を見ると、確かに雪景色が広がっている。ヴェネスがおかしそうに笑った。
「ジルバは雪国だからな。ちなみに林檎が名産」
「へぇ……」
「この辺りでも、ジルバの林檎は特に甘くて美味いぞ」
ヴェネスが自慢気に言った。差し出された林檎を齧ってみると、確かに甘い。たっぷり詰まった果汁が、齧り付いた部分から溢れ出しそうだった。
「うわ、美味い」
「だろ?」
ヴェネスは嬉しそうに笑う。この顔を見たら、ヴェネスが国を滅ぼそうとしているなんて、到底思えなかった。
「俺がメロヴィス様に拾われた時、最初に食ったのも林檎だった。おかげで大好物。林檎ならいくらでも食えるな、俺」
言いながら、ヴェネスは二つ目の林檎に齧り付いた。一方俺は、ヴェネスの口にしたフレーズに目を見開く。
「拾われたって?」
「いや、今となっては全部メロヴィス様に会う為のことだったんだろうけど。――俺、ガキの頃は奴隷だったんだ。結構な扱いで何でもアリだったから、何度も死にかけた」
淡々とした口調でヴェネスは語るが、俺は耳を疑った。
「ミドールは違うらしいけど、この辺りの国では人も〝物〟だし商品だ。カジノでトランプを切ることと、奴隷を殺すことは同列。地雷を埋めた雪上を裸の奴隷達に走らせて、誰が生き残るか賭けるなんてゲームもある。俺はそういうところで死ななかったから、運が良かった」
「…………」
俺には到底想像することのできない世界だった。固まっていると、ヴェネスがケラケラと笑った。
「そんな深刻な顔するな。今は十分満たされてる。言っただろ、全部メロヴィス様に会う為のことだったって。……まぁ、ただ」
ヴェネスはそこで言葉を切ると、苦々しげに顔を歪めた。
「メロヴィス様には滅茶苦茶迷惑かけたけどな」
ヴェネスは林檎の種を舌の上に乗せて出すと、三つめの林檎に手を伸ばした。本当によく食うな。
「メロヴィス様は俺を引き取って、奴隷から騎士に育て上げてくれたんだ。おかげで婚約者にフラれるわ、部隊で浮きまくるわ、クソみたいな任務ばかり命じられるわ――とにかく散々な目に遭った」
「でもメロヴィスは結局近衛騎士になったんだろう?」
「俺もメロヴィス様も、周りが無視できないくらい、超功績立てまくったからね。そうしたらメロヴィス様の立ち位置が変わった。いわゆる〝愛の人〟ってやつ。奴隷の身元を引き受けて、騎士にまで育てたって。メロヴィス様は人気者だよ。人望も厚いし、メロヴィス様のおかげでこの国の奴隷の扱いも変わってきたんだ。……それでも俺にはどうしても、所詮は元奴隷っていうのが付き纏う。今回もそれで容疑者にされちゃったわけ。俺がメロヴィス様を裏切るはずがないのに」
信じられないような話だったが、ヴェネスの眼は嘘をついているようには見えなかった。
「とにかく、今は国中のみんなが信じてる。〝ヴェネスを殺せば全て終わる〟って」